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三国志フェス2011関連
2011.09.09.
<<2011年9月の雑記


このページは?
   このページは日記コンテンツでさらに「三国志フェス2011」関連の日に限定した内容です。


9/9   台風で延びた番組を見て旅立つ

>>MAG・ネット ~マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ~

   NHKの番組『MAG・ネット』「ミュージカル『テニスの王子様』」の回を見る。先週の金曜深夜放送予定だったが台風報道で延びた回ね。ミュージカル『テニスの王子様』、通称「テニミュ」の特集で、敢えてキャストに新人を起用する理由が述べられていた。プロデューサー曰く「人気俳優だとマンガのキャラのスター性とケンカするから」だそうな。この話を聞いて昨年の「日本マンガ学会第10回大会」の2日目のシンポジウム形式の『テニスの王子様』に対するファンの補完の話を思い出した(下記雑記参照)。

<<補完と共感(2010年6月20日の雑記)


   上記の放送があったのが0:55-1:39で、実のところ、清岡はこの日の前日の20時から睡眠をとっていた。というのも、5時に家を発つ用事があったためだ。その用事は前述の「三国志フェス2011」関連だ。

<<どんどんツッコメ(2011年9月2日の雑記)

   それについては書き出すと過不足が出てきそうで億劫になってしまっていたが、何かしら書かないと区切りがつかないと思い気楽に書き始めることに。それを気が済むまで書いて逸った気持ちを封じる意味でも。

・三国志フェス 2011年9月10日開催
http://3fes.sangokushi-forum.com/2011/
三国志フェス2011 於 大田区産業プラザPiO大展示ホール

>>三国志フェス2011リンク集

   結局、30分ぐらいしか眠れず23時半に目覚め、溜まったビデオをある程度、消化し、5時に発つ。最寄り駅から私鉄に乗り、5:46京都駅に到着し、東に向かう。この時間帯だと最も早い新快速が走っておらず、転換式クロスシートの各駅停車の列車に乗り、6:05京都駅発。列車の中で賞味期限の一ヶ月ばかり過ぎた缶コーヒーを飲みながら、朝飯代わりに100円ショップで買ってきたラスクを食べる。前日午後に「三国志フェス2011」の準備があり、急ぐ旅だったので、乗換等を予め調べ青春18きっぷで行ける最速のルートを進んでいた。いつもだと尾張一宮駅のモスで食事を取り、乗換の少ない中央本線を通りのんびり進むんだけど、今回は東海道本線を進む。一応、スタバのタンブラーに、スポーツ飲料を入れ、それを飲みつつ。道中の読書用に図書館から水木しげる/著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』(日本放送出版協会2010年7月)、武良布枝/著『ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!』(実業之日本社2008年3月)、石田美紀/著『密やかな教育 <やおい・ボーイズラブ>前史』(洛北出版2008年11月)を持っていったので、車中やホームで前から順に読んでいた。前の方は下記の日記あたりの流れかな。

<<赤本、貸本、雑誌週刊化の並列(2010年7月2日の雑記)

<<やっぱり『ゲゲゲの女房』(2010年7月12日の雑記)

<<『「奇」の発想』(2010年7月19日の雑記)

<<「ガロ」編集長(2010年7月20日の雑記)

<<サンデーとマガジン(2010年7月26日の雑記)

   ノートPCを広げられれば、下記のページを作るために史書をあれこれ訳していた。下記のページだとURLが9月10日になっているができたのは1週間以上、後だと思う。

>>孫策創業(孫氏からみた三国志62)

   それで7:11米原駅着、7:11米原駅発。8:00大垣駅着、8:15大垣駅発。9:45豊橋駅着、特に車内で乗り継ぎの案内がなかったので、どのホームに行けば良いか判らず一瞬、焦り、気付いたら駅構内で先頭を早足で歩いていた。9:49豊橋駅発。10:25浜松駅着、10:29浜松駅発。11:40静岡駅着、11:53静岡駅発。13:06熱海駅着、13:16熱海駅発。14:39横浜駅着、14:42横浜駅発。15:00蒲田駅着。予め蒲田駅にスター・バックスのグランデュオ蒲田店があると、調べていたので、タンブラーのスポーツ飲料を空にして、いざ出ると見あたらない。グランデュオ蒲田西館にあると記憶していたがフロアマップを見ても見あたらない。今、STARBUCKS COFFEE、グランデュオ蒲田、JRの蒲田駅構内図を見ても何階にある等の正確な位置が判らない。或るページによると、改札前にあるって書いてあるが見あたらなかった。改札は中央改札のみなので見落としたか?

>>Starbucks Coffee Japan - スターバックス コーヒー ジャパン

>>グランデュオ蒲田 - GRANDUO [ グランデュオ ]

>>JR東日本:各駅情報(蒲田駅)

   喉の潤いが持つか気になりながら、まぁいざとなれば自販機に行くかと思いつつ、頭の中で地図を再生しながら、準備場所として借りていると聞く目的地へ歩む。目的地が思ったより遠く、見あたらないと、某企業の施設や一般のマンションの敷地に足を踏み入れてしまう。
   ようやく15時半前に到着し記憶していた貸し教室の場所にいくと、おさっちさんとにゃもさんが居られ、ネックストラップにスタッフ証や出演者証を入れる作業をしていて、もう終わりかけていた。ちなみにおさっちさんは今回(というか前回から引き続きだったっけ?)、ボランティアスタッフの会場全体統括(つまり現場監督)だ。その後、のおさっちさん先導でみんなでする単純作業に移るまでにすべき作業(パンフレットの編集とか)をパソコンであれこれされていた。今回は出展ブースの名称に中国の三国時代の地名を当てはめる、言ってみればお遊び要素を入れており、ノートPC上のパンフレットの原稿を見ながら、その調整を三人で話ながら行っていた。このアイディアはおさっちさん発案で事前に聞かされていて、その時にはすでに地名が割り振られていたんだけど、愉快で素晴らしく魅力的なアイディアだと思った。後日、ネット上でブースの方から好評を頂いたようだし。段取りと印刷所の都合もあり前日にパンフレット印刷って正直、出来はどうなんだろう、って思ったが、とても前日にワープロソフトで作ったと思えない良い出来で。
   16時前に前回に引き続き、今回の企画の発案のUSHISUKEさん到着。前回に引き続き、今回もこのイベント「三国志フェス2011」の代表だ。それまでに続き出展ブースの話し合い。ブースが地名に因んでいることから、三国志ネタが飛び交う。それから「1日限定!三国志コレクション展」のボランティア・スタッフ・チーフである、にゃもさんもいらっしゃることだし、その展覧会の平スタッフをする清岡は、確認も含め、USHISUKEさんにあれこれ打ち合わせっぽい話を振る。通常の展覧会であれば監視員のみであるが、今回の説明員を付けたのはメイド喫茶の店員と同じく(下記雑記参照)スタッフのモチベーションを高めるためだと清岡から主張する。まぁ、これもやりたがっている人(=にゃもさん、清岡)のみって話で。ついでなんでパンフレットにもその旨を入れて貰う(スタッフが黄巾なんで「展示物についてお近くの波才までお訊き下さい」とかネタを言いながら)。

<<9月のネタ放出(2008年9月11日の雑記)

   USHISUKEさんは電話対応で大忙しで、おさっちさんはパンフレット作りなので、にゃもさんと共に清岡は打ち合わせを続ける。スタッフのローテーションとか。その時にでた「順路」のアイディアはUSHISUKEさんにプリントアウトまでしてもらったものの、会場が自由に行き来できる状況だったので、貼らず終いだった。
   17時ぐらいに玄鵬さんが登場し(今回、ボランティア・スタッフの音響技術係チーフを担当)、USHISUKEさんからの材料をその教室へ持ち込む作業をする。主に「1日限定!三国志コレクション展」の川本先生の人形のケースの材料と、展示物を乗せる机の脚を隠す高質紙のロールだ(これが後にその日の作業のメインの一つとなる。というかそれをその場で聞かされる瞬間まですっかりケースは作られていたものとばかり思ってた・笑)。その間、某イベントのサイトのただ情報を貼り付けただけに見えてしまう冗長さや、行進の行くところは通行人も含め全て入場者カウントかもしれないから、我々は関西弁で「ホンマもんはここに居るでぇ~!」とか連呼しながら、渋谷センター街で行進やろう、とか与太噺を清岡から振っていた。その後、にゃもさんが必要品(つり下げるためのS字管とか)の買い出しに行った。なにせ蒲田はそういうのが買える店が多いとかで。例えば下記の「ユザワヤ」。

>>手芸用品・生地・ホビー材料専門店 ユザワヤ

   17時半には、よこはまあおばシネクラブさんのブースで実働されるベイシティ・エンタの方が来られた。しばし談笑し、1990年辺りの三国志ファンの動向という貴重なお話を伺う。話が株式会社三国志の石丸さん(故人)の話になり、実は石丸さんと親交のあった草林舎の方がこの後、来られる、ってお伝えする。

※石丸さんについて参照ブログ記事
>>ベッラ・カンタービレ  Bella Cantabile

>>「三国演義」とカップッチッリ、そして石丸さんの思い出(※上記ブログ記事)

>>石丸夫人とお話して・・・(※上記ブログ記事)

>>石丸夫人から・・・(※上記ブログ記事)

>>終生「三国志」迷の私・・・3義兄弟、古城での再会と「P氏の円卓」(※上記ブログ記事)

   それと清岡からは『レッドクリフ Part I&II』の上映会は素晴らしい企画とお伝えした。

>>映画会『レッドクリフ Part I&II』一挙上映(2009年8月14日)

   あと下記にあるようにベイシティ・エンタさんが今回、持ち込まれたチラシ(後でパンフレットに挟む作業)によると、10月末に下記のようなイベントがあるそうな。

>>大型人形劇「三国志」総集編(静岡県下田市2011年10月29日)

>>三国時代から見た「魏志倭人伝」(静岡県下田市2011年10月30日)

