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2014年3月の雑記
2014.03.01.
<<2014年2月の雑記


このページは?
   このページは日記コンテンツです。本サイトでは全然、ジャンル違いなので注意です。


3/1   補完と共感

   NHK BSプレミアムでドラマ『田上トパーズ ~滋賀県発地域ドラマ~』を見る。劇中のわくわくTVというケーブルテレビはなまずがマスコットで実際の滋賀ケーブルネットワークと同じだし(…と今は存在しないのか。撮影協力に、ZTV近江八幡支局の名があった)、劇中番組で飛び出しボウヤの看板がいじられていたし(その昔、待ち歩き番組『見参!アルチュン』で瀬田に行ったときもいじられていた)、滋賀感満載。そして『けいおん!』のモデルになった廃校。『ノブナガ』での実物大フィギュア・ファンの(許可を得た)撮影地にもなっていたっけ。

<<ザクとは違う(2012年3月8日の雑記)


>>『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』大ヒット上映中!

   先月の映画『トリック劇場版 ラストステージ』に味をしめて、今月のファーストデイにも、映画を見に行く。『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』(原題『Kick-Ass 2』)。乗ろうとしていた市バスが50m先で発車し、その先の信号機で停車しているところをじいさんが強引に入っていったのをみたのだけど、まぁ、それでも到底間に合わず、別のバス狙いで一停分、走ったり、買おうとしていた「ムーンライトながら」の指定券が危惧通り売り切れていたり、映画館に行く前は見る前は散々だった。
   それで肝心の映画はとても楽しめた。いきなりヒット・ガールこと、ミンディの父親が(前作で)殺されたことを前提に話が進んでいたので(もちろんちゃんと説明はあったが)、前作を見ていない人はついていけるのだろうか余計な心配をしていた。それも含め、前作を見た人にはニヤリとさせる場面が多く、そういう意味で正統な続編…というか「続編続編してた」というのが正直な感想で、これだったら前作だけでも物語は完結していて、本作はファンのための作品なんだな、と良い意味で捉えていた。
   下品で暴力的な上に、元中国人マフィアの役の人にハリウッド的なジンギスカンの格好をさせ、ロシア人女性のブラにはソ連の国旗の鎌トンカチを描いたりと、racism的な描写も加わり、映画館は先月の『トリック』に比べれば、当然、笑い所での反応は鈍く、ミンディが同級生にゲロを吐かせる装置で復讐したときには、一人でゲラゲラ笑っていた。
   あとそのシーンに先立って、ミンディがダンス部への入部試験をうけるときに、長所を活かすんだ、とか思っていたら、その0.5秒後にはミンディが刺客四人に襲われるのを脳内シミュレーションしてその格闘がアクロバティックなダンスになって、しかもこちらの予想外に劇中ではそれでみんなの人気を集めていた。振り返れば、そういった印象だったので、少なくとも私にとってはミンディの作品だったのかな、と。それと細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか──アニメーションの表現史』(新潮社2013年10月25日)に書いてあった、全面を覆うマスクを付けがちな日本のヒーローと違い、スパイダーマンとアイアンマンの例外はあるものの、口元をみせがちで結果的に「リップシンク」しすくなりがちなアメリカのヒーローという文化の違いを思い出していた。

<<あのシュートをもう一度(2012年7月8日の雑記)

<<おねえキャラか(2014年2月1日の雑記)

<<いつの間にやら実写化ラッシュ(2014年2月15日の雑記)


>>京都市:平成26年3月8日 梅小路公園に新広場がオープンします!

   バスの広告での市民ニュースで気付いたけど、梅小路公園に市電ひろばができるそうで。。3月8日オープン。京都の通りで、今、グリーンベルトになっているところは大抵が、市電跡で、昔から密かに気になっていた。3月8日オープンで梅小路公園にできる市電ひろばには一度は行かないとね。

<<京都市電とKYOTO_WiFi(2012年8月1日の雑記)


3/2   もう一つのホイップ

>>らくらくホイップ

   トーラク製。下記雑記の明治のは容器のプラスチックが堅いので最後までしぼれとれなくストレスがあるけど、こちらはその点大丈夫かと。反面、口がより小さく、絞り出したホイップクリームが細くなり、コーヒーにすぐ溶けやすい。あとより甘みがあり、ここらへんは好みの別れるところかな。

<<芳忠さん(2014年2月8日の雑記)


3/4   追悼止め絵

>>HUNTER×HUNTER|日本テレビ

   読売テレビでのアニメ『HUNTER×HUNTER』を見る。関西ではこの日の放送分の最後、予告の後に、グレーのネテロ会長のグレーの絵を掲げ永井一郎さんを追悼。

<<危うく勘違いするところだった(2013年5月14日の雑記)<

<<日本での封印回か!(2014年2月18日の雑記)br>

3/9   タナカさん!

