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年表(孫氏からみた三国志0〜14)
040207



   以下は「孫氏からみた三国志」0〜9で取り上げた歴史的出来事を年表にまとめたもの。そのため、「孫氏からみた三国志」本編のネタバレを含む。
   「本当?」って思うような伝説的なことや個人的に事実とは思えないあやしいエピソードやあやふやな事実には()付けにしとく。
紀元年号出来事参照
前220年ごろ始皇帝(始皇帝が金陵を東巡したとき、五百年後、天子の気があるときき、それを嫌がり、その地を「秣陵」と改名。)>>●
 後漢時代(孫鍾が不思議な少年3人と会う)>>●
  (孫鍾のまご、)孫羌が生まれる>>●
 元壽年間?(孫鍾が葬られた墓の上で珍しい光があり、五色の雲が天に上がりつづけ、数里に広がるという現象が起こる)>>●
(157)(元壽二年)(揚州呉郡富春県で、孫鍾のまご、孫羌の弟)孫堅が生まれる>>●
  (孫鍾のまご、)孫堅の妹が生まれる>>●
  (孫鍾のまご、)孫堅の弟、孫静が生まれる>>●
  孫堅、成人する。字(あざな)は文台。なお、兄の孫羌の字は聖台、弟の孫静の字は幼台。>>●
  孫堅、わかいときに県吏(県の役人)になる。>>●
169建寧二年九月丹陽太守の陳寅、山越(異民族の名称)の賊に包囲されちゃったが、返り討ちにする>>●
170建寧三年交州鬱林郡の太守・谷永が、いつくしみと信用をもって烏滸人十万人あまりを降伏させ、内属させ、みな、冠と帯をうけ、七つの県を開設する>>●
172建寧五年五月熹平に改元されてる>>●
172熹平元年十月けい惑(火星のこと)が南斗(南斗六星)に入る>>●
172熹平元年十一月許生・許昭親子、句章を拠点に会稽郡で兵乱をおこす。揚州刺史の臧旻、丹陽太守の陳寅が率いる丹陽郡の軍勢に討伐される>>●
173熹平二年会稽太守の尹端率いる軍勢が許昭の軍勢に破れる。主簿の朱儁、裏工作で、尹端の罰を軽くする>>●
(173)(熹平二年)孫堅17歳、海賊・胡玉を計略で敗走させる。(県の)仮の尉になる>>●
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173熹平二年冬十二月 日南の辺境の外の国(日南徼外國、日南の砦の外の国?)が献上品を貢ぐ>>●
174熹平三年孫堅(18歳)、(呉)郡の司馬になる。精勇を募集すること、千人あまり。>>●
174熹平三年十一月臧旻&陳寅の軍勢は許生の軍勢を会稽郡でやぶり、斬った。臧旻、丹陽太守になる。>>●
174熹平三年臧旻の上表により、孫堅(18歳)、鹽涜丞(徐州廣陵郡鹽涜県)になる>>●
  (孫堅18歳、呉夫人の夫妻。徐州廣陵郡鹽涜県へ引っ越し)>>●
174熹平三年冬揚州刺史の臧旻、丹陽太守の陳寅が率いる丹陽郡の軍勢、盜賊の苴康の軍勢を攻め、数千級の首をあげる。>>●
175熹平四年孫堅(19歳)と呉夫人の間に、孫策が生まれる。>>●
  鹽涜県で、孫堅に名声ができ吏(役人)や人(住民)がなつく。郷里の知人や物好きな少年がいつも数百人、訪ねてきて、孫堅はいつも子や弟のように接待する >>●
  会稽太守の徐珪、揚州から偽りの上奏をされ罪をかぶるところ、朱儁の裏工作により、逆に揚州の刺史が罪をかぶることになる。朱儁、尚書郎になり、さらに徐州東海郡蘭陵県の県令になる>>●
177熹平六年夏鮮卑が三辺(東、北、西、三つの辺境)に侵攻する。>>●
177熹平六年夏七州に蝗(いなご)がでる>>●
177熹平六年秋八月破鮮卑中郎将の田晏、使匈奴中郎将の臧旻、護烏桓校尉の夏育が鮮卑の討伐に向かう。>>●
  鮮卑の檀石槐は三部(西部、中部、東部)の大人に命じ、田晏、臧旻、夏育の軍と交戦。鮮卑の軍は田晏、臧旻、夏育の軍を大破する(死者7〜9割)>>●
  孫堅、くい丞(徐州下ひ國)になる。(孫堅の家族、くい県に引っ越しする)>>●
  孫堅と呉夫人の間に長女が生まれる>>●
178熹平七年正月交州の交阯郡と合浦郡の烏滸蠻がそむき、九真郡と日南郡の民が郡や県を攻め落とすよう、し向ける>>●
178熹平七年三月熹平から光和へ改年(改元)>>●
 光和交州南海郡の太守・孔芝が背く。 交阯の賊・梁龍ら一万人余りと孔芝の軍は郡や県を攻め破る。>>●
 光和朱儁、交阯刺史(交州刺史?)になり、会稽郡で募兵し、五千人で州の境界まで進む。>>●
181光和四年二月〜六月朱儁、使者をやって、虚実を示し、威徳を表し、利害をもってさとし、賊の心を動揺させ、梁龍を斬る。この手柄により、朱儁は都亭侯(千五百戸)に封じられ、黄金五十斤を賜い、諫議大夫になる。>>●
  孫堅、下ひ丞(徐州下ひ國)になる。(孫堅の家族、下ひ県に引っ越しする)>>●
182光和五年孫堅26歳と呉夫人の間に孫権が生まれる。>>●




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