   その間、おさっちさんも印刷所に行かれ、清岡への宿題として各ブースの貼り紙のデータ作り(ワープロソフト)とプリントアウト(おさっちさん持参のプリンター)の続きを託された。ちゃんと編集したものの、当日見ると、幾つか誤りのあったようで手書きで訂正されていた。どういう手違いがあったんだろう。誤って旧バージョンのデータが渡ったとか? プリントアウト開始したものの途中でエラーが起きて止まり持ち主のおさっちさん待ちとなった。
   18時ぐらいに、川本先生の人形のケース×2の組立準備。材料の目印は、買ったホームセンターで店員に付けて貰ったとのことで後はネジ留め(ドリルネジで)するだけとなる。。三方を透明のアクリル板で囲い他の面はベニヤ板の直方体で、ドリルネジで固定する要領だ。今日は予め組み立てて、ネジ穴を開ける作業で、にゃもさんと玄鵬さんでいたかな。当日、実際、組み上がる姿を見たが、手作りとは思えない良い出来だった。ここでベイシティ・エンタさんから看板屋に依頼する方法もあると助言を頂く。あと(ネタ話として)関羽人形の前にお賽銭箱を置くって案も(笑)。
   18時半ぐらいに草林舎さんがこられ、顔合わせ。何せ、「1日限定!三国志コレクション展」における川本先生の人形以外の展示物の提供者さんで、軽く自己紹介し合って、早速、打ち合わせする。当たり前だけど、USHISUKEさんと草林舎さんとはそれに向けて何度か打ち合わせをしており(監修で一部展示物に解説を入れて下さった満田剛先生も展覧会関連限定だと確か二度ほど参加されたと思う)、清岡も4月23日分、5月28日分、7月23日分(この日に展示品を選定)に参加していた。余談な上に個人的な話だが7月23日分は左右で違う靴を履き、靴底の高さが違うものだから違和感のありまくる一日だった。その日に宿題として残りのキャプション作りとして切手類を預かり、家で作業し、9月9日にその切手類の入った箱を抱え東海道線を通じ運んできたんだけど、結局、スペースの関係で当日、展示されなかったのも、(いろんな絵画に触れられるキャプション作りが楽しかったこともあり)今としては良い思い出だ。話を戻すと、そのため清岡はその時、草林舎さんと初対面ではなかった。いやそもそも第2回三国志祭の時に名刺頂いたんだっけ。

>>中華料理 三国志(大阪市西区西本町)

>>第2回三国志祭(三国志コレクション)

   USHISUKEさん側では「1日限定!三国志コレクション展」の展示物、軽く開梱して翌日の準備(位置決めとか)をするつもりだったが、一つのバンに詰め込んで持ってこられ、とてもじゃないけど、簡単に開梱できない、ってことで、展示の場所等は「ぶっつけ本番」ってことになった。今日のところは必要物資(ポスターを入れる枠(パズルを入れるケースって話だったが結局、ビニルの袋)やパネルに上から吊すS字管とか。ちなみにパネルは会場からの借り物で貼り付け禁止とのこと)を聞いてそれを買い揃え、当日は適当に並べ、後から判っている人(つまり事前の打ち合わせに参加した清岡)がキャプションを置いていくって流れに決まった。あと事前に選定した以外の展示物もたくさんあるってことで、キャプションなしも出てくるそうな(それはそれで見ている人にとっては嬉しいんだから良いし、予め草林舎さんが中華民国 英美烟公司(駐華イギリス会社)のタバコカード150種類(コンプリート)にキャプションとして全部、人物名を入れて下さっているとのことで来客者に楽しんで貰えそうだった)。「1日限定!三国志コレクション展」のスタートは開場から30分後の11時からで少しは展示作業に余裕ある。間を見計らって、ベイシティ・エンタさんと草林舎さんの顔合わせ。話の切欠にと思い、石丸さんをご存知だと言うことを伝える。
   次にUSHISUKEさんからの指令。幅600mm(机の高さ700mm)の高質紙のロールから1800mmと400mmの二種類(前者32枚後者20枚+予備数枚)をどんどんカッターで切り分けていく作業。前述したとおり、その紙は「1日限定!三国志コレクション展」の展示物を乗せる長机の脚を隠し見栄えをよくする役割だ。カッターは用意されていて、メジャーは清岡が持ち込んでいるものの、カッターを当てる定規がなかったので、教室内を探すと、川本先生の人形を入れるケースの材料であるアクリル板の切れ端があったのでそれを使う。19時ぐらいに、草林舎さんがホテルに行かれるとのことで、清岡は慌ててあれこれ質問した(ポスター類の時代は「中華民国」で良いか、とか)。その旨をUSHISUKEさんに伝える。後で「1日限定!三国志コレクション展」のキャプションをご自宅でプリントアウトしラミネート加工するとのことなので。USHISUKEさんはユザワヤに旅立たれた。
   それと玄鵬さんのデザインで印刷店から届いたチケットの実物を見せて貰う。赤が基調のシンプルで格好いい。19時ぐらいにボランティアスタッフで設営係チーフの三口宗さんが来られる。それからおさっちさんが帰ってこられ、明朝にパンフレットの印刷が上がるとのことなので、チラシをパンフレットに挟み込む作業は開場前に行うとのことで、今日は複数のチラシを1セットにする作業を行おうってことになった。三口宗さんは自前の腕章を持ってこられていて、それに設営係とかけて「薛瑩」(せつえい)と書こうとしたものの、その漢字が判らないと周りの人に聞いていたんだけど、そこでおさっちさんが「そんなのどうでもいいから手伝って」とか「そんなのどうでもいいや」とか冷たいツッコミを入れておられた(笑)
   19:15ぐらいに哲坊さんが有り難いことに差し入れ持参で来られる(※明日の出演者さんでもある)。清岡からは初対面だったが、ネットで何度か写真でそのお姿を拝見していたので初めてという気がしないという旨を告げていた。差し入れを囲んでその後、皆でしばし四方山話をしていた。
   それと各ブースの貼り紙のプリントアウトを再開したものの途中でインク切れ。夜遅いものだから近くでインク売っているところがないため、USHISUKEさんのプリンター頼みとなる。いつしか分担の流れ作業になっていて、皆でチラシのセットを作る作業を行っていて、清岡は黙々と紙のロールからカッターで1800mm長さに切り分けていく作業を行っていた。切り分ける作業はロールが一巻きしかないため、一人で行うのが効率が良いってことで清岡一人でやっていたわけだけど、実は後でロールが二巻きあることに気付いていた。その一人作業以外の、教室での作業は、基本的にみんなでワイワイ楽しみながら行われていた。ネタとしては、>>ヤオイはさっぱり判らないって話をしながら複数人がチラシセットを作る傍らで、清岡は黙々と紙のロールが丸まらないように『密やかな教育 <やおい・ボーイズラブ>前史』の書籍を丸まる紙に重石として置いて紙を切り分けるというシュールな一場面もあった。ともかくチラシの作業は終わり、USHISUKEさんが帰ってこられたのだけど、紙を切り分ける作業は1割完了ぐらいで終わらずのままだった。
   そこで紙を切り分ける作業に三口宗さんが加わり、すでに切り分け済みの紙に両面テープを付ける作業をしてもらう(当日気付いたし前日も危惧していたが、次への教訓としては両面テープの粘着力最弱だとすぐ剥がれるってこと)。その後、実は紙のロールがもう一つ見つかって、作業が分担できることが判明し、メジャーが足りないものの、テープで長さの印を付ける等のベイシティ・エンタさんのご提案も加わり、手の空いた、にゃもさんに手伝って貰う。
   20時半SILVAさんが来られ、イベント係のチーフなので、そのままUSHISUKEさんとおさっちさんと打ち合わせに突入。ボランティアスタッフのグループが違うせいもあって清岡とはあまり話せなかったが、2007年2月17日の「三国志ファンのための新年会2007」以来となるのかな? ともかく会えて良かった。なつかしい。こういう再開も長い間、同じ趣味を持つと起こりうる嬉しいことだね。

>>2007年2月17日 三国志ファンのための新年会2007

   その教室が22時までであったためまだ作業が残っていたものの、21時半ぐらいからは片付け・撤収準備を始め、荷物を台車で運び車へ積み込んだ。紙のロールから切り分ける作業は400mmの分が10枚程度、残っていたが、それは清岡が行うことになり、22時にその建物の駐車場で解散となった。
   この日、清岡が泊まる場所はUSHISUKEさんの住む集合住宅が管理しているゲストハウスだったので、車に同乗する。まず喉の渇きを潤すため、コンビニに寄り、飲料物を購入する。清岡はここでようやっと15時から7時間余りの渇きを癒せた(ならばどこかの自販機で買えば良いのにって話だけど成り行きで)。途中、当日の打ち上げの店の予約等の用事を済ませながらだったため、宿泊地近くのバーミヤンで食事を取ろうと腰を落ち着けたときは日付が変わるか変わらないかぐらいのときだった。

>>バーミヤン|株式会社すかいらーく|すかいらーくグループ

   ようやく一息付け、やはり次の日のイベントの話が結構、出ていた。すでに反省点として、出展ブースの申込はウェブページ上で初めに問い合わせを行って頂くのではなく、初めの申込段階でにブース名や紹介文の入力して頂くフォームを用意するべきだというのが出ていた。それが一因となって、イベント公式サイト上で開催日直前でのブース紹介となってしまっていた。まぁ、さすがに「権限が一人に集中しすぎて全ての対応が遅くなっています。最悪12日後の応対になっています。その所為で何人か参加者や参加団体を減らしています。次回からはもっと分散させていきましょう。あるいはマネージメントの係を立てましょう」という話は少しも言えなかった。それからUSHISUKEさんがスマートフォンでツイッターのタイムラインを見ていて、23:30ぐらいからイベント公式サイトにアクセスしづらい状況になっていたことを告げられる。

>>三国志フェス2011 9/9から9/12まで - Togetter

   ゲストハウスに行ってからあれこれネットを見てみると、有り難いことにいくつかの、いわゆる個人ニュースサイトに「三国志フェス2011」を取り上げていただいたので、それが繋がりにくくなっている原因かな、と思った(但し、清岡からはこれをどう解消すれば良いか案が思い浮かばないが)。
   食事を終え、紙のロール等を取り出し、USHISUKEさんと別れ、ゲストハウスに向かう。USHISUKEさんからハサミを借りようと思っていたがそれを忘れたため、宿題として残された紙の切り分けは切る前の段階である、400mm毎に折り目を付けるだけに留まり、それで眠る前の作業を終える。明日に備え、風呂に入り(自動お湯張り機能付き)、26時就寝。(※以上、2011年10月10日、17日に書き記す)


9/10   そして当日

・三国志フェス 2011年9月10日開催
http://3fes.sangokushi-forum.com/2011/
三国志フェス2011 於 大田区産業プラザPiO大展示ホール

>>三国志フェス2011リンク集

<<台風で延びた番組を見て旅立つ(2011年9月9日の雑記)