>>キョロちゃん|無料動画 GyaO!|アニメ

   GyaO!で無料配信しているアニメ『キョロちゃん』「第36話 となりのタナカさん」を見る。会う人が会う人がタナカさんで、ヘリコプターを釣るタナカさんやそのヘリは海に潜るし、海にはやかん型のさかなが居るし、シュールな世界。大人だから何かの暗喩かと思ってしまう。その世界から戻ってきて目覚めたときに流れていたアニメの追い掛けられる方が鼠の耳の被り物をしていたのを見逃さなかった。

<<あの書店はそういうところだったのか(2014年2月23日の雑記)


3/12   文化社会学続き

>>文化社会学の視座 - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社

   図書館から借りてきた南田勝也・辻泉/編著『文化社会学の視座 ─のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化─』(ミネルヴァ書房2008年5月30日)を読み終える。例によって以下、メモをとっていく。

pp.15-16
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
オタクという言葉が、一般的には差別的な意味合いで用いられていることはわかりやすいだろうが、実はファンという言葉にも元々は差別的な意味合いがある。「fanatic=熱狂者」の略語がファン(fan)であり、いわば「おかしなかわいそうな連中」といった意味の言葉なのである。まさにこうした言葉の意味に現れているように、「メディアと集いの文化」は「おかしなかわいそうな連中」のすることとしてとらえられてきたといっても過言ではない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.21 「利用と満足研究のメリット/デメリット」の節
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 だが一方で次のようなデメリットも指摘できよう。これは経験学派のアプローチ全般に共通することだが、体系的で実証的なとらえ方をする分、どうしても分析の視点が限られてしまいやすいということである。その分、広範な社会的文脈が置き去りにされているのではないかという批判を招きかねない。つまり、「受け手」のコミュニケーションに注目したことは評価に値しても、それを主体的で能動的なふるまいとして比較的「よい」イメージでとらえてしまう前に、そもそも社会的文脈への考察が不足しているのではないかということなのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.22
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 そしてさらなるデメリットとして、これはとらえ方に内在するものというより社会的文脈の変化によってもたらされたことなのだが、小田和正ファンの分析結果のように、視点を限定させて正確な結果が得られるほど、それが果たして何を意味しているのかが不明確になってしまうという点があげられよう。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.24 「ファン・カルチャー研究の例」の節。マドンナのファンについて
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
とりわけアメリカでは一〇代の少女から絶大な人気を誇り、その衣装を真似した服に身を包んだ「ワナビーズ(=wanna-bes、日本でいうコスプレイヤー)」たちが注目を集めていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.42
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そうして、特定の作品や作者を選好する個人は、同種の作品や作者を選好する他者と結託したり、異なる作品や作者を選好する他者と競争したり、それらを好まない他者との社会的な距離を計ったりする。このようなコミュニケーションが十分な頻度で生じれば、明示的なジャンルもしくは○○系と呼ばれる流派として認識されることになる。
 作品が分類されたカテゴリーは、個人が次に別の作品を選ぶときの参照の指針となる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

pp.49-50 ※関係ないが「持って」→「以て」、「一生懸命」→「一所懸命」だね
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 「人―作品―人」関係が結ぶネットワークは、「人」に注目したときには「趣味集団」として、「作品」に注目したときには「ジャンル」として認識されるのだが、そうした閉じた集合に対して、興味を持つ人/知識のある人と、そうでない人との剥離は存外に激しい。端的にいって、作品が繋ぐジャンルを知らない人にとって、それは了解の、困難なものとなる。
 たとえば大学教育の現場を想定してみたい。メディア・コースなどの演習やゼミにおいて、学生が自身でテーマを選び発表する場合、ポップカルチャーやサブカルチャーがテーマの週は、往々にして、盛りあがりに欠けることがある。そのテーマを選んだ学生は、熱意を持って発表準備に取り込むのだが、そうやって一生懸命に取り組めば取り組むほど、周囲には“つっこめない”雰囲気が醸成され、質疑応答の時間に沈黙が生じてしまう。(学生がここで、自分の熱中するサブカルチャーは意外にも知られていないのだ、という境界感覚に目覚めてくれれば儲けものである)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.77
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 この問題には、統計学の「検定(test)」という分析手法を用いて答えることができる。検定とは、調査対象となりうる集団全体(母集団)では差や関連がないのに、実際に調査した対象者(標本)ではたまたま差や関連が出てしまう確率がどれくらいあるかを計算する方法だ。社会統計学では一般的に、そうした調査誤差の範囲内にある確率が五%をこえると、「差があるとはいえない」と見なす。ちなみに表3-1の結果を検定すると、この規準をクリアしないので「差があるとはいえない」ことになる。
 ただし、検定によって調査結果の信頼性を評価するには、そもそもサンプルが母集団から無作為抽出(randam sampling)されていることが前提になる。調べたい母集団が、今の日本の大学生であれば、大学生全員のリストからくじ引きのような方法で偏りなく対象者を選びだす必要があるのだ。この条件を満たさない限りは、たとえ検定によって規準をクリアする結果が得られたとしても、せいぜいが「仮に無作為抽出でおこなわれた調査の結果だとすれば」という限定付きの参考値にすぎないのである。
 筆者が講義の出席者におこなったアンケートは、日本の大学生全体どころか、その大学の学生全体についてさえ、無作為抽出されたサンプルではありえない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   これって某研究の紹介の際に使えるね。

pp.124-125
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ここに見られるのは「孤独を避けるために他人に同調することが、かえって孤立に対する不安を生む」というジレンマである。おそらく、携帯電話は確かに孤独感を埋め合わせる道具になるが、それによって生じた孤立不安を埋め合わせる道具として利用することは難しいのだろう。携帯電話によって人間関係が広がるほど、常に繋がりうる常態を維持し、メールにはすぐ返信するというふるまいを維持し続けなければならない。それがケータイ依存を生みだすメカニズムなのではないだろうか。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.126
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 さらに、こうした利用文化は、その内部にいる人間にとって「自明の出来事」であっても、そうでない者にとってはまったく理解しがたいものに映る場合がままある。よってある仮説が妥当なものであるかどうかを決定する水準の問題も生じる。利用文化の外部にいる人間が見当違いな分析をすることもあるだろうが、その内部にいて事情をよくわかっている人間が、必ずしも客観的で妥当な仮説を提示できるとは限らないのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.151
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 そしてこの流れの延長線上に、原作すらも必要としない、擬人化された美少女キャラが活躍しはじめる。冒頭で紹介した「びんちょうタン」が典型だ。「彼女」はもともとウェブ上に掲載された一枚のイラストにすぎなかったが、予想外の反響を受けたことから商品化が展開され、急速にファン層を拡大していった。町の公式マスコットに採用され、キャラクターのフィギュアは二〇〇万個、コミックは一〇万部を売り、二〇〇五~〇六年にはテレビアニメ化まで果たした。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   始めの文に注が入っていて「萌え擬人化」の説明があり。冒頭の紹介で、ゲームソフト会社「アルケミスト」が2004年に和歌山県のみなべ川森林組合が提携をもちかけた新聞記事を紹介している。
   まさかそのアニメのテーマソングの一つにさねよしいさ子さんが関わっているとは!

