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孫氏三代、揃う(孫氏からみた三国志14)
030518
<<公偉、戦地に立つ(孫氏からみた三国志13)


   さて、前三回ほど、ほぼおいてけぼりにした、孫堅(字、文台)だけど、彼はというと

   時期ははっきりしないんだけど、またもや転勤&お引っ越しのようだ。
   お次は下ひ県の県丞(副官の地位)。まあ、おそらく官位(階級)は同じで、場所が変わったんだろう1)
   場所はどのへんかというと、前任地のくい県と同じで、徐州下ひ國にあるのだ。
文台さん家のお引っ越し2つまとめて
▲参考:譚其驤(主編)「中國歴史地圖集 第二冊秦・西漢・東漢時期」(中國地圖出版社出版) 但し、画面上のルートの位置に根拠はありません

   前回、前々回で北と南の辺境での乱を説明したけど、文台の住んでいるところでは平和だったようだ。
   ここで、長男・孫策、長女に続いて、呉夫人が身ごもることになる。

   そのとき、呉夫人がみた夢は、搜神記によると、お日さまが彼女のふところに入る夢2)。伝説的なことだろうね。

   いや、「あんな恒星がお腹めがけて入るんだったら、その前に中国大陸ごとつぶれちゃうよ」なんてツッコミはなしね……ってこれは以前、書いたネタ(<<おさらい
   そりゃ太陽のことを知っている現代人にとってはそうなんだけど、当時の発想からいったら、手のひらサイズぐらいの輝く円が懐に入ってくる、そんなおとぎ話のような発想かな(前と引き続き適当)。

   この夢について、呉夫人は、
「昔、策(長男の名)を身ごもったとき、月が私の懐に入る夢をみて、今、日(太陽)が私の懐に入る夢をみて……これ、何?」
と、文台に言った(例によって口調は清岡が適当にアレンジ)
   そうすると文台はいう。
「日や月は陰陽の精で、とても、とうとい現象なんだ。俺の子孫は盛んになるぞ!」

   なんて、自分の都合の良いように解釈しちゃった文台。
   まあ、文台の母親が文台を身ごもるときにみた夢のことを考えたら、まだわかりやすい夢なんだけど……あ、ちなみに文台のときは、腸が飛び出る夢ね(<<おさらい
   隣のおばさんの出る幕もなく、文台が言いきったのもわかるような気がする。

   そして、生まれたのは男の子。「権」と名付けられる。
   そう、孫権の誕生だ。

   ある母親が子を身ごもって見た夢は腸が懐から飛び出る夢。
   そのときに生まれたのが、孫堅(字、文台)

   またその子が大きくなって、妻にした女が子を身ごもり見た夢は月が懐に入る夢。
   そのときに生まれたのが、孫策

   また同じ女がまた身ごもり見た夢は日が懐に入る夢
   そのときに生まれたのが、孫権

   この三人はこれから先、数奇な運命をたどることになるのだが…
(この三人を称して「孫氏三代」っていってる。このサイト名もそこからちょうだいしている。)


   さて、孫権の記述はまだ続く。
   この孫権の生まれた年は光和五年(西暦182年)。
   江表傳という史書によると、その容貌は四角い顎で口が大きく、目に精光があるとのこと。
   またまた文台の解釈が登場する。文台はこの容貌をあやしんだけど、とうとい姿だとみなしたとのこと3)
   さて、この子はどんな風に成長するのかな。

 
   あと、時期は不明だけど、文台の親戚で、部下となる人物の紹介。
   兪河、字は伯海。出身は揚州呉郡呉県(呉郡呉県は>>こちらの地図を参照)。4)
   姓が「兪」となっているけど、実は文台の「族子」。つまり親戚の子。
   元々の姓は文台と同じで「孫」だったんだけど、小母の養子かなんかになって姓が「兪」になったようだ。
   韋昭撰呉書によると、生まれつき真心が厚く正直で、口べたで行動が敏速、心意気と才能があり、心力を尽くし働くことができる、と評されている5)
   文台にとって親戚でこういった人物がはせ参じたのはさぞかし心強かっただろう。


   文台は公私ともに充実してきた感があるんだけど、大きな波乱が起きることになる
(三国志を語る上で初めに登場しやすいあの出来事ね)




1)   転勤&お引っ越し。「刺史臧旻列上功状、詔書除堅鹽涜丞、數歳徙くい丞、又徙下ひ丞。」(三國志卷四十六呉書孫破虜討逆傳弟一より。一部、表示できるよう、近い文字にかえてる)。この数年のことをまとめて書いているので、多分、以前も引用している。三県の丞で最後に行き着いたのが、この下ひ県。次回、出てくる乱がなければ、このまま、県丞生活を送っていたんだろうか……はて?   <<戻る

2)   お日様が懐に入る夢。『初、夫人孕而夢月入其懷、既而生策及權在孕、又夢日入其懷、以告堅曰:「昔妊策、夢月入我懷、今也又夢日入我懷、何也?」堅曰:「日月者陰陽之精、極貴之象、吾子孫其興乎!」』(三國志卷五十呉書妃嬪傳第五の注に見える搜神記より)。引用元は搜神記だし、伝説と捉えればいいのかな。こちらも以前、少し引用している。孫策をはらんだときの夢があるし。   <<戻る

3)   孫権の容貌。「堅為下ひ丞時、權生、方頤大口、目有精光、堅異之、以為有貴象。」(三國志卷四十七呉書呉主傳第二の注に見える江表傳より)。孫堅や孫策に比べてかなり具体的。   <<戻る

4)   兪河について、その一。「孫韶字公禮。伯父河、字伯海、本姓兪氏、亦呉人也。」(三國志卷五十一呉書宗室傳第六より)。「兪」の字、本来は字の中の「<<」が「リ」ね。   <<戻る

5)   兪河について、その二。「河、堅族子也、出後姑兪氏、後復姓為孫。河質性忠直、訥言敏行、有氣幹、能服勤。」(三國志卷五十一呉書宗室傳第六の注に引く韋昭撰呉書より)。本文中の訳、これでいいのかな? と自分で訳しておいて疑問に思います。だって筑摩本の訳と大きく異なりますので(汗)。これをみると、伯海さん、まっすぐな性格だったんですねー   <<戻る

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