三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【493】経済 陸伯議 2003/12/14(日) 9:50 教えて
┣ 【512】Re:経済 むじん 2003/12/19(金) 4:30
┃┗ 【525】Re:経済が難しいワケ 白崎ゆきと 2003/12/21(日) 0:36 雑談
┃┗ 【527】Re:経済が難しいワケ 陸伯議 2003/12/21(日) 3:29
┃┗ 【555】Re:経済が難しいワケ 中村 2004/1/2(金) 13:01
┃┗ 【559】おお! 白崎ゆきと 2004/1/3(土) 22:58 感謝♪
┃┗ 【561】まだ・・・ 陸伯議 2004/1/4(日) 12:28 感謝♪
┣ 【2019】三国食貨志 清岡美津夫 2005/10/14(金) 12:06 紹介
┃┗ 【2020】Re:三国食貨志 中村 2005/10/14(金) 19:49
┣ 【3350】劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性に... R・F 2009/1/30(金) 19:25 初心者質問
┃┗ 【3351】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... Barbal 2009/1/30(金) 22:20 多分…
┃┗ 【3353】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... R・F 2009/2/11(水) 15:39 感謝♪
┃┗ 【3354】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... Barbal 2009/2/12(木) 21:03 追記
┗ 【3547】専売制の根拠 Barbal 2009/11/2(月) 1:00 教えて
┣ 【3618】Re:専売制の根拠 くてむお 2010/6/1(火) 6:21
┃┗ 【3622】Re:専売制の根拠 Barbal 2010/6/10(木) 21:41 感謝♪
┃┗ 【3623】Re:専売制の根拠 くてむお 2010/6/19(土) 20:34
┗ 【3634】Re:専売制の根拠 渡邉義浩 2010/7/3(土) 0:06
┗ 【3635】Re:専売制の根拠 Barbal 2010/7/6(火) 20:55 感謝♪

【493】経済
教えて  陸伯議  - 2003/12/14(日) 9:50 -

引用なし
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   お久しぶりです
何ヶ月ぶりだろう・・・やっと復活です。
来ていない間頭の中で変に混ざったり(正史と演義etc.)していた三国志を整理したりしてました。
学校で本を読んでいたら先生に怒られ(授業中に読んでたのが悪いんだけど)
友達からは「何読んでんの?」
「これ。読んでみる?」
「うん・・・・・・・」
30秒ぐらい
「わからんwってかあれしにいこぉ」
「いこかぁ」って感じで・・・(もっと簡単なやつ読んどけば三国志ファンが一人増えていたかも!?)
家では勉強・・・
結局あまりできなかった・・・

話がそれてしまったけど、いろいろ質問したいことがたまってます。
え〜一度に全部はできないので・・・
今回は「三国(後漢末・西晋)時代の経済」です。

三国時代(後漢末・西晋)の経済ってどんな感じだったんでしょう?
貨幣は五銖銭でしたっけ?直百五銖は蜀?太平百銭は五斗米道?
税の徴収の仕方は?銭or穀物orその他
経済の中心は農業?
経済の中心地は?
商業はどこが発展していたのでしょうか?
どういうものを売っていたのでしょうか?
工業は・・・

出しつづけるとキリがないので、ここまでにしときます。
後漢・魏・呉・蜀・西晋それぞれ違うと思いますが、わかることでいいので教えてください。↑の質問以外にも関係ありそうな事があったら教えてください。
後、三国時代の経済状態が書いてある本てありますか?
三国食貨志というのがあるようですが・・・翻訳されてませんよね?

書き込んでない間に(時々見には来てました)新しい方が増えてますね。
初めての方、はじめまして。
皆さんまたよろしくお願いします。

【512】Re:経済
 むじん E-MAILWEB  - 2003/12/19(金) 4:30 -

引用なし
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   経済については難しいですよー(>_<)!
とりあえず農本主義ではあります。

【525】Re:経済が難しいワケ
雑談  白崎ゆきと E-MAIL  - 2003/12/21(日) 0:36 -

引用なし
パスワード
   経済は難しいから、難しいんだ! だけじゃなんですから、その辺の簡単な事情を。

たぶん、陸伯議さんとしてはそんなに専門的な知識を求められているわけじゃなくて、
簡単な概況を知りたいだけだと思うんですよね。
ところが概論を述べるためには、結局のところ全体をよく知っていないと無理なんです。
で、三国志での経済全体をよく知ってる人がいるかというと、ほとんどいないんですよねぇ。
いるとすれば魏晋時代を経済方面から専攻されている博士(はくし)や大学院生ぐらいでしょうか。

ではどうして経済がそれほどまでに難しいのかというと、
経済が分かるということは、人と物、情報の流れを解明するということに他ならないからです。
しかも、これらを理解するためには、その前提となる三国時代の社会体制への深い洞察が不可欠です。
つまり、三国志の経済を解き明かすというのは、
三国時代研究の究極のテーマとも言えるんですよ。

どうです? なんとなく大変そうでしょう。


余談になりますが、もしも本当に三国時代の経済について知りたいなら、
覚悟をきめて論文にかじりつくしかないでしょうね。
<sage>

【527】Re:経済が難しいワケ
 陸伯議  - 2003/12/21(日) 3:29 -

引用なし
パスワード
   やっぱり・・・難しいですか・・・
今の自分では論文にかじりつくこともできないし。
もう少し大きくなって論文などにかじりつけるまでこの疑問は置いときます。
(もう少しかな・・・いつになったら論文にかじりつけるだろう・・・早く大きくなりたい・・・けどなりたくない・・・)