<<思わずメモを取る(2014年2月4日の雑記)

pp.169-170
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一九九七年のフジロックフェスティバルを皮切りに、一九九九年にライジングサンロックフェスティバルインエゾ、二〇〇〇年にはロックインジャパンフェスティバルとサマーソニックが始まった。四大フェスティバルといわれるこれらのロックフェスには、それぞれ一日平均三万人以上もの人が訪れ、入場者数は今日にいたるまで右肩上がりを続けている。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.179
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 フェスを愛好する人たちは、必ずしも特定のアーティストの熱狂的な信者ではない。その証拠に、各フェスが採用している、出演者が一切発表されない段階で売り出される「早売りチケット」は、高い競争率での争奪戦が常態となっている。リピーターたちはあくまでもフェスそれ自体を愛好しているのだ。
 むしろ特定のアーティストやライブへの執着は、批判の対象となることもある。たとえば、人気のアーティストの熱狂的なファンによるステージ前方での「場所取り」が、しばしやり玉にあげられる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.181
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ここにはかつてのコンサートやライブと異なる、フェスならではの志向性が見られる。それは「アーティスト─観客」から「観客─観客」のゆるやかな連帯へのシフトである。彼らにとってライブとフェスは明らかに違うものであり、ともに過ごす仲間の存在は非常に重要な位置を占める。そこでは「フェスはお客さんが主役」や「フェスをつくるのは参加者である」というような言説が真実味を増してくる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.185
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 いっぽうで、最近盛んになってきたのがシェアという動きである。宿で一緒に泊まる仲間を募ったり、交通費を折半したり、キャンプスペースを共有したりというのがその代表的なものである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.186
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 こうした状況の下、自分の思惑通りのチケットが購入できなかったり、当初の予定とは違った参加を余儀なくされるケースがままある。そういった場合に、それぞれの条件に見合った参加者を見つけ、シェアをするのである。
 またシェアが活発になっているもうひとつの背景には近年のSNSの流行がある。ウェブ・サイトの影響力が小さくなったということは、多くの参加者が指摘することではあるが、インターネットでの交流自体が廃れたのではなく、実質的にはSNSへと移行しているのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.247
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 欧米のファッション史を遡ると、一九世紀のパリに辿り着く。一八四五年にイギリスからフランスのパリに渡ったシャルル=フレデリック・ウォルト(英名:チャールズ・フレデリック・ワース)は、一八五七年に自分に店を開いた。そこで彼は、季節毎に新作を発表し、それを人間(マヌカン)に着せて披露し、洋服を気に入った客の体形に合わせてサイズを仕立て直すという方法を取っていた。オートクチュールと呼ばれるこのシステムは、それ以前には考えられないことだった。それまでの高級衣服は、クライアントである上流階級層の意向をデザイナーがうかがって作られるものであり、あくまでも主導権は客のほうにあったからだ。だが、ウォルトは自身が納得する顧客でなければけして注文を受け付けないなど、服飾デザイナーとしての立場を強めたのである(北山 1991)。
 二〇世紀以降は、工業化による大量生産システムの成熟とともに、プレタポルテと呼ばれる高級既製服の時代に入る。ピエール・カルダンなど現在でも馴染みのあるブランドは、プレタポルテに参入することによってブランドとしての価値をさらに高めることとなった(井上 2006)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.248
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 たとえば、一九六〇年代に入ると、それまで労働者階級のスタイルであったジーンズや、下着として着用されていたTシャツがハイファッションにも取り入れられるようになる。また同時期に流行したミニスカートも、そもそもイギリスでロックやモダンジャズを好むビートニクスと呼ばれ若者の間で流行っていたスタイルだった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

pp.275-276
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 趣味的な労働が自由裁量性と結びつき、働きすぎを誘発する。それが安定した仕事ならば問題は少ない。しかし、その仕事が不安定かつ低賃金である場合、それはジグムント・バウマンが論じるように、「大きなリスクを背負うことであり、心理的、感情的な破滅の原因でもある」(Bauman 1998=2003: 223)。また「好きな仕事に」という思いが労働者としての権利意識を弱め、企業による搾取の対象となる危険性もある。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.277
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 偽りのキャリアアッププログラムのことを、バーバラ・エーレンライクは、「ベイト・アンド・スイッチ(Bait-and-Switch)」と呼んだ。Bait-and-Switchとは、餌にひっかけて(bait)、そしてすぐに替える(switch)、いわゆる「おとり販売」のことである。この問題は、個々人の「心構え」だけではどうにもならない、より大きな社会構造の問題である。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