   上記雑記の続き。持ち込んだ電波時計の目覚ましでゲストハウスにて5時半に起きる。ゲストハウス内を整頓して出立に備える。6時半USHISUKEさんと待ち合わせとのことだったが、「1日限定!三国志コレクション展」のキャプションのプリントアウトに続くラミネート加工の作業がおしているとのこと。キャプションは140枚あるので無理もない、と思った。それにUSHISUKEさんはどうやら徹夜作業のようで。清岡からは宿題として残っていたコレクション展での長机の足を隠す紙を400mmに切り分けるためにハサミが欲しいとお願いする。
   10分程度、遅れてUSHISUKEさんが無事登場し、前日と同じくUSHISUKEさんの車に乗り込む。「同伴出勤」とか冗談を言いつつ。実は前日のおさっちさんに引き続き、USHISUKEさんのプリンターもインク切れをしたらしく、プリントアウトしてない分を、途中のコンビニでプリントアウトした。SDカード等のメディアがあれば24時間営業している店でプリントアウトできるだなんて便利な世の中になったものだ。清岡は「2008年度 東洋史研究会大会」での小林聡先生による報告「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」のレジュメのコピーをする。あと飲物や食べ物を買っておく。

>>「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容」ノート

   コンビニを発って、USHISUKEさんの車のナビを見ると、「三国志フェス2011」の会場となる大田区産業プラザPiOの到着予定時刻が8:40になっていた。スタッフの集合時間は8:30であり完全に遅刻なので、電話でその旨を伝え、おさっちさんに進行してもらうようお願いする。
   地下の駐車場に車を停めたり、あれこれしている間に、8:50ぐらいになっていた。USHISUKEさんと別れ、建物内で1階の会場前に行くと、すでにボランティア・スタッフがいくつかのグループに分かれていた(手元の資料によるとボランティア・スタッフ24名だ。連絡無しドタキャンがあったので結果的にこうなった)。遅れたことを謝りつつ、清岡は「1日限定!三国志コレクション展」のグループに入る。メンバーは、リーダーのにゃもさんさんを初め清岡を含め全員で4名だ。小松さんと早稲田大学三国志研究会出身の鉄巨人さんとは初対面。途中参加ながら、注意事項の確認と全体の流れを打ち合わせした。とりあえず今回、お昼休みに、コレクション展を会場に、満田剛先生によるギャラリートークが行われる予定で、それについては人員整理が居るのでこのスタッフ全員参加ってことを情報共有で。
   ある程度、終えると、前回と同じく今回もスタッフ証として黄色いバンダナ(つまり黄巾を模している)とネックストラップ(「スタッフ」じゃなくて「主催者」の方を頂いてしまったのだが・笑)を貰う。すぐに黄色いバンダナを左肩に装着する。USHISUKEさんにも渡して下さいってことで一旦、預かるも捕まりそうにないので直ぐに返す。結局、USHISUKEさんは黄色いバンダナを今回付けなかったんじゃないかな。
   9時になると出演者控え室兼スタッフルームが開くので、スタッフがバラバラにそこに荷物を置きに行く。そして会場が開きいよいよ設置の時間だ。これはグループ関係なく、スタッフが東面の置き場から皆で長机やイスを運んで、出展ブースの西から順に設置していく。どういった配置かは予め(先程)配られたマニュアルに、CADで描かれた配置図が記載されており、その通りにしてくれとのことだ。「薛瑩」(せつえい)と腕章を付けた設営係の三口宗さんが音頭をとっていて、スタッフによって長机が重なったキャリヤーが運ばれ、次々とそれらのキャリヤーから長机を下ろされ運ばれ配置される。この際、西面中央にある搬入口が使われるかもしれないので(西面はガラス張りになっていて外光が取り込まれていた。開場時にはブラインドが下りる)、まず西側、北と南の端から置くという流れだ。初めの方は長机の配置への迷いがあってかぎこちなく動くも、三口宗さんやおさっちさんが度々、修正し、徐々に皆の動きが早くなる感じだ。とてもさっき初対面同士だった人たちとは思えないスムーズさ。
   出展ブースの所がある程度、終えると、次は会場中央の「1日限定!三国志コレクション展」の長机やパネルの配置なんだけど、ここでUSHISUKEさんに声をかけられ、入口であれこれコレクション展のケースの組立工具、順路貼り紙、長机に貼る紙、草林舎さん用の雑品を受け取る。その間にもUSHISUKEさんは各方面から声をかけられる忙しさだった。出展ブースの出展者とか受付担当のスタッフとか。設営場所に戻ると、小松さんが「トワ」さんと名が書かれたマニュアルがいつのまにか手元にあったってことで「どうしましょう」と困惑されていた。まぁ取り違えてしまう程、それだけ設営に皆、集中されているんで「良いんじゃないですか」と申し上げておいたが。ちなみにトワさんはカメラ係だったので、捕まらない、ってのもあったので。
   9時半ぐらいに会場はすでに個別の設置に遷っていて、「1日限定!三国志コレクション展」のスタッフも、長机やパネルの設置に専念する。再びUSHISUKEさんに呼び止められ、駐車場の車を一階の西側搬入口まで動かし、そこから昨日、用意した川本喜八郎先生の人形用の展示ケースの板等を運び入れることに。運転後に、USHISUKEさんはカオポイントのおくまんさんから電話が掛かってきて、出演の事項確認やチラシの話をしたりとやはり大忙しだった。清岡はスタッフを呼びその展示ケースの板等を運ぶようにしてもらう。ちょうどおさっちさん所有の台車があったので。さらに草林舎さん提供の展示物(依然、梱包された状態)やブースでの販売物が、「1日限定!三国志コレクション展」の場所より東の北壁に置かれていて(おそらく連絡が滞っていて行き違いがあったのだろう)、そこは中国茶を振る舞う「百花繚乱」の場所で、すでにその担当のれいなさんが立って待たれていたので、両者に謝意を示した上で、移動して貰う。すでに会場では音楽が流れたりマイク・テストしたり何らかの音が流れていた(後で聞くにそれって会場提供の大田区産業プラザPiOの係の方が行われてたそうで)。それからUSHISUKEさんの車から出演者用のお菓子やお茶等を控え室へ運んだ(朝や昨晩にUSHISUKEさんがコンビニで購入)。
   9:40ぐらいには、にゃもさんと鉄巨人さんが川本喜八郎先生の人形の展示場所設営(パネル設置や展示ケース組立)、小松さんが長机に、足を隠す紙を貼る作業に移られていた。それから草林舎さんの代表さんから声をかけられ、いよいよ展示物の配置をして頂くことになる。事前の打ち合わせでは事前に配置を決めるってことだったが、作品数の量からそれは事実上不可能ってことで、結局、展示物の配置は草林舎さんに任せることになった旨を伝えた。それから通りすがりのUSHISUKEさんから満田剛先生執筆の「1日限定!三国志コレクション展」の挨拶のA3の紙を受け取り、にゃもさんに託す。あと展示ケース組立の工具も。実際、会場が出来上がると思ったより狭いってことで、順路の貼り紙の案は無しってことに決まる。
   10時ぐらいには、草林舎さんの代表さんに付いて、「1日限定!三国志コレクション展」会場の設営を進めていた。といっても展示物は草林舎さんの方のスタッフ4名ほどで梱包を開けて配置して頂いたので、それに関しては結果的に清岡は見るだけになっていたんだけどね。それと今回、川本喜八郎先生の人形の周りには著作権等知的財産保護のため、パネルを囲うようになっていたが、計画に沿って配置してみると、囲い外から中が見えるようになってしまったので、パネルを少々、入り組んだ形に変更になった。ここらあたりでおさっちさんと三口宗さんがそれぞれ別個で、各出展ブースの貼り紙を探していた。清岡が持っているとかUSHISUKEさんが持っているとか話になっていた(この結末については後述)。ここで三口宗さんの手配で、他のグループのスタッフから応援が来られたので(おそらく受付担当のグループだと思うが失念)、長机に紙を貼る作業(川本喜八郎先生の人形展示の方の長机優先で)や昨日、やり残した、400mm毎に折り目を入れた紙を切り分ける作業をそららスタッフに託す。清岡自身は草林舎さんの置かれた展示物にキャプションを配する作業に移る。140枚もあって、しかも過不足があるんで、なかなか作品とキャプションの対応ができず軽いパニック状態になっていた。10:15ごろ、満田剛先生が来られ、挨拶の後、行き違い(というか清岡の確認不足)で満田先生の方に展示物の「解説」を執筆依頼を受けていた項目(キャプション上では「解説」になっている。140作品のうち書きたいものに解説を加えて下さい、ってUSHISUKEさんからの依頼だったとのこと)は、清岡では日本語タイトルのつもりだった旨(そのためより短い単語になった)を伝える。あと中華民国時代のポスター(整理番号「掛19」の「江蘇省啓東煙草股份有限公司 金磚牌 哈徳門タバコ」)の解説が興味深かったことも伝え、しばし談笑。後日、にゃもさんのブログ記事(下記リンク先)で、曹操は登場しないまでも二嫂(甘夫人、糜夫人)と関羽の組合せが同室であることから「関公秉燭達旦」が元ネタだろうと書かれていて、なるほどな、と思った。『三国演義』の大体の時期だけで残りは全部、創作と思っていたので。今、見返すと確かに『三国演義』(毛本)第二十五回屯土山關公約三事救白馬曹操解重圍に「於路安歇驛館、操欲亂其君臣之禮、使關公與二嫂共處一室。」の記述があるね。

