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いまさら、古いスレッドを上げちゃいますが。(ゴメンナサイ)。
創作している側からの意見ということで。
ジョージさんのおっしゃることは正しいのですが、非常に難しいことでもあります。
ある意味、ラカンチュウの創作がすごすぎるというのか、「うっかり史実だと思いそうな」ことって多いんです。
たとえば、
「甘寧とリョウトウの和解(甘寧がリョウトウを助ける)は創作」
「黄忠と厳顔の年寄りコンビが大活躍、も創作」
「関羽が華雄を斬ったというのも創作」
かなり、史実としての三国志を読んでいるつもりでも、ウッカリこの、「本当のような嘘」に騙されることはかなりあります。
最近では、私は、「孫晧が、羊コとの交流を問責して陸抗を降格させた」が演義の嘘だと知って大ショックを受けました(だって孫晧ならいかにもやりそうなんだもん(^^;)。
実際は、問責はしましたけど、陸抗はむしろ「大司馬」に昇格してます。
こんなことはけっこうあります。
かなり読み込んでいらっしゃる方でも、「思い込み」がありえます。
(ただ、ホウトクの子供がホウトウだなんて酷すぎますけどね(^^; 襄陽のホウトク公と間違えておられるんでしょう(^^;;)
三国志をかなり知っていても、間違えられる方はおられると思います。
あと、三国志「演義」でもいろいろあります。
たいていの日本人が、「吉川」(かそれを基にした横山光輝の漫画)で三国志を知っています。
中国の、古典文学としての「三国志演義」では、「お母さんにお茶を買ってあげる親孝行の劉備なんてどこにも居ませんよ」と言うと、たいていの人が「うそー!?」と驚きます。
「三国志は、孔明が死んだあとも続きますよ」と言うと、これも「ええー!?」です。
だいぶ前の話ですが、「諸葛亮が劉備に仕える決意をする」場面を描いた作品を書いたのですが、それを読んだ方が、「劉備は小柄なはずです!」と指摘してくださいました(^^; その方は、関羽・張飛に守られる子供みたいな吉川の劉備しかご存知無かったのです。
(演義の劉備は8尺、正史の劉備は7尺五寸の、けっこう大柄な人なのに(^^;)
個人的には、完訳本の「演義」がもっと読まれて欲しいです。
吉川バージョンのは、実際の演義以上に「蜀が正義」「孔明はヒーロー」ですから。(周瑜の扱いが、実際の演義以上にもっと酷いので嫌なのです、周瑜ファンとしましては・・・)
でも、この、三国志に関する混迷は、私は一概に悪いことだとは思わないのです。
小説としてみた場合、はっきり言って三国志演義というのは、イマイチな部分があります。
もし、これが創作であれば「蜀が統一する」という結末が望ましいはずですが、史実をベースにして書いているために、そうではない。
それどころか、三国とも倒れて他の国が統一しました、チャンチャン♪ という、実にしまらない終わり方をしています。
人物にしても同じで、全体としてみれば非常に矛盾がある。
(赤壁で天候を変えられた亮くんが、なぜ司馬懿を焼き討ちしたときに雨を止められなかったのか、とか。)
でもそれだけに、他の創作者にとって創作の余地が非常に大きいのです。
水滸伝なんかだと、完全に翻案して「八犬伝」みたいにするか、あるいはダイジェスト版を作るか、あるいは個々の英雄について別伝をつくるか(「金瓶梅」のように)といったことしかできませんが、三国志はその不完全さゆえに、それ以上の創作の余地がある。
しかも登場人物の個性が強く、かなり破壊しても「三国志」の痕をとどめてしまう。
たとえば、
「曹操は金髪の悪の帝王、于禁はその悪の帝王を慕う女戦士」
「曹操と劉備は実は兄弟、劉備は野心なく貂蝉さえ居ればいいと思っている」
「劉備は実は女で、関羽とラブラブ」
「諸葛亮は絶世の美少年で、董卓からありとあらゆる性技をしこまれて・・・」
「陸遜は女の子みたいな美少年、張コウはナルシスト、諸葛亮は軍師ビーム発射」
・・・ここまで破壊しても「三国志」と銘打てるというのが、三国志の懐の広さかなあとも思っています。(必ずしも、上に挙げたようなものすべてを肯定しているわけではありませんが(^^;;)
創作者としてはこれ以上美味しい時代は無いと思います。
なぜこういうことが起こってしまうのかというと、
普通の歴史小説は、「歴史の史実」→「それを踏まえた小説」が書かれますが、三国志だけは、
「歴史の史実」→「三国志演義」→「三国志演義を踏まえた小説」というかたちで書かれてしまうからだと思います。
それだけ「三国志演義」が流布し、しかもその「三国志演義」が実際の史実からかなり離れたハチャメチャなものであればまだ良かったのですが、かなーり史実に近い、うっかりすれば史実以上に史実な創作までしている、というところに、「演義と分離して史実を語る、あるいはそこから創作する」というのを困難にするものがあると思っています。
私自身、先日、「定軍山」というタイトルで、夏侯淵を主人公にして、陳寿の「三国志」にある事実から小説を書きました。
つまり、夏侯淵とその13歳の息子夏侯栄の戦死のお話です。
私自身は、夏侯淵の大ファンで(サイトも妙才さまの息子を名乗ってますし、妙才さまをパパ上とお慕いしております(*^^*))、ですから演義の夏侯淵の死に様には大いに異議があり、ぜひとも正史ベースでの彼を書きたいと思っていました。
それでも、黄忠に弓を持たせてしまいましたから、演義の影響力はすごいものです。
でもまあ、ジョージさんのおっしゃることは、私も思うのです。
ですから、非力ではありますが、多少は今の状態を改善できるような創作を、と思っております。
私は、現在、サイトで、私家版の三国志「三国演義」を連載しています。
「演義」なのですが、できるだけ正史補正を入れて、自分の創作したキャラクターは出さないという方針で書いています。
各回の終わりには、「どこが演義で、どこが正史で、どこが創作エピソードか」明記しています。
演義が採らなかった美味しいエピソードって多いですよね。
たとえば、劉備を暗殺しに来た男が、劉備がそれと知らず心からもてなしたので、その仁徳に打たれて「実は自分はあなたを暗殺しに来た男です」と白状して立ち去った話とか(あの話をどうしてラカンチュウが採らなかったのか不思議です。)
そういうのを入れて書いてみています。
陳羣は「劉備と曹操の資質を比較できる」(さらには曹操と曹丕の資質も比較できる)重要なキャラクターとなる予定ですし。
王叡をぶちころす野心家な文台様や、決して無策ではない、むしろ智謀が働く董卓など、かなり正史っぽく書いていこうと思っています。
・・・ただし、華雄を斬るのは関羽ですけど(ゴメンナサイ(笑))
そうでもしないと劉備陣営に何の華もないので。
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