3/13   ループもの

>>『スペースダンディ』公式サイト SPACE DANDY OFFICIAL SITE

   アニメ『スペース☆ダンディ‎』第10話「明日はトゥモローじゃんよ」を見る。ループネタ! 冒頭からアニメ『伝説の巨人イデオン』をベースとしたいろんな巨大ロボットパロディがきたかと思ったら、途中で「Yahoo!知恵袋」が出てきて、ググれバカと言われたり、みんな猫型の異星人なのに妙に生活感のある描写で絵的にもすごく惹き付けられた。残る謎は父さんの声優らしくない声(山路和弘さんだって)。というか父さんの作っているのって、『機動戦士ガンダム』の強化装置のパロディだ。

<<短編SFテイストなパロディー(2014年1月30日の雑記)

<<ループに填ったか?(2011年12月4日の雑記)


3/15   まさにおたく史

>>おたくの起源 |書籍出版|NTT出版

   図書館から借りてきた吉本たいまつ『おたくの起源』(NTT出版2009年2月17日発行)を読み終える。例によって以下、メモをとっていく。

p.19 この「ジャンルに貢献しよう」というのが、そのジャンルのファンを見定める一つの指針。
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しかしSFファンダムは当時の社会の雰囲気とよく適合していたという点で、またジャンルに貢献しようという熱意の点で、他のファン活動とは違いを持っていた。
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p.33 1975年のSF大会「SHINCON」について。筒井康隆が名誉実行委員長
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
筒井の狙いは、熱心なSFマニアだけでなく、軽いSFファンも楽しめるようにするというものであり、徹底したショー形式、エンターテイメント主義になっていた。その結果公式発表で一〇〇〇人という、SF大会としてはそれまで最高の動員を記録することになる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

pp.39-40
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 対象にのめり込んで、分析したり、研究したりする。SFはそうした「真面目な楽しみ方」もあった。ところがもう一方で、うがった解釈をわざとしてみたり、妄想したり、パロディにしたり、メンバー同士で馬鹿話をしたり、イベントを開いたりして楽しんだ。「対象をきっかけにして幸いで遊ぶ」という楽しみ方もあったのだ。これはまさにサーコンとファニッシュの楽しみ方に対応する。そしてこの楽しみ方は、おたくの楽しみ方の両輪として引き継がれていく。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   p.11の用語解説によると、サーコンはSerious & Constructiveの略だそうな。そこではさらに「ミーハー」の項目もある。

pp.50-51
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 武田が見たのは、既存の人間関係で固まっている状況、あるいはBNFが幅をきかせる状況であった。すでに人間関係ができあがっており、新参のSFファンが入り込む余地は少なかったのである。仲間に入れなかった武田、岡田のグループは、大部屋で自分たちだけで『ヤマト』や『スター・ウォーズ』をネタにした馬鹿話をしていた。その楽しそうな様子は一緒に大部屋にいた人々に伝わっていった。翌日武田と岡田はステージに立って、そのネタを披露するよう依頼される。プログラムにない演し物だったが、観客の爆笑を誘い、大きな人気を博す。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.51
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ASHINOCONではもうひとつ重要な変化があった。その頃ビジュアル文化が盛り上がってきたことと、本家アメリカのワールドコンでは恒例となっていることが伝えられたため、マスカレード(仮装大会)がひらかれるようになっていたのだが、そこでアニメ『海のトリトン』のコスプレが初めて行われたと認識されたのである。コスプレをしたのは小谷真理、ひかわ玲子らが参加するファンタジーサークル「ローラリアス」であった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   続く文で実はそれはバローズ『火星の秘密兵器』の表紙絵のコスプレだったそうで。さらに、先立つ1977年頃からコスプレは行われていたと記述される。

p.52
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
その後「ローラリアス」は、「変体仮装集団」と呼ばれた。「変わったことをしている集団」といった軽い意味で使う人もいたが、「SF界の(排除すべき)異物」という、強い意味で使う人もいた。活字SFに親しんでいた人の中には、ビジュアル文化の拡大を「侵略」、「SFの危機」と考える人もいたのである。この時期は、まだ活字文化とビジュアル文化の対立は顕在化していないが、「両者は違うもの」という認識はすでにはっきりしていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.79
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 そして一九七九年四月のコミケ11はアニメサークルとマンガサークルのスペースを分離することになる。アニメサークルのスペースは身動きが取れない状況になり、アニメジャンル、アニメパロディの勢いが強いことが改めて認識される。
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p.85 25歳以上のスタッフを排除しようとしたクーデーター
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一方クーデター派は「新・コミックマーケット」と称してイベントを開催したが、二回目から「コミックスクウェア」と名前を改め、同人誌即売会と、声優イベント、アニメ上映会を組み合わせたイベントを開いていく。
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p.86
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 この時期、同人誌即売会はひとつの転機を迎えていた。同人誌の背景となるアニメ、マンガなどの「イマジナリーな文化」がドラスティックに拡大していったためである。即売会もニーズに合わせて拡大していくか、それとも売り手と買い手の距離が近いものにとどまるか、選択しなくてはならなかった。またパロディや二次創作を認めるのか、それとも創作を重視するのかといったことも選択しなくてはならなかった。拡大を選ばなかった即売会には、迷宮(亜庭じゅん)が一九八〇年に開始した「ミニ・マーケット(後にマンガ・ミニマーケット、MGM)」があった。また少し遅れるが、創作同人誌のみ、コスプレ禁止というイベント「コミティア」(代表・中村公彦、一九八四年)も開かれるようになる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