>>三国志フェス2011

   10:20ごろに草林舎さんの代表さんから川本喜八郎先生の人形展示のパネルの外側を展示に使って良いか聞かれる。パネルの囲いの内側から見ると、パネルに懸けるS字フックが特に目立たなかったので、若荀彧人形オーナーのまいこさん等に許可を取った上で、Goサインを出す。それと草林舎さんの代表さんから出展ブース(つまり売る方)の場所を尋ねられたので、それが書かれてあるパンフレットを探している間に、どこだか思い出し、そこへ担当の方を案内する(というか、ここらへんのブース出展者に対しての、配置を教える等の初めの応対も次回忘れてはいけない課題だね)。南の壁際、赤兎馬さん2スペースの西隣2スペース、長沙と江陵だ。昨日、どういった方針で出展ブースの配置をしたのかUSHISUKEさんに尋ねたのを思い出したので。10時半前の開場前に三口宗さんとUSHISUKEさんに会い、そこで各出展ブースの貼り紙が行方不明の件を言うと、USHISUKEさんが持っていたことが判明する。それを本部のおさっちさんに伝えると「でしょ~!」っておっしゃっていた(笑) コレクション展の場に戻ると、南側のパネルが連なるところの展示が開始されていて、詰めて展示されていたので、キャプションを貼るスペースを都合してもらった。あと長机に貼る紙が剥がれやすいって問題が起こっていてテープの粘着力が弱いって話だが、三口宗さん曰く貼り方によって剥がれる物と剥がれない物が出てくるとのことだ(前日に三口宗さんが両面テープを貼って貰ったので)。清岡は引き続き、キャプション置きの作業を続ける。やはりキャプションに関しては軽いパニック状態。その際に三口宗さんがおっしゃっていたが、開場前に客が行列を成しているという嬉しい報せがあった。それと別の場所でスクリーンに使うとかで、紙のロールを取りに来るスタッフがいらっしゃった(なんでも京劇の字幕を映すとかで。でも結局、会場備え付けの上からのスクリーンを使っていたような…)。
   10時半、三口宗さんが「ただいまより開場いたします!」と大声でアナウンスがあって、南の入口の扉が開き、どんどん来客が出展ブースのスペース方へ流れていく。幸い、というかそういう状況を想定してコレクション展の開始は11時からだ。依然、草林舎さんも(スタッフも)準備をしておられる。その少し前に手の空いたイベント担当のスタッフの方一人が応援に来て下さったのだが、来客の流れを横目に焦りつつも、前述の通りキャプションについて軽いパニック状態だったので、しばし自分を落ち着かせる意味でもその方と相談し(「いい具合にテンパってきた」とか呟いて、案外、その状況を清岡は楽しんでいたが)、結局、キャプションを半分ずつ手分けして探すことになる。結局、最後までこの方のお名前を聞けず終いだったが(あるいは聞いたけどテンパってたので余裕で失念したか。今、手元の資料を見返すと鈴木さんかな?)、真っ先にお礼を言いたい方だ。
   10:40ごろ、そういう状況で、タイミングが良いのか悪いのか、ふと西方向を見ると、来客の群衆の流れの中で一人立ち止まってこちらを見ている方が居て、それが青木朋さんだとすぐに判って近付き挨拶をする。会うのは2007年5月27日開催「三国志の宴2」(下記リンク先参照)で一般来場でお会いして以来かな?

>>2007年5月27日 赤兎馬Presents「三国志の宴2」第1部

   ちなみに今回も下記リンク先にあるように、清岡は「司馬懿くんのコスプレ」と称してスーツ姿で来ようと一瞬、画策したものの、この節電のご時世で、そんな暑苦しい格好は不謹慎とのことで涼しいカジュアルな服装で居た(何年か経つと意味が判らなくなるかも知れないんで一応、書くと、2011年3月11日、三陸沖東北大地震(のちに東日本大震災と呼称)→福島県の浜通りの原子力発電所事故→それに伴う電力不足による節電機運→当然、冷房を28℃設定にという意識、という流れ)。

>>2006年3月11日 プチオフ会 神田編

   こっちも手一杯なので、青木さんにまずコレクション展の現状を説明しつつ談笑してしばらくして別れる。あとコレクション展は11時開始であるが特に囲いがあるわけではないので、小松さんを呼んでコレクション展の場所(特に南側のパネル群と中央の机の間が広く通路になりやすい)に客が入らないよう、人員整理してもらうようにお願いする。その後、応援に来て下さってキャプションを貼って下さっているスタッフさんの所に行くとやはり持ってきた両面テープの粘着力が弱く、よく剥がれるって話をされていた。そこで草林舎さんの代表さんが有り難いことに、より粘着力の強い黄緑のテープを貸して下さるとのことで(これをわっか状にして貼る)、それをお借りする。ついでに長机に貼る紙の剥がれている所もそのテープに換えて貰う。清岡はキャプション振り分けの続き。
   その後、事前にUSHISUKEさんより、青木さんのブースの応対をするよう密命(でもないか)を受けていたこともあり、青木さんを見付け、ブースの場所をご存知ないとのことなので、一番、西南の一つ東の「江州」ブースへ連れて行く。草林舎さんの売り物の方のブースの西隣の1スペース分だ。そこには通常通り長机一台だけあって、展示のパネルが必要との事前の話だったんだけど、その話が通ってないようで、パネルが見あたらないので、青木さんにはまず長机一台だけで展示して貰って、その間、清岡がパネル探しの旅に出ることになる。おさっちさんにパネル余っているか尋ねるもないとのことで、次に草林舎さんにより展示作業進行中のコレクション展でパネルが余りそうか尋ねるも、現在、ユザワヤへS字管買い出し中でそれ待ちとのことで、パネルは逆に足りないぐらいとのことだった。ついでに様子を見ると、コレクション展の場所内の通路になりやすい所の出入口にコレクション展が11時開始である旨の貼り紙が小松さんによりされていたので、思わず「ナイスアイディア!」と言う。それから再び、応援のスタッフさんと共にキャプション配置の続きを行う。諸葛亮凧のキャプションはあるが、姜維凧のキャプションはないとか、博多人形の解説は満田先生が書かれているので、そこが文章形式になっていて長いのを目印に、とか。展示された、天平大雅氏制作の博多人形の諸葛亮については下記リンク先参照。

>>瞳 増刊2 博多人形師 天平大雅作品集(2005年5月)

   その次が南側のパネルのキャプション配置。事前の打ち合わせの際にはなかった拓本が有り難いことに、新規に大量投入されていたので、結構、無いキャプションが多いものの、「これは善明さんの書画」とか言いつつ、コレクション展の開場が近付きつつある中、楽しんで作業をしていた。にゃもさんによると、人形展の方の準備作業も押しているとのことだ。
   11時前に、ある程度、手が空いたので、再び、青木さんのブースにいってパネルがない旨をお伝えし、しばし相談すると、長机でも良いとのことで、清岡は長机を探す件を念頭に置いておく。東の端のステージでは坂本和丸さんの司会が始まったので、もう11時になったと知り、慌ててコレクション展に戻り、キャプション配置の作業を応援の方と再開させる。10分ぐらいで何とかできる作業を終える。対応するキャプションをお互いに探して「見付けましたか、おめでとうございます! 賞品は……キャプションを置く権利で!」とか冗談を言いつつ。まだ展示もキャプションも作業を終えてないが、草林舎さんの許可をとって、入らないようにする貼り紙イスを外す。三国志フェス内で「1日限定!三国志コレクション展」は初めての試みになるので、前日ににゃもさんに「第一回目なのでこれからのテンプレートになりますね」なんて言っていたが、そんな余裕もなく、慌ただしい感じとなりつつも、にゃもさんによると人形展の準備ができたとのことで、スタッフに監視員をしてもらい(今回、基本的に撮影NGとのことなので、その注意がメインになりそう、なんて言ってた)、11:10過ぎに「1日限定!三国志コレクション展」はオープンする。キャプション配置は依然、続行中。同じタバコのポスターだけど、タバコの銘柄が違うキャプションなので、取り替える、とか絶妙な作業をしていた。ステージでは哲坊さんと小日向えりさん出演の「ドラマ三国志 Three Kingdoms "違いの分かる"傑作選」が始まっていた。11:20、おさっちさんから15分押しだと伝えられ、そのため満田先生のギャラリートークも今のところ15分押しだと伝えられる。11:25、ここでようやくキャプションを置き尽くす。応援のスタッフさんともここでお別れとなる。満田先生が南のパネルの方を見に来られていたので、キャプションがない新規の展示物があることを伝える。
   ようやっと本来の監視員&説明員の業務に入ることができ、早速、今回の目玉となる中華民国 英美烟公司(駐華イギリス会社)のタバコカード(150種類)の撮影をしている方が居たので、注意したら、撮影許可をもらったってことを言われ、念のために草林舎さんに確認すると、それはOKとのことで、清岡は注意した方が誤っていたという妙な恥を掻いてしまった。それを他のスタッフに伝える。その恥のおかげで人見知りなく、左肩に懸けた黄巾バンダナを見せつつ「説明員をやってますが、説明要りますか?」と積極的に客へ声をかけるようになっていた。初めの方は前述のタバコカードの説明を行っていた。キャプションがないため、タバコのおまけにカードが付いている、という情報も書かれていないため、それを伝えるだけでも大きいと思うし。何回か説明しているうちに気付いたんだが、販売もある出展ブースの隣であるため、売り物と勘違いして触る方が結構、多い。その勘違いも納得できることに、いくつかはブロックやボードゲーム等の玩具が箱入りの形で展示されており(いずれも予定がなかった新規の展示物)、しかも間が悪いことに、それらはちょうど出展ブースからアクセスしやすい、中央の東西通路に接した机の上にあるからだ。数十人はその展示された箱を持ち上げたり、箱を開けて中を見たりしていた。それと長机の上に団扇の展示物があって、やはり団扇のままなんで、かなりの方は手に持ってしまっていてそれも注意していた。後半はその注意ばかりだったが、逆にその注意を話の切欠として展示物の説明していた。それらをにゃもさんと会うたびに、情報共有していた。次回、行うとしたら、ここらへんのノウハウが伝われば良いが。
   11:50、実はイベント担当から応援に来て下さった方がその後も長机から紙が外れてないか見て下さっていて、7割方、粘着テープを貼り替えて下さったとのこと。ホント、感謝することしきりだ。
   12時ごろ、初めのイベントステージが終わり、「百花繚乱」の中国茶実演を観衆に交じって見ていた青木さんを捕まえ、あれこれ連絡をする。こちらからは無料配布冊子『三国志ジョーカー 時代考証集』に何も説明が添えられていないので、捌けないんじゃないかという提案で、向こうからは長机の調達宜しくってこと。というわけで、清岡は長机探し行脚の旅に出る。
   長机はステージの向かって左、つまり会場の東北にまとめて置かれていて、ちょうどイベントの合間の時間だったので、そこまで入り込み、一人でそれを奪って運び出す。イベントステージの観客席を出たところで、有り難いことにスタッフのまめもやしさんに気を遣っていただく。なんせこんな時間に長机を重そうに持ち歩いているし(笑)。青木さんのブースに行くと、二人が見て居られるので、青木さんは今、「百花繚乱」(つまりお茶のところ)のスペースにいらっしゃることをお伝えする。それと、無料配布の冊子『三国志ジョーカー 時代考証集』の件や、後でちゃんと展示される旨もお伝えする。それからコレクション展の説明員へ復帰する。そうすると、お客さんに前回の三国志フェスで、関羽のコスプレを着ていた所を目撃した方がおられ今回はそれがないのか尋ねられる。そこらへん近くに居られた草林舎さんの代表さんに話を振る。前回着た人の一人は確か、さっき会ったスタッフの方のような。

>>三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)