pp.97-98 怪獣ブームが1974年になると、
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加えて巨大ロボットアニメが登場し、おもちゃ「超合金」との相乗効果で人気を博すようになっていた。すでに前年の『ウルトラマンタロウ』から、怪獣の元ネタの枯渇と、荒唐無稽化が始まっていた。一九七四年の『ウルトラマンレオ』になると、前半は空手技ばかりで光線技が少ない、理解者が少ない、修行の連続という地味な展開によって人気は低迷し、『ウルトラマンレオ』をもって一時期ウルトラシリーズは中断することになる。
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p.110
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 一九七六年になると、再編集版のフィルムをもとにして、『ヤマト』を劇場公開することが決まる。最初は支えてくれたファンのために、新宿の劇場でファンだけを集めた上映会をする、という計画だった。その計画は次第に拡大し、東急系の四館で上映することになる。すると大きな反響があり、前売り券が大量に売れ、四館では収容しきれないことがはっきりする。そこで全国の東映系劇場で公開されることになる。ファンの盛り上がりは具体的な力になっていたのだ。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.131 浜松克樹さんが雑誌『ふぁんろ~ど』について
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浜松は語る。「雑誌を作る場合、マニアックな記事の方が書くのは楽である。ミーハーの人は飽きるのが早く、マニアの方が対象に集中し続けるからだ。だがミーハー向けの方が常に新しい流行を追うことができるし、なによりマニアより層が広い」と。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.135 浜松さん→Kさん
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 Kは語る。「おたくの形成にもっとも貢献したのは『アニメック』だろう。対して『ファンロード』はずっとミーハーだった。投稿するのは全読者の二割ほどだが、投稿する人に向けて雑誌を作ったことは一度もない。残り八割の、読むだけの読者のことを考えていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.145 『OUT』一九八〇年四月号での高千穂遙の発言をきっかけとして。
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しかしその論調はSFの立場から『ガンダム』を全否定するように見えたため、アニメファンから激しい反発をよぶ。
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p.188注(1)
http://www2s.biglobe.ne.jp/ryuseik/SF1.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-sfdearu.htm

p.147
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 一九七八年のSF大会「ASHINOCON」に失望した武田康廣と岡田斗司夫は、自分たちでSF大会を開こうと動き始める。そこで会場を押さえ、「一九七九年のSF大会は大阪で開く」と『S-Fマガジン』に告知を打った。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   すでに名古屋での開催がきまっていたので、押さえた会場は「第四回日本SFショー」に使われる。

p.147
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
その看板を借りてイベントを開いたのである。実際のイベント内容はステージ発表が中心で、ASHINOCONで不満だったサービス精神の欠如を払拭し、来客を楽しませることに主眼が置かれた。イベントはおおむね成功と受け取られ、武田、岡田はSF大会の運営に自身を持つようになる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.148
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 それに加えて、東京のSFファンダムに対する対抗意識や、活字SFだけがSFだ、という「小SF主義」に対する反発もあった。そこで「小SF主義」がSFとして認めなかった特撮やアニメを積極的に取り上げていくことにした。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.148 1980年TOKON VII
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 TOKON VIIでは、もうひとつ象徴的なことが起こっていた。小谷真理、ひかわ玲子が所属するローラリアスは、ASHINOCONに引き続いてコスプレ演技を行う。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   …今の主流のポージング、だけでなく演技してたの?

p.152
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一九八二年は東京開催が決まったため、一九八三年大阪での開催を目指した。一五〇〇人を集めたDAICON IIIよりさらに大規模にすることが目標とされ、そのためには多数の訓練されたスタッフが必要と考えられた。そこで映画を撮り、その中でイベントに対応できるスタッフを育成しようとしうことになった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.156
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 中心となるコンセプトは、「メタ・コンヴェンション」というものであった。当時はSF界全体が盛り上がっていたし、大学SF研も盛んに活動していた。また地方では盛んにローカルコンが開かれていた。そこで各地のローカルコンそれぞれに企画を持ってもらい、「大会内大会」がたくさんある状態、TOKON VIIIに行けば各地のローカルコンを一度に楽しめる状態を目指したのである。またSF大会としてははじめて、複数の会議室を使い、企画が分科会形式で同時進行する形式を取ったが、そこでは多彩な企画が行われた。  →入場者数1500人を越え過去最高。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.157
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 この大会をきっかけに『日本SF年鑑』(新時代社)が刊行されることになり、SFファンダムの活動状況が調査された。『日本SF年鑑』は、その一年でのSFの動きがどのようなものであったか概観するものであり、ファンダム情報も詳細に掲載されていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.162 映像作品『愛國戦隊大日本』が呼んだ波紋
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 波津博明は語る。「SFの拡大は人類の進歩であると信じていた。だからビジュアルSFに最初は敵意を抱いていなかった。ただSFの本筋である活字SFを読まずに、ビジュアル文化だけを楽しむ人たちには違和感を感じていた」、「活字SFこそがSFの王道という考えははっきりしていた。ビジュアルSFを強くしていくと、活字SFが衰退するおそれがあった。だから星雲賞でもアニメを単独で取り上げるのに反対した」
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※→議論をしようとする活字SF派に対し、ゼネプロ側はぶつかろうという気がないという構図

p.163
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 このことは非常に象徴的なことといえるだろう。実はこの論争は「活字SF」と「ビジュアル文化」、「大SF主義」と「小SF主義」の潜在的な対立が顕在化したことを意味する。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   何か想定されていた正史派、演義派を連想させる。

※関連ページ・>>懐かしの「正史派」&「演義派」

p.168 1983年DAICON IVについて
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
参加者は、新しく開拓された惑星への入植者という設定であり、入植者章が配られ、独自の通貨が使われた。トータルに計画された非日常の空間を作りだし、参加者の反応は非常によいものであった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.174
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 すでに中森明夫が指摘する前から、こうした人々は「ネクラ」と呼ばれていた。またロリコン愛好者に対しては「ビョーキ」という呼び方もあった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.176
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 そしてもうひとつ、このことはサブカルとおたくの間で、主導権争いが発生しはじめていることを意味する。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

p.209 あとがき
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 この本を書き始めたきっかけは、一九八〇年代の投稿雑誌を調べたことであった。ネット上で行われる「ネタ的コミュニケーション」の原形は、『ファンロード』や『OUT』にあったという記憶から調べはじめていったのだが、実際に調べてみて分かったのは、それ以上の豊かさであった。アニメ、特撮、SF、マンガ、ファンタジー、パロディなどの様々な要素が、ごった煮のようにひとつの雑誌に同居していたのだ。
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※並行的な記事・>>三国志(1952)、三国志物語(1959)、伊藤幾久造/絵

   2014年3月15日土曜日、その日は4時30分に目覚める。フジテレビNEXTでの番組『ゲームセンターCX』、それからテレビ朝日の番組『アメトーーク!』を見て、出かける。

>>手づくり市ホームページ|京都:百万遍さんの「手づくり市」、梅小路公園「一木手づくり市」の情報をお届けします。


   上記の「手作り市」に行き下記リンク先のお店「L'AMI DU PAIN」でオレンジメープルパン350円を買う。

>>フランスパン・ラスク通販 L'AMI DU PAIN/TOPページ

   8時11分発の17系統に乗るも8時38分着で40分発の近鉄急行に間に合わず。プランBをとろうとそのまま八条口に行くも、バス停が見つからないまま彷徨い、8時51分発の81系統に乗る。竹田9時2分発の急行を狙っていたが、あからさまにバスの方が遅かったので、棒鼻で降り、ダッシュ。伏見駅でトイレを済ませて、9時16分発の普通で一駅乗る。丹波橋駅で待っていると意外と早く急行がくるがそれでも2本遅れだ。時間的にいつもの100円バスに乗れないので、新祝園駅で42系統52分発の奈良交通に乗る。250円。10時11分には国会図書館の端末に座る。梁蘊嫻さんのの博士論文の閲覧を申し込む。

>>模倣と創造『絵本三国志』における『三国志演義』遺香堂本の受容(2012年12月)

   それを適当に目を通しつつプリントアウトの目処を立て片っ端から申し込んでいたがやはり時間がなく、11枚プリントアウトしたものの、見返すと4枚ほどプレヴュー画面をプリントアウトしていた。しかし描写が思った以上にクオリティーが高く影響関係を見出しにくいね。大人向けのやつにもあたらないと。30分に建物から出て、バスに間に合う。12時1分の地下鉄に潜る近鉄急行に間に合うも誤って一旦、新田辺駅で降りてしまうが先頭車両に乗り換える。道中は吉本たいまつ『おたくの起源』(NTT出版2009年2月17日発行)を読んでいた。竹田駅で乗り替え。しかし、先頭だと少し戻らないと普通に乗れない。京都駅で3月28日発の夜行バスのチケットを買う。割引分が売り切れていて8800円。12時39分発の9系統を乗ろうとしたが201系統が早く来てそれに乗る。堀川御池で降りて京都国際マンガミュージアムへ。

>>マンガと新たな<ナラティブ> 対談:武富健治×都留泰作 | 京都国際マンガミュージアム - えむえむ

   13時20分ごろに到着。「マンガと新たな<ナラティブ> 対談:武富健治×都留泰作」に備える。以下、そのときのメモだ。興味のあるところと被らないだろうから初め真剣にメモをとってなかったが次第に惹かれたのかカルチョのマッチをメモるみたくなってしまいそんな分量になってしまった。