   12:10、再び青木さんのブースに行って、しばし談笑(「強力なスクリーニング」と茶化しつつも、ネット上の告知が遅れたことについてのこちらからの謝意含む)。長机があと一台必要ってことで、二人で運び出すことに。幸い、依然、イベントの合間なので、すんなり会場の東北へ行き、清岡先頭にブースまで運ぶ(その場のノリだったけど、今から思うと出展者にスタッフみたいなことをしてもらって申し訳ない・汗)。運び終え結局、三台の長机を上から見て凹型になるよう配置した。つまり客側のスペースが広がる形で、三台の長机の上に出展ブースでの展示物が乗る。青木さんが用意した展示物は、青木さんのマンガ『三国志ジョーカー』で描かれる当時の文物と、それらに対応する実際の文物の写真とを並べて見せるという興味深いもの。中央の長机の通路とは逆側に青木さんが座り、そこでサインやイラストを記すことができる。展示物を縮小して一冊のコピー本にしたのが無料配布の冊子『三国志ジョーカー 時代考証集』になる。個人的にはP.3の「兵馬俑の/鎧が好きなんじゃよ。」等、ほのぼのとするコメントがツボで、あと最後の出典のところの下にある、登場人物の絵とその呼び名が妙にツボだった。
   隙を見て、青木さんにお土産の緑寿庵清水の金平糖(レモン味。もう一つのオレンジ味は昨日、USHISUKE家へ)を渡す。しばし京都トーク。

>>緑寿庵清水

   12:20ごろ、会場にマイクを通し満田先生とカオポイントのおくまんさんの声が響き、ステージにて「三国志街道の集い 特別編」が開始したことを知る。清岡は依然、青木さんの出展ブースに居た。一番の気懸かりはその出展ブースに客が来るかということだった。こう書くと語弊があるんだけど、今回、青木さんが「三国志フェス2011」内にてブースを出しサイン会を行うお知らせが諸般の事情により三日前という、思わず「強力なスクリーニング」と称してしまう状況だったので、『三国志ジョーカー』等の青木作品ファンに情報がリーチしていない可能性が高かったからだ。もっと早く告知できてればそんな心配もないのだが。

>>三国志ジョーカー 第3巻(2011年8月16日)(※『三国志ジョーカー』についての参照リンク)

   しかし、長机一台時代(?)にも二人組の客が来ていたし、長机三台時代もしばらくすると、一名が来られ、早速、青木さんにイラストを求めていた。その方は『三国志ジョーカー』に登場する趙雲が大好きな方だったんでそれをお願いされていた。青木さんの方ではたまたまコピーの裏紙が手元にあって、これじゃ失礼ってことで変えようとしていたが、裏はなんと『三国志ジョーカー』のページだった。清岡は横から「(裏が『三国志ジョーカー』だったら)逆に嬉しいんじゃないですか?」とコメントし、結局、その紙を使うことになる。清岡は後から鉛筆で薄く補助線を当ててからペンを入れる様を見ていた。見る見る内に、趙雲+犬(笑)の出来上がり。
   慌てて清岡はコレクション展に戻るも、来客が少ない時間帯だったので、スタッフに行き先を告げて再び、青木さんのブースへ。すでに二組目の二人組が来られていて、そこでもコピーの裏紙が求められていた。それを見て、後から清岡は「まるで西洋に浮世絵が伝わったときのような状況」とよく解らないことを呟いていた。ところが今度のコピー紙の表は『幇間探偵しゃろく』のページだったんで、今度こそ断られると思ったら、OKとのことで、清岡は「青木朋フェア」とか言ってた。前述の参照リンク先に触れてある、『三国志ジョーカー』第3巻2011年8月16日発売と『幇間探偵しゃろく』第2集2011年8月30日発売のコラボレーション企画「イチ押し! 青木朋フェア!!」(秋田書店×小学館合同企画)と懸けてのコメント。
   12時半ごろに『三国志ジョーカー』の担当編集さんがブースに来られる。それを見て清岡は『三国志ジョーカー』のカバーを外すと表紙におまけマンガ『GoGo! しばりくん』(前述の参照リンク先、今、確認すると登場は単行本2巻の回だね)で担当の方が出てきたのを思い出し、青木さんに「しばりくんの方ですか?」と聞くと、青木さんは編集さんの見た目でそう思ったと勘違いされたのか「似てるでしょ?」と返事が来る。言われてみれば確かに雰囲気も含め似ている!
   12:40ごろには、早速、編集さんはお仕事に入り、持ってこられた『三国志ジョーカー』単行本三種類を中央の長机に平積みし、POPやチラシ(試し読みのもの含む)をあれこれ置かれていた。それで西隣が垂井雪嶺さん(垂井ひろしさん)のブースで、そこはパネルを三方に立て、その内側に『日経ベンチャー』(下記リンク先参照)で掲載した原画を展示する方式だ。

>>三国志人物伝(日経ベンチャー2006年4月1日-)(※垂井さんについての参照リンク)

   それより、垂井ひろしさんはF1のイラストレーターとして有名な方で、下の写真にあるように、鈴鹿サーキットで個展を開くほどの方だ。余談ながら記しておこう。

2010年10月7日撮影。垂れ幕

   そういったパネルの使い方なので、垂井さんのブースでのパネルの外側、つまり青木さんのブースから見えるパネルには何も貼られていない。そこで編集さんがそこを利用して『三国志ジョーカー』のPOPを貼ろうと垂井さんと交渉する。OKが出たが、テープでパネルにPOPを貼ろうとされたので、止める。実はそのパネルは会場からの借り物でありテープで貼るのはNGとのことだ。それを見かねた垂井さんが提供してくれた物はコクヨの「プリットひっつき虫」という商品だ。とりモチみたいなので、固定する仕組みなのでテープみたく、剥がしてもパネルにダメージが残らない。というかテープNGならば本来主催者側がこういうのを用意すべきなんだよね。次回への課題の一つだ。

>>コクヨS&T株式会社

>>タ-380 - 商品情報詳細 - 商品検索(商品データベースから探す) - 商品情報 - コクヨS&T(※上記サイトページ)

   良い案配で間が空いたので、清岡から、お土産の第二弾として清岡の論文「現代日本における三国要素の変容と浸透──アクセス集計を事例に」(『三国志研究』第五号)の抜き刷り、お土産の第三弾として、朝、コピーした冠関連のレジュメ、を青木さんへ渡す。

>>三國志研究第五号(2010年9月11日)

>>「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容」ノート

   口に出さなかったが、個人的にはお土産の第一弾、第三弾はカモフラージュで第二弾が目的。別に専門家ではないので、なかなか特殊な三国関連の論文抜き刷りを他人に渡す機会がなく無駄に自宅で眠っているので。今回、遠方からここへ足を運んだ三つある目的(後付でない自信はないが)のうち一つがこれだ。
   以下、当日に接した話から離れるんだけど、「三国志フェス2011」に後漢末や三国時代の歴史要素がほとんどないので、それそのものに興味がなかった。「それって『続漢書』輿服志や画像磚石を全然、参考にしてない冠だし」等、思ってたりと。正確には近くで開催されれば行くかな、という程度の興味だった。それに今まで多様な三国イベントに一般参加していた訳だから、スタッフとしてではなく一般客として来場し、対等な距離でそれらイベントと比べてどう言った長短があるか、表から見える範囲で事情はどうなっているのか等を味わいたいと思っていた。だが、立場上、足を運ぶとなるとスタッフとして参加せざるを得ず、それにイベント内の数々の企画の事情を聞いたりそれまで参加した打ち合わせからスタッフとして参加すれば確実に楽しめることが判っていたので、距離を置いた形で客観的にイベントを評価し他と比べ楽しむ機会は無さそうだった。だけど、以下の雑記にも書いたように、スタッフの数が要るという必要性があり、もっと前向きにスタッフ参加を楽しめる自分だけの目的を決めようと考えた。目的の一つが来月海外出張のUSHISUKEさんを見送ること(当時公表されてなかったが)なので、これで目的の二つまで達成でき、残り一つ(後述)の機会を伺う。

<<どんどんツッコメ(2011年9月2日の雑記)

   12:40過ぎ、小林先生の冠関連のレジュメを青木さんに見せる。はじめの見開きが文章になっており、それをめくってちゃんと写真があるところを見せると、やはり食い付かれ、「字ばかりだとどうしようかと思った」と安心された。
   ここで編集さんと名刺交換で、しばし談笑。告知が遅くてファンが来ないのでは?と思ったがその割にはファンらしき人が訪ねに来ていると清岡。一区切りするとと編集さんは会場内へチラシを配りに出かける。それは後で開催される青木さんのサイン会の告知も兼ねているそうな。
   その後、レジュメを当てに冠トークの続き。まず清岡からレジュメの概要を説明する。それからおさらいがてら両サイドの梁を数えない説の話をする。下記のリンク先にあるように、2007年5月27日以来なのかな、畫像好き好きサークル「梁はいくつだ?!」(…って毎度、実在しない)は。

>>「三国志の宴2」が始まるまで

   青木さんより、冠は実物がないので判りにくいって話より、武冠は出土しているが進賢冠が出土していないって話に続き、拝している人の梁が外れている画像石があるんで梁が着脱式であることは間違いない、と清岡。さらに、ある陶俑では梁の上部から抑え込む形で紐が通っている描写があると清岡。物が一発でれば判るんですけどね、と青木さん、等々の会話が続く。
   12:50ごろ、コレクション展の所へ戻る途中で、編集さんからサイン会の開始時間を聞かれる。13:30から始まるとの話だったが、時間は未だ流動的ではっきりしなかった。清岡より、詳細は本部に確認してくれってことで、おさっちさんの姿が見えたので、そちらに問い合わせるようお願いした。
   13時前、ブースの所へ訪れる、ふと思い付き、「(「三国志フェス2011」の出演者・スタッフの)打ち上げ参加されますか?帰られますか?」と聞いてみると、青木さん曰く「誘って下さるんでしたら」とのことなので、清岡は「(間を空けず)いや、誘いますよ!」 と答える。出展ブースの出展者なら権利があるんだけど、ここらへん伝達されていない。これも次への課題。そうこうしている間にブースへのお客さん。
   13時ごろ、またまた客(スタッフ)が来る中、「折ってくれますか」と青木さん。何かと思えば、無料配布の冊子『三国志ジョーカー 時代考証集』の一部である印刷した紙だ。なぜかその紙を折ってホッチキスで中閉じし、コピー本を作る清岡。さらに客(スタッフ)が来たんだけど、スタッフの客が連続したんで「何かさくらみたい」と茶々を入れる清岡。13時過ぎ、思い出したように清岡から青木さんに、漫画家の『曹植系男子』の、ねこクラゲ先生や、『孔明のヨメ。』の杜康潤先生が一般参加として来場している話をふる。

※参照リンク
>>曹植系男子(2011年3月10日)