司会の姜竣さん(京都精華大学マンガ学部教授)による紹介:武富さんの言説で「大学の漫研で、マンガしか読まない人が現れたとあり
・「鈴木先生」について。文芸サークルとしての作品。
武富さん:演劇体験も要素としてある。
・文芸の限界性。身体性がない。
   →「鈴木先生」武市が自爆していく様に現れる。
   →30代に演劇に参加して身体性を取り戻す方向。
・「鈴木先生」は毎回ハッピーエンドという前提。
・90年代、『新世紀エヴァンゲリオン』のような真理主義的な問題。
   「真理主義的なものを踏まえるエンターテインメント」
武富さん:マンガって割と演劇と近いものがある。ささってくる感じが映画より近い。皮肉で小説にすればいいと言われることがある。そのアンサーで「鈴木裁判」、32人の人物が話すのは小説では難しい
姜さん:ドラマでも難しいのでは?
・「掃除当番」の話(読みきり)
武富さん:マンガというエンターテインメントが紋切り型になりがち。公文式になりがち。
都留さん:スターウォーズ。普通に特撮にいくか、ジャワ族とかにいった。→文化人類学
90年代:(ともに『マンガノゲンバ』で出演経験あり)   一直線がイヤなこともあって、圧縮される
都留さん:フィールドワーク(沖縄)から十年ぐらい経つと記憶と感情が良い感じになった。
沖縄   都留さん:そこは考えてない
姜さん:あんた、何も考えてないな!   何か考えなさいよ
都留さん:「考えない」は枕詞。
   ・基地問題がエンタメ化
・『スター・ウォーズ』の話。文化人類学からは噴飯もの。
・『スター・ウォーズ』のはじまりは小さいもの。そこから宇宙とか大きくなる。
・文化人類学のアフリカは興味をもたれないので、日本に近い沖縄から。
   (清岡注。なにか村上もとか先生の『龍』的)
   →日本人の感覚を外に開くのに沖縄は便利。
・沖縄の興味は学問から。フィールドワークの練習でアフリカの前に沖縄へ
   →「ナチュン」の後半、アフリカへ。
武富さん:僕の中では90年代0年代が
姜さん:都留くんの中では0年代はサバイバル。
   90年代はポストモダン
武富さん:「鈴木先生」は0年代?
姜さん:無理やりはめる必要はない。90年代以降、活字の方が元気がある。
・80年代:みんな死ぬんだ、滅ぶんだ。
・90年代:より生々しくなる→「新世紀エヴァンゲリオン」
・0年代:別に死なないじゃん→居場所を見つける動き
都留さん:そういう意味では「鈴木先生」は90年代を引きつった0年代
   「鈴木先生」の0年代は人間関係
武富さん:「ナチュン」は極上のエンタメ(深みがある)
姜さん:アシスタントは居た?
都留さん:最後のほうはちょっとだけ
武富さん:今、背景の90%はアシスタント。「ナチュン」の背景がアシスタントだったらよほどの心酔者がいる(自身の経験から)
14時25分後半。テーマ、お二人の影響を受けたマンガ
武富さん:(「ナチュン」について)単行本のタイトル表紙絵が変わる理由は?
都留さん:遊ばれていた
武富さん:ターゲットを変えていったのでは?
都留さん:そんなに売れなかった。
武富さん:今、手に入らない状況で驚いていた。
武富さん:売れない状況→日本はダメだな。「ナチュン」を再び売り出す話は?
都留さん:電子書籍のみ。
武富さん:「ナチュン」は大友「童夢」以前の良さを受け継いでいる。
都留さん:大友作品、大友さんの「アクチュアリティ」
   ※スクリーンに「Short Peace」
武富さん:福山庸治
姜さん:夏目先生の弟子の『マンガと映画』(※三輪健太朗『マンガと映画 ──コマと時間の理論』(NTT出版2014年1月))
   文学父、絵画母、映画お兄さん、それを求めすぎたのが大友さん。
姜さん:マンガでしかない語りをしたい。
都留さん:大友さんは映画的というけど、大友さんの実写は面白くないし、そういう意味でマンガ的。どういうのが動きで止まりなのか。(大友さんの絵は?)こういうのはフィギュア的。
都留さん:こういった線のゆらぎが動きなのかな
都留さん:「鈴木先生」で、目の下の線とかが動きなのかな
武富さん:「デビルマン」   飛鳥了の絵とかひどい。これだったら週間連載できるかな。
都留さん:こういう絵の動かし方もあって、割とサンデー顔→「うる星やつら」   最近のマンガは瞼が動かない。江口さんのは動かない。
武富さん:目の形が動かない。
都留さん:高橋留美子さんのは目が動いても美形を保つ。「鈴木先生」は動く。
武富さん:きつくて寝ながら描いていた。
※スクリーンにその時の絵が出る。2chで「吉田戦車感が出ている」とされているらしい。
都留さん:「鈴木先生」のすごいところはすべてのコマで違う顔になっている。それだけ表現力がある。
武富さん:それだけ安定してない。70年代後半から80年代顔のアニメのよさが出ている。キャラのデザインは大雑把にしている。アニメの技法。
姜さん:(70年代のテレビ体験云々。つまりまとめ)アムロのキャラ設定。
都留さん:大友の模写から入ったんで、サンデー顔にならない。大友顔。目が小さい。武富さんの絵はいろんな要素が入ってる。
武富さん:劇画と言われる。
都留さん:普通の人はわからないが、大友絵と比べるとアニメ絵寄り。
武富さん:オールマイティーなのは70、80年代の絵。目指すは「わたしは真悟」
都留さん:「うまヘタ」(『ユリイカ』での対談での用語とのこと)
武富さん:本人はうまく描こうとしているが何か変(うまヘタ)
都留さん:高橋留美子は意識的に(顔のゆがみを)やっている。今はそれが受け継がれていない。
姜さん:(「鈴木先生」の)小川蘇美の絵は2010年にそれをやっているのは奇跡的。
武富さん:割と変わるのは多少意識的にやっていた。
   ※スクリーンに小川蘇美の絵。
姜さん:絵で参照にするのは?
武富さん:卒業アルバム
都留さん:大友さんはそういうのを拒絶することから入る。(※スクリーンに例)中からの色気をシャットアウトする。
都留さん:編集からおまえの描く女の子はかわいくないと言われる。大友から入ったので当然。「ナチュン」はそのときの『新世紀エヴァンゲリオン』が入っている。綾波レイを研究して反映させた。
武富さん:小川はできるだけ今風にしようとして綾波に近づけているので、別方向から。
Q:時代の話、『新世紀エヴァンゲリオン』の話。サンデー顔、90年代前半の子供向けアニメに行っているのでは?
別のオーディエンス:90年代前半のアニメが明るい印象があり、何か剥離がある。
武富さん:90年代前半の印象が薄いので『新世紀エヴァンゲリオン』の印象が強い。
Qの人:ラノベ系のアニメが90年代前半。
姜さん:80年代のドラマかと。90年代の社会派ドラマ(医者とか弁護士とか)
Qの人:90年代前半は「寄生獣」「ジョジョの奇妙な冒険」
別のオーディエンス:『ふしぎの海のナディア』
Qの人:『ふしぎの海のナディア』が取り上げられない理由は?
都留さん:教養としてみた。最後の方は『新世紀エヴァンゲリオン』的要素、全編宮崎駿アニメ的。
※ここでスタッフの方が『ふしぎの海のナディア』の企画の説明。NHKの人から映画『天空の城 ラピュタ』のパクリのアニメにするよう企画意図を指示された話(※清岡注。ここらへん岡田斗司夫さんの書籍参照)
都留さん:『美少女戦士セーラームーン』、それに加えて『ドラゴンボールZ』
都留さん:(「寄生獣」などは)リアルな方向を求める動きがあり楽しいのでは?
Q3:『ユリイカ』武富特集にて、「読者の変化」とおっしゃっていたがそのへんは?
武富さん:ノストラダムスが終わってもいきていかなきゃならない、とかそういうのも多少ある。
姜さん:印象では社会の動きじゃなくて世の中一区切りついて人間に深みが出たというか。
武富さん:あまり視聴率がとれなかったドラマの話。震災の影響があった。申し訳ないが、世の中、わかりやすいのに飛びつく流れになった気がした。
都留さん:『3年B組金八先生』のようなのはリアルじゃない。
姜さん:『3年B組金八先生』は背後に貧困がある。コミュニケーションのあり方があった。あれが読まれるほど(良い意味で)かわった。
Q4:都留さんの作品に古典SFを感じる。
都留さん:星新一、中学ではサイバーパンク系。御三家はあまり。文化人類学系のSFが好き(例、「ゲド戦記」)
Q5(京都精華大学のホラーマンガ家):最近の読者はオチを求める。ホラーマンガはオチが命。オチが読めるホラーはダメ。
武富さん:映画では原案にした、「ルームメイト」はしんどい。原作どおりにやるとオチが読める。それ覚悟でやっている。読めるオチどおりにしても面白いのを目指す。
武富さん:「惨殺半島 赤目村」。評価されなかったことがショック。力を入れたのに(反応がなかったこと)
都留さん:「ナチュン」の後半に考えていたこと、遣り残したことを「ムシヌユン」に。「惨殺半島 赤目村」と方向性が似通っている。日本というのを外から相対化する。
武富さん:岩明均作品「風子のいる店」、これが小川蘇美じゃねぇーか。