>>孔明のヨメ。(2010年12月2日)

   自分で名乗らないだろうから、もしかして今までのお客の内に誰か居たかもしれないな、って話をしていた。それに乗る形でブースを見に来ていたスタッフの三口宗さんが有名な三国漫画家を集めたアンソロジーを読みたいって話をされていた。昔、コーエーから『コミック三国志トゥルーエピソード』ってのが出版されていたが、その有名漫画家版ですか?と清岡。

>>2005年6月 コミック三国志トゥルーエピソードvol.1発売

   13:10、やはりコレクション展に戻る清岡。その時にUSHISUKEさんに会ったので、青木さんの打ち上げ参加を打診すると、OKとのこと。さらにブースに行くと、編集さんが買ってきた弁当で青木さんが食事する直前だった。清岡が昼飯まだとのことで、コンビニで小銭を作るために編集さんが購入したベークルを頂く(よくよく考えたら清岡は厚かましいタイミングで訪ねたんだね・汗)。13:20からサイン会開始とのこと。それで清岡は思わず「あと10分で(青木さんが)食べろってことですか?」って口走ってしまう。食事の間は会場の反対側のステージでちょうど「三国志街道の集い 特別編」の最中で、マイクを通しあれこれ聞こえてくる。そこで清岡は満田先生の持ちネタが「ドリーム・クラッシャー」ってことを伝える(ぱっと聞くと何のことだか判らないが少し考えると納得できるので便利な言い回し)。「三国志街道の宴」では定番らしい。あと青木さんからサイン会の話を伺う。通常、書店で行うときは、当たり前だけどサインした本の所有は書店側にあるので、金銭の授受が発生せず本の所有も明確だが、今回のようなイベントでは一般的にどうなるんだろう、って話。その点で今回、同じくサイン会を行う吉川永青先生は買い取りなのかどうか知りたがっていた。にゃもさんがブースに来る。コレクション展のスタッフ総支援のギャラリートークはいつからか尋ねると判らないとのこと。ちょうど、まだ満田先生出演の「三国志街道の集い 特別編」が終わったところだった。すぐにギャラリートークが始まるとは思えないけど、一応、にゃもさんと共にコレクション展の方へ向かう。途中、ステージ上で司会の坂本和丸さんが「この後」ってことでギャラリートークの紹介をされていた。ステージ上からどこで行うか場所を示す。その時に、コレクション展の集合場所にスタッフが立って合図を返すというやり取り。
   13:20ぐらいに、その途中で、先程、青木さんのブースを訪ねた方(趙雲をリクエストした方)を見掛けたんで、先程の知らない間に漫画家と会っているかもしれないという話を思い出し、探りを入れるように声を掛け、ねこクラゲ先生は個人サイトもブログもツイッターアカウントもある方なので(杜康潤先生もだけど)、まずネットを使っているかを尋ねると、「ネットなんか知りません」とのことだった。じゃ全くの見当違いだな、と思い通り過ぎる。この話には後日談があって、次の日にツイッターのタイムラインを見返すと、おそらくこの方のアカウントを見掛ける。それによると清岡が声を掛ける前に、見掛けたら声を掛けて下さいとこの方がつぶやいており、清岡が声を掛けた後で、知らないと言ってごめんなさい、てな旨のつぶやきがあった。つまり、タイミングが良いのか悪いのか、相手から見るとまるで清岡はツイッターを見て声を掛けたようになっていたという状況だ。しかも、さっき青木さんのブースで会ったばかりだからこちらのことを認識しているだろうと清岡は思ったが、やはりそこはファン心理で、おそらく青木さんしか認識しておらず清岡は認識外だったようで、初対面みたくなっていた。思わずツイッターのメッセージで名乗り出てこの驚かせた件で謝ろうかと思ったが、それは恥の上塗りと思い、未だ申し出ず終いだ。この話のオチとしては、肉体的特徴は全く違うが、(詳しくは書かないが)ねこクラゲ先生(後述)とファッションの方向性は似ていたってところだろうか。
   それでギャラリートークの満田先生待ち。USHISUKEさんに確認取ると時間が決まってなくて、満田先生次第ってことらしい。それを他のスタッフに情報共有する。にゃもさんと三口宗さんとトークで、数日前に急遽発売決定した張飛ビール(下記リンク先参照)の話と、ねこクラゲ先生を見掛けたか?って話。見掛けてないとのこと。ちなみににゃもさんは『曹植系男子』のファンとのこと。待ち時間の間、やはり清岡はコレクション展で説明員行脚する。

>>伏竜舎的博客(伏竜舎のブログ)

>>張飛ビール(※上記ブログ記事)

   13:30ぐらいに草林舎さんの代表さんとトーク。連環画の複製が展示されていたので、それの複製元の時代をきくと清末とのこと。「横山三国志」がどういった影響を受けていたのかに興味があるという旨を清岡は口にした。今、よくよく考えたら清末(~1912)だったら、陳丹旭『連環圖畫三國志』(上海世界書局1927)より古いことになるね。もっと詳しく聞いておけば良かった。

>>リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法

   気になってサイン会のところ(五丈原広場、南の出入口近傍の空間)を見に行くと、青木さんのサイン会にえらい数の行列ができていた。そこにいらっしゃったイベント担当のスタッフと話すと、その行列が出入口に被り通行の妨げになるのを懸念していたので、行列を整えるよう進言し、その通りになる。前述の通り、強力なスクリーニングがあるため、出展ブース以外にもこのサイン会の集客も清岡の懸念事項だったが、そんなのは杞憂だったと思い知らされる。すごく人気! もっとも編集さんの会場での営業活動も見逃せない所だ。これでちゃんと告知していれば整理券が必要になってくるね。
   それからコレクション展のところに戻り、ギャラリートークは13:40からと聞き、時間が近付くと坂本和丸さんからのアナウンスが入る。満田先生が来られて曰く「ホント、見たことないの(事前予告なしの新規の展示物)、結構ありますね」(一同笑) それで清岡曰く「なので、アドリブで……私がピエロやりましょか?」とネタを入れる。満田先生の元教え子が一人、いらっしゃった。その方は大人数のグループに居たので、一瞬、その全員が元教え子かと勘違いし「これ、全員、さくらですか?」と失礼なことを口走っていた。
   13:40にギャラリートークが開始される。14時に次のイベントが始まるってことで、満田先生に急ぎ目に、お願いする。満田先生による挨拶が掲げられているコレクション展の西北に集まり、まず満田先生によるギャラリートークの挨拶から。スタッフ(というより予定が決められていなかったんで清岡)からの指示で先ず川本喜八郎先生の人形展から始めて貰う。人数が多いんで(ちゃんと数えれば良かったんだけど40人ぐらいは居たかな?)、その部分(パネルの囲い内)へは2グループに分けてのギャラリートークとなった。1グループ目の囲い内でのギャラリートークの間、人員整理をしていたんだけど、その間にも新たに客が来るという盛況振り。その間も清岡はグループ展の監視員&説明員も行っていた…いや待ち時間、暇だったので。
   13:50ごろ、コレクション展の東北、人形展の出口ぐらいでギャラリートークの人員整理要員として待機していると、哲坊さんが来られ、出演された「ドラマ三国志 Three Kingdoms "違いの分かる"傑作選」の感想を聞かれる。前述したように、その時間、清岡は前半、コレクション展のキャプション配置に大忙しで、後半、オープンしたばかりのコレクション展の監視員&説明員のノウハウを掴もうとやっきになっていたため、まともにそのイベントステージを見ておらず、謝りつつその旨を告げる。しっかり見て感想を告げてどういう反応が返ってくるのか、という楽しみがそこで失われたと清岡は知り、表では謝りつつも内心、悔しがった。そこへ同じく人員整理要員として待機していた小松さんが話に入ってきて、「楽しかったですよ」とナイス・フォロー。
   まだ待ち時間ながらも、近くで客と草林舎さんの代表さんとが写真撮影について、話していて、そのやりとりに便乗する形で、草林舎さんの代表さんの許可をとれれば写真撮影できる形に変え、他のスタッフにもそれを共有した。
   14時ごろ、ギャラリートークは人形展からそれ以外の展示物に移り、ここから2グループが1つに合流する。満田先生の声が一番外側の人に届いてないのではないかと懸念し、次回があれば拡声器が要るとにゃもさんと共に話していた。タバコカード、ポスター、王大凡の陶板など、解説が入っていく。そんな中、ステージから「三国志総選挙!中間発表!」が14:10開始だという旨を坂本和丸さんからアナウンスされる。そして清岡はやはりギャラリートークを横目に監視員&説明員。
   14時過ぎ、受付担当のスタッフに1名体調悪くなった方が出て大事をとって帰られたとのことだった。ちょうど受付担当のスタッフの多くが「百花繚乱」の茶会に出るためその時間は抜けると予め告げていたため、急遽、交替人員が要るようになった。そのヘルプとして、コレクション展担当からにゃもさん、イベント担当からSILVAさんが行かれる。実の所、両担当のリーダーという豪華なヘルプだった。
   14:10ごろ、小松さんと談笑しつつ、その話の流れで、中華民国 英美烟公司(駐華イギリス会社)のタバコカード(150種類)にキャプションが用意されてない旨を告げる。しかし、実のところ、150種類の内、キャプション作りの宿題として借りていた切手群に張飛と趙雲のカードが含まれていたため、その二つについてのキャプションはある。小松さんの協力を得て150種類の中から張飛と趙雲を探し出し、それら二つの近くにキャプションを貼る。誰か気付いてくれるか期待した割には反響は亡かった模様。14:20ごろ、依然、青木さんの行列があり盛況。コレクション展の西北にいらっしゃる鉄巨人さんと情報共有をするに、監視員にはイスが要るって要望(もともと設置される予定だった?)を聞く。14:30ごろ、依然、青木さんの行列があり盛況。
   14:40ごろ、コレクション展の会場にて、写真撮影を注意したら、よく見ると打ち合わせで何度かあった草林舎さんの方だった。ちゃんとネックストラップつけてるし。その方曰く、滅多にない機会なので撮っておこうと思ってたとのこと。そうしている間に、「三国志総選挙!中間発表!」終了 15:10に特別講演『京劇と三国志』が行われるとアナウンス。あと神速入場は何時だとかもアナウンスされる。この神速入場はアイディアの段階では元々、「ファストパス」という名称だったが、商標があるってことで(今見ると、商願2011-48181)、おさっちさんのアイディアで「神速入場」に一発で決まる。
      ※「神速」っててっきり『三国志大戦』由来かと思ったが、今、見ると『三国志』巻十四魏書郭嘉伝に「至易、嘉言曰:兵貴神速。」ってあるね。知人が映画『三国之見龍卸甲』を見ていて、オリキャラの曹嬰が孫子を引いてその言葉を言って「神速だったら郭嘉孫子は拙速」ってツッコミを入れていたんで。
   14:40過ぎ、ステージの坂本和丸さんから五丈原広場(その東側)で吉川永青先生のサイン会が行われるというアナウンスが入る。続けてUSHISUKEさんがステージからその作品の紹介があり、さらに吉川先生の横で三口宗さんが呼び込みを行っていた。というか五丈原広場の西側では依然、青木さんの行列がある。
   14:50前、コレクション展の北側に展示される中華民国時代のタバコやビールのポスターは貴重であり年数が経ち脆くなっている故に、それ自体を延ばして固く止めるのではなく、一旦、平面状のビニルの袋に入れて、そのビニル袋をパネルの上からS字管でつり下げるという方式だ。そのため、そのビニル袋内でポスターが丸まることが何回かあった。そのため、客の居る前で、にゃもさんと共にその時間、ポスターの丸まりを正す。最後には草林舎さんの代表さんを呼ぶって結果となっていた。
   14:50すぎ、そろそろ行列がなくなりつつあり片付けに入っていたので、青木さんのサイン会会場に行き、「お疲れさまですー」と言いつつ、様子を見る。そうすると単行本以外に人の名前がたくさん書かれたメモがあった。一瞬、何か判らなかったけど、少し考えると、ここに名前を書いて貰ってサインの時に「○○さんへ」と青木さんが贈る相手の名を書くためのメモだと気付く。そういや「テンメイ」さんと読める漢字も見えた。