   17時30分に終わり、清岡はしばらく『天地を喰らう』のジャンプコミックスを見て、オカルト要素を入れていると確認し、何も考えずに外に出て、61系統が来るにはあと10分ぐらいと思っていたら、目の前から来て、慌ててそれに乗る。烏丸御池の市バス不毛地帯から脱出して百万遍へ。途中みかけた。京大病院前の工事していたところはマンションだった。行きつけのスーパーマーケットで買い物し、食材を買って、19時ごろ帰宅する。イタリア風鶏とナスの炒めものをつくる。作り終えたら、20時45分。食べ終わると22時を回っていた。皿洗いをして風呂に入り眠る。


3/17   「坊やだからさ」

>>ガンダムビルドファイターズ

   テレビ東京系のアニメ『ガンダムビルドファイターズ』を見る。声は違うだろうけど、普段着のシャアを出して「坊やだからさ」と言わせ、ララアもちらりと出すとは。その他、既存のキャラが結構、出てくる。

<<研究脳が刺激される(2015年1月26日の雑記)


3/19   ファンサービスの構図

>>連続テレビ小説「ごちそうさん」 | NHKドラマ

   連続テレビ小説『ごちそうさん』141回を見る。倉を改造して料亭にする話し合いのシーンに、未だ満洲から帰ってない悠太郎が作りそうな建築ということで、劇中の人物たちが口々に今までの悠太郎のエピソードを告げる。それはちょうど継続してこのドラマを見続けている人(=私を含む)にとってのファンサービスの構図になっている。

<<「ニュースアプリ」群雄割拠っすか(2014年2月3日の雑記)


3/21   マジか?!

http://twitter.com/naohikoKITAHARA/status/445578296080605184

   マジか?! でも例えそのタイムラインにいってもあそこは三姉妹なのでさらに確率は三分の一。


   NHK総合の番組『テレビはネットでどこまで変わる?~放送と通信 世界最前線』を見る。NHKのソーシャル・リスニング・チーム。震災の翌日から有用性が認知され、Twitterなどを監視して、それを取材陣に情報を流す。


3/22   サイクルの終わり

>>NHKアニメワールド ログ・ホライズン - NHKオンライン

   NHK教育のアニメ『ログ・ホライズン』シーズン1が終了だなんて!

<<食狙い?(2013年11月16日の雑記)


   フジテレビ系列にてアニメ映画『ドラゴンボールZ 神と神』を見る。今までの映画と違ってずっと緊張感を強いるのではなく、緊張緩和をほどよい感じにしていて面白かった。

<<メアリー・スー選手(2013年11月5日の雑記)


3/24   不気味の谷

>>世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~:テレビ東京

   テレビ東京系の番組『世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~』を見る。ウクライナのシパギナさん。すごい、CGの不気味の谷を体現するようなメイク女性。久々に背中がぞわっとした恐怖映像だった……いや、私が未だにいわゆるアニメ絵に慣れないという前提なんだけど。つまり目のくぼんだところに目の外側のラインを描いているのか。

3/28   こちらもサイクルの終わり

>>[WBS]ワールドビジネスサテライト:テレビ東京

   テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』を見る。特集「小谷キャスターが伝えた失われた20年」 98年4月1日から小谷キャスターか。それがかわってしまうだなんて。

<<森本レオさんのあの役を連想(2014年2月28日の雑記)


3/17   パーフェクトガンダム

>>ガンダムビルドファイターズ

   テレビ東京系のアニメ『ガンダムビルドファイターズ』を見る。主役の父親が『プラモ狂四郎』の象徴ともいうべきパーフェクトガンダムに乗っていたのが嬉しいサプライズ。

<<「坊やだからさ」(2015年3月17日の雑記)




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