>>テンメイのこんなモノ集めてみました。

>>9月10日に投稿したなう(※上記ブログ記事)

   15時前に、コレクションにて、例の売り物と勘違いされやすいブロックの所で、似たような箱を触ろうとした客を注意し、いつものようにそれを足縢りに説明をすると、その箱に収められているのがどういったものか気になっているそうな。草林舎さんの代表さんを呼んで、箱を開けて、中を見るとそこにはボードゲームが。しばし客二人と四人で談笑する。許可を取れれば展示物に触れるようにするよう後にスタッフへ情報共有する。あと例のブロックについて、草林舎さんの代表さん曰く時間があればブロックを組み立て展示したとかいう案を披露されていた。それも良い案だ。清岡からは、コレクション展にて、出展ブース(つまり出店スペース)の宣伝もすれば良かったのでは、という提案を差し上げた。客が馬超ファンでそこにあった馬超プラモデルを欲しがっていたので、清岡曰く「(草林舎さんの代表さんはコレクション展にいつつ、きっと)マーケティングされているんで、熱烈にアピールすれば輸入されるかも」と冗談めかしく言った。それと草林舎さんの代表さんから顕彰展の話が出ていた。つまり予約制で特定の人にだけ見せる展覧会なんだけど、それをするにしても場所がないって話で。その後、清岡は引き続き監視員&説明員をする。
   15:15ごろ、坂本和丸さんと加藤徹さん出演の特別講演『京劇と三国志』開始。場内にそのやり取りの声が聞こえ始めたので知る。
   15:20ごろ、コレクション展にて、なぜか掛け軸と共に記念撮影するのが大流行し、その都度、草林舎さんを捕まえ許可をとる。
   15:30ごろ、ふとステージイベントの観客席を見ると、最後尾の一つ飛び出た席に青木さんが座っていた。確か、この講演を楽しみにしていてその時間だけはブースから抜ける旨をおっしゃられていたんで、サイン会が押したんだと理解する。あれだけ大盛況だったから無理もないか。イベント担当のスタッフが空かさず講演の資料を青木さんに渡す。さすが。
   15:40ごろ、コレクション展にて哲坊さんに説明する。にゃもさんから、次のイベントステージの出演エレキコミックやついいちろうさんが出展ブースを回っているとの情報が来る。哲坊さんがブログ用に許可をとって草林舎さんの代表さんと関羽コスプレマネキンとのツーショットを撮影されていた(今、その写真を見ると、奥にやついさんとおくまんさんが誰か判別できないレベルで写ってる)。
   16時前、にゃもさんがタバコカードを見ながら小松さんに謂って曰く「呉はこれから注目されるんじゃないですかね」そこに清岡が現れて曰く「なんかそのセリフを十年前に聞いた気がする」
   16時ごろ、コレクション展にやついさんがおくまんさん等数人と共に来られ、変にテンション上げるのも迷惑なんで、監視員&説明員の役割に徹し、微妙な距離で立っていた。まず展示物の中で、中国中央電視台制作のドラマ『三国演義』の曹操の鎧(レプリカ)の説明をする。面と向かうのは2007年5月27日開催赤兎馬Presents「三国志の宴2」終了直後以来2回目。

>>赤兎馬Presents「三国志の宴2」第3部

   ちょうど近くに持ち主の草林舎さんの代表さんもいらっしゃったので説明に加わって貰う。やついさんのお連れの方が「近いよ」っておっしゃっていて何のことだと思ったら、やついさん曰く「馬超の鎧を作ったんですよ、まさにこんな感じ」とのこと。その話の「馬超の鎧」は次のイベントステージで着ていたコスチュームだろう。その後、関羽の衣装、皮影(ピーイン、影絵)人形の説明と移り(西から東への流れ)、後者は何体かあって赤兎馬に乗り長いヒゲのある人物を「これなんか関羽っぽい」等おっしゃっていた。
   その次が64個の小瓶の所だ。その小瓶一つ一つに三国の人物が描かれている。真っ先に何の用途か尋ねられたので、調味料入れたりするものだけど、そう使わずにやはりコレクターズアイテムだということはお伝えした。それから「いくらぐらいするんですか?」という質問に、さすがに答えられないので、草林舎さんの代表さんを呼ぶ。そうすると開口一番、「売り物じゃないんで」とのことで、清岡が「当時、いくらで買ったとか?」とフォロー入れると、「十何年前、当時、数万円した」とのこと。おくまんさんはこれが一番だとおっしゃっていた。
   16:05ごろ、ステージイベントでは京劇が始まる。演目は馬超と張飛の『二将軍』。遠くからもステージに惹き付けられたんだけど、後でそれは照明によるところでもあると気付く。前回なかった舞台装置の一つだ。それが妙に幻想的な場を演出していた(遠くから見ていたから周辺も視界に入りそうに見えた)。あとスクリーンにはセリフの字幕が映し出されていた。
   京劇が終わっても出演されていた京劇役者お二人の出番は終わらず、続けて写真撮影会となり、大勢の観客がそこへ押し寄せる。その場所がコレクション展の西北と、出展ブース北側との間のスペースであるため、コレクション展のスタッフ総動員で展示品に当たらないよう目を光らせる。
   それが終わると、ステージイベントでは急遽、3分間、出展ブースにだされている澤田平さんが諸葛弩のパフォーマンスをステージ上で行う時間が設けられる。
   17時前、「やついいちろう三国志トークショー」が始まり、コレクション展の客もすっかり少なくなったので、青木さんのブースへ向かう。すでに編集さんはお帰りになっていて、そこには客がいらっしゃって、サインを貰っていた。イケメンが好きらしい。
   17時過ぎ、清岡は青木さんに「サインもらえたんですか?」と尋ねる。青木さんは加藤徹/著『京劇』を持ってきておりそれに著者からサインを貰おうと画策していたそうで、貰えたとのことだ。やはりサイン会が盛況だったことの話を清岡から切り出す。その場におさっちさんがいらっしゃって、USHISUKEさんが清岡を探していたという伝言を承る。そこからUSHISUKEさんを少し探しに出る。コレクション展のところへ戻ると、草林舎さんの代表さんと撤収の話をして、18時になったら車を搬入口に持ってくるという段取りだそうな(但し実際はもっと遅かった)。
   17:05ごろ、青木さんのブースへ行くと、おさっちさんが訪れていて、サインを頼んでいた。清岡からはサイト「三国志武将列伝」の管理人と言えば判るかな、おさっちさんを青木さんへ一言紹介。

>>三国志武将列伝

   それから青木さんにサイン会の話を伺う。まず「お疲れではないですか?」と聞くと、書店回りでのサイン本作りに比べたら楽とか。書店回りをすると、次の書店に行かないといけないんで、編集さんと書店の店員さんの見る中、急いで描かないといけないそうな。

>>青木朋HP++青青

>>書店様まわり(※上記ブログ記事)

   その話の流れで、「そう言えば、結局、ねこクラゲ先生に会えました?」なんて清岡が話を振る(実はそれを目の当たりにするのが清岡の三つ目の目的)。そうすると、返事が来る前に二人組の客が現れてそちらに注意が向けられる。青木さんがそちらに視線を向けたまま「あれ、ねこクラゲさんです」とおっしゃられる。なんともタイミングが良い話だ。その時にはどこで両人が会ったのか清岡は知らなかったんだけど、後から聞くに、サイン会の際に青木さんが相手が告げたキャラの好みからそれがねこクラゲ先生であると見抜いたそうな。ねこクラゲ先生と一緒にこられたのはもぐさんとのこと。
   中の長机の右側に青木さんが座っていて、ねこクラゲ先生を左側に座るよう招く。こうして漫画家お二人が左右に並んで座り、イスが二席なので、さらにその外の両側に清岡やもぐさんが立つ。談笑しつつ、その流れで、お二人は一つのスケッチブックに並んで絵を描くこと、つまりお絵描きタイムになる。どんな絵を描かれたかは下記の青木さんのブログ記事参照。右二列が青木さん、左三列がねこクラゲ先生によるイラスト。つまりは互いに互いのマンガのキャラも含むのだ。

>>「三国志フェス2011」(その2) ねこクラゲさんにお会いしました(※前述のブログ記事)

   勝手に想像するに

右から一列目上から:『曹植系男子』曹丕、『曹植系男子』曹彰、『曹植系男子』曹熊
右から二列目上から:『三国志ジョーカー』曹丕、『三国志ジョーカー』曹植

左から一列目上から:『三国志ジョーカー』司馬懿、『三国志ジョーカー』曹丕
左から二列目上から:?、『曹植系男子』曹植、『三国志ジョーカー』曹植
左から三列目上から:『曹植系男子』曹丕、『曹植系男子』曹彰、『曹植系男子』曹熊、『三国志ジョーカー』曹沖

なのかな?
   ここらへんで、USHISUKEさんが来られて、清岡に何の用事があるのか聞くに、後の打ち上げでドラマ『三国志 Three Kingdoms』配給会社のSPOさんと青木さんとの顔つなぎするよう、清岡に指令が下る。そのまま、青木さんに伝言する。
   17:20ごろ、ねこクラゲ先生がカンニングして絵を描くとおっしゃって、辺りに何か参考になるものはないか探し出しており、そのブースでの展示品も参考になるが、ちょうど『三国志ジョーカー』の単行本が平積みになっていたので清岡は差し出す。それから話の中で、青木さんからの第二次三国志ブームから『司馬懿くんの事件簿』(つまりは『三国志ジョーカー』の前身のWebマンガ)誕生話が印象深かった。他にはPCを使うのか等、お互いの仕事の話もされていた。アシスタントの共通の技術の関係で青木さんは全部アナログとかで。あと、ねこクラゲ先生からキャラ造形の話、曹植の初期デザイン話等。
   それと、どういった話の流れか忘れたが、清岡は『三国志ジョーカー』単行本のカバーを外して出てくるマンガや絵をねこクラゲ先生に見せる。ねこクラゲ先生知らなかったとのことで、妙に感心されていた。対する青木さんは嫌がり気味で「捲(めく)らなくて良いですよ、捲らなくて!」と言い放っていた。すみません。でも、ウケて笑う青木さん。『三国志ジョーカー』に限らず一般的な話だけど、ねこクラゲ先生は単行本のカバーを外すと隠し絵や隠しマンガが出てくるのもあるってことも知らなかった模様だ。再びキャラ造形の話、伝記や記録がないから描きようがないキャラの話、曹熊の話(字面的にガテン系のイメージがあると下らないことを口にする清岡)と続く。
   17時半ごろ、ステージになぜかUSHISUKEさんが登壇。どうやら事前の打ち合わせなしで、つまりアドリブでやついさんがステージに上げたそうで、他におくまんさんも登壇し、ドラフト会議し三人が三様で三国志の人物を用い野球チームを作るということをやっておられた。会場から最もステージに離れた所に居たので、清岡はちゃんと見てなかったが、後で聞くにUSHISUKEさんはプロの芸人さん二人をツッコミ役に回す程のボケ役だったそうな。
   17:50ごろ、お絵描きタイムが終わり、ねこクラゲ先生曰く「(スケッチブックの写真のネットへの)アップとかして大丈夫ですか?」との断りと共に、お二人が書かれた写真の撮影会となった。その流れで記念撮影も行われる。まだ話したりない感じのねこクラゲ先生から『曹植系男子』連載までの話を伺う。17:55ごろ、交流終了。
   18:00前、青木さんが用事で出ていったため、そこのブースで清岡が留守番する。そこににゃもさんが登場したので、先程のスケッチブックを見つつ、その時の様子を説明する。にゃもさんは『曹植系男子』の曹熊好きなので、「(漫画家さん)二人で『クマクマ』言ってましたよ」と脚色込みで伝える。にゃもさんは「熊を主人公にして下さってありがとうございます!」とねこクラゲ先生へ言いたかったらしい。あと撤収の打ち合わせ等。
   18時過ぎ、坂本和丸さんにより閉会宣言で満場拍手が起こった。客にとってそれが終了の合図であるが、スタッフや出展者にとっては終わりの始まりの合図、つまり撤収準備の合図だった。しかも会場を借りているのは19時までであるため、それまでに完全撤収の必要があった。延長すると数万円追加料金が要るとかで。
   準備した時と同じように24名のスタッフが怠ることなく驚くべき早さで次々と長机やイスを畳んではキャリヤーに重ね運んでいく。それは時間内に終わりそうだったが、草林舎さんのコレクション展の展示品の荷造り及び車への運び入れはそうは行かなかった。赤兎馬さんと草林舎さんの車が搬入口から会場の大展示ホールに入り、赤兎馬さんの搬出は終わったものの、さすがに草林舎さんは量が多いんで最後まで残る。それを待つスタッフがUSHISUKEさん、おさっちさん、にゃもさんや清岡含め数名残り、他の方々は打ち上げが行われる来富市場(らいふいちば)本店に向かうことになる。

>>中華料理・京急蒲田で有名な餃子の来富市場・珍味楼【飲み放題宴会】と岩盤浴エステRoseサロン

   19時過ぎて全てが作業を終え(結局、追加料金が発生したのか清岡は未だ知らず)、来富市場に向かう。打ち上げの会場に入ると一つの和室の大部屋に四十人ぐらい詰まっていて、中華机が幾つかあり、それを7、8人が囲んでいた。聞くところによると、昨年と同じ打ち上げ会場とのことだ。
   予め青木さんに席を空けておくよう頼んでおいたので、清岡は最も北側で窓際のテーブルの青木さんの隣に座る。すでにコース料理は運ばれており、打ち上げが始まっており、まず清岡は飲物と食べ物の確保に励む。そのテーブルではしばし盛り上がる話題もなかったんだけど、順々にベタに自己紹介から始まり、やがて話題の中心は『三国志大戦』になる。

>>2005年春「三国志大戦」(リアルタイムカードアクション)稼働

   清岡と青木さんはそれに馴染みないので、他の人たちが親切に説明しようとする。その親切は有り難いんだけど、専門用語が多く清岡はどうも説明不足に感じ、かといって疑問点を一つ一つ尋ねるのも会話の流れを止めてしまうのでそのまま静観していたら、いつの間にかそこらへんの料理を食べ尽くしたり手元のグラスをすぐ空けたりになっていた。だけど、対する青木さんは、それと正反対で興味津々であれこれ話に乗ったり、人物の描かれたカード群を見せる人に対し嬉々として食い付くように見たりと、百点満点のリアクションをとっていて感心することしきりだ。そのせいもあってか、会話に参加する一人一人のテンションと声とが大きくなり、「三国志大戦」およびその用語は隣のテーブルまで届いたようで、何人かそれに興味在る方々がこちらのテーブルに来て、その分、一人一人のスペースが狭くなった。かくして清岡は心理的にも物理的にも疎外された形となり、居たたまれなくなり、フェードアウトするように静かに目立たず他のテーブルへと移った。
   極端にも北の端のテーブルから入口近い南西の端のテーブルに移る。そこにはUSHISUKEさんがいらっしゃったものの、やはり主催団体の代表とあって、大人気で清岡の話す隙がない。やはりチャーハンにがっついたりと、食事を進めつつゆるりと待つと、哲坊さんがいらっしゃったり、といくらが話す機会ができた。
   そのテーブルにはドラマ『三国志 Three Kingdoms』配給のSPOの人たちがいらっしゃったので、空き時間がないかタイミングを見計らい、かつ元居たテーブルで青木さんに空き時間がないかタイミングを見計らっていた。一旦、USHISUKEさんにその旨を切り出すも「今、取り込んでいるんで、後で良いんじゃないですか」と返される。終了時間が近付いている気がしたので内心あせりつつも機会を伺う。
   ようやく機会が巡ってきて青木さんにご足労願って、南西の端のテーブルで顔合わせ。下記のリンク先にある関係で、今回とは別のSPOの方と青木さんは面識があるとかで。

>>イケメン“三国志”特集!!(ミステリーボニータ2010年12月6日)

   話の内容は詳しく書ける訳はないのだけど、書くのに当たり障りのないことでは、日中韓米のドラマの性質の違いの話は興味深かった。それを聞いた清岡はアメリカのドラマのテンポが好みで、大河ドラマは退屈に感じすぐ集中力が途切れてしまうって口にしていたっけ。そんな感じで、青木さんの横で大人しく話を聞いていると、SPOの方から清岡を指して「(青木さんの)マネージャーの方ですか?」と言われたのが打ち上げでの一番のツボだった。漫画家のマネージャーって何やねん(笑)
   そんな感じで打ち上げの一次会は終了し、二次会は通りを挟んで西側の中国家庭料理 ニーハオ 別館(地下1階)だ。20人ぐらい参加したんじゃないかな。

>>元祖羽根付き餃子(ギョーザ) 蒲田ニーハオ/TOPページ

   そこでは通路を挟みお座敷の二つのテーブルがあって、女メイン、男メインに別れ、話していたものの、終電等の理由により徐々に人が抜けていき、最終的には一つのテーブルにみんな集まっていた。清岡はおさっちさんと哲坊さんとローカルトークしていたことが印象に残った。話題は多分、三国志フェスについてかな。それと少し離れた所に、東洋史の院生が座っておられたので、「それじゃ、あの書評、読みました?」と遠隔射撃のように清岡から口走っていたのが印象に残ったか。
   24時前にその二次会も終わり、そこで多くの人は帰り、スタッフと哲坊さん等8人で魚民に行き、そこで三次会となる。

>>居酒屋で女子会ならモンテローザが運営の居酒屋

   哲坊さんは途中でお帰りになられたんだが、後の方になると、みんな酒が回っちゃっていて、話がループしている様が見られた(良いように言えば繰り返しされることによりフレーズが洗練されていったというか)。イベント担当スタッフだった想さんから「夏と言えば三国志フェス、と言うぐらいにしたい」、音響技術担当スタッフだった益永さんから「ほとんどが素人のスタッフがやる気だけであんなにまとまった動きだったのに感心した。これ以上を望むんだったら組織力が欲しい」というような旨をおっしゃっていた。おさっちさんからは自らが職人気質であり、もし主催者になれば無難なところに収めてしまい、その点、USHISUKEさんのような資金面等でリスキーだが大胆でとても魅力的な企画(例えばコレクション展とか)は発想すらできないとおっしゃっていた。想さんの何度目かの同じ発言に対し、純粋な好奇心から清岡は「三国志祭じゃダメなんですか?」と蓮舫議員っぽいことを申し上げたが(もちろん量的に言えば三国志祭の方がはるか上)、やはりもう酒が回っていて生産的な議論には発展しなかった。

>>第五回三国志祭(2011年10月9日10日)

   閉店時間の関係で27時過ぎに終了。その後、具体的に誰かは書かないけど、清岡を含め4名はその中のある方の家に向かう。行く前は三国志トークで明かすとか合宿とかいうテンションだったが、いざ着いてみると、やはり皆さん、眠りに着いてしまう。清岡はノートPCでデータ整理した後、29時半ごろにその家を後にする。最寄りの駅から乗り継いで東京駅に向かいお土産買って、そこから31:10発の昼特急高速バスに乗る。9:00ぐらい到着の足柄サービスエリアまで熟睡していた。そこのスターバックスのホワイトモカ トールサイズ ショット追加はとても美味しく頂けた。(※以上、2011年10月21-31日に断続的に書き記す。次回の三国志フェスの開催が決まり、それに日が近付けば、PRの意味でもこれらを三国志ニュースに移植する可能性あり)




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