むじんさん・白崎ゆきとさんありがとうございました。
<sage>

【555】Re:経済が難しいワケ
 中村 WEB  - 2004/1/2(金) 13:01 -

引用なし
パスワード
   いままでのレスにある通り経済はなかなか難しいです。
論文も多くないと思います(というのも陳寿『三国志』中に経済関連の記事がそれほど多くないため)。

でも、概観というかどんな感じかというのを知りたいのであれば、漢代のことを調べるといいと思います。
三国志で分からなくても、漢なら分かることというのはあるし、あえて言えば基本的には三国志は漢代と共通する部分が多いですから。

で漢代の経済のことですが、一般的なところで以下の書を参考にしてみてください。

渡部武『画像が語る中国の古代』平凡社1991年
林巳奈夫『中国古代の生活史』吉川弘文館1992年
籾山明『漢帝国と辺境社会』中公新書1999年

陶元珍『三国食貨志』は、正史より経済関連記事を抜き出したもので参考資料として非常にすぐれたものです。最近は見ませんが、あったら買われることをお勧めします。

とまぁ、本を読め! では元も子もないので、少し質問に答えれば、

> 税の徴収の仕方は?銭or穀物orその他

曹魏の場合は戸調制という体制(この実態も不明な部分が多く、専門的に論議を呼んでいる)です。田租が1畝あたり4升、戸あたり絹2匹、綿2斤を徴収するものです。孫呉の場合は不明ですが、走馬楼呉簡の記述では、米(穀物)・銭・布が徴収されています。蜀の場合は不明です。基本的に三国の制度一般については、魏が一番詳しく蜀がほとんど分からず、呉がその中間といったところでしょうか^^;

> 経済の中心は農業?

これはすでに答えが出ていますね。
中国ではほとんどが小農民(家族経営が基本)であって、現在に至るまで基本的にはそれは変わらないと思います。

> 経済の中心地は?

三国の時代では、やはり華北、黄河流域でしょうね。もちろん成都も栄えていたでしょう。

> どういうものを売っていたのでしょうか?

これは前掲書を参照のこと。いろいろ分かります。

と、やや遅すぎたレスですがご参考までに。

【559】おお!
感謝♪  白崎ゆきと E-MAIL  - 2004/1/3(土) 22:58 -

引用なし
パスワード
   もう少し補足をしようと思うものの、どの辺まで書こうか思案しているうちに中村さんの書き込みが!
新年そうそう良い物を読ませていただきました。ありがとうございます。

でも、折角なので蛇足を付け加えさせていただきます。

えっと、正直なところ「三国志の経済」と銘打たれていたのがキツかったんですよ。
突っ込んだ話は自分じゃサッパリですし、
逆に簡単な話題だと量が多すぎるため散漫になってしまいますからね。

しかも困ったことに三国志の経済についての概説書がないのです。
おそらくは概説書を作れるほどに解明されていないためでしょう。
もちろん、各研究者はそれぞれに大まかな見通しを持たれているのでしょうけど、
不確かなことは公表してくれませんからねぇ。

そんな状況ですから、中村さんが書かれた方法がやはりベストになるでしょう。

あと、「論文にかじりつくしかない」と書きましたが、正直なところ今はまだ早い気がします。
大半の学術論文はある特定の事柄について論証を試みたものなので、
今の陸伯議さんが手に取られても面食らうばかりに思えるからです。

で、ホントに個人的な意見なのですが、
三国志について知りたいから、その経済を知りたいということであるのならば、
中国史に手を出すべきですよ。
中国史を避けて三国志をやっているといつか壁にブチ当たりますし、
ある程度中国史が分かっていれば、論文だって徐々に理解できるようになります。

まぁ、三国志を学問として専攻するのならともかく、
趣味とするなら楽しむことが何よりも大事ですから、
そこまで詳しくなる意義があるのかはその人が判断すべきことですけどね。

ほとんど忘れかけていましたが、
史学科に縁のない三国志ファンが中国史にとり組もうとしたときに役立つノウハウや、
参考になる本の紹介をサイトで行うつもりだったんです。
もし興味がある方がおられるのなら、多少は力になれると思いますよ。

> > 経済の中心地は?
> 三国の時代では、やはり華北、黄河流域でしょうね。もちろん成都も栄えていたでしょう。

江南では呉・会稽・丹楊の、いわゆる呉三郡が中心ですね。
袁術から兵権を預かった孫策が、まっ先にこの地を平定しようとしたのはココが一番おいしい所だからです。
また、孫策が北へ侵攻しようとして果たせなかったのはもちろん運もあるでしょうが、
江南全体が中原に比べれば後進地域であったことは無視できません。
逆に、孫策・孫権が南西には比較的容易に進出できたのは、
江南のなかでは呉三郡が飛びぬけて発展していたためともいえます。

もちろん、経済的繁栄=軍事的優位ではありませんが、1つの視点としては面白いですよね。

【561】まだ・・・
感謝♪  陸伯議  - 2004/1/4(日) 12:28 -

引用なし
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   >渡部武『画像が語る中国の古代』平凡社1991年
>林巳奈夫『中国古代の生活史』吉川弘文館1992年
>籾山明『漢帝国と辺境社会』中公新書1999年
>
>陶元珍『三国食貨志』は、正史より経済関連記事を抜き出したもので参考資料として非常にすぐれたものです。最近は見ませんが、あったら買われることをお勧めします。

探してみます。お金がないので辛いですが...

>あと、「論文にかじりつくしかない」と書きましたが、正直なところ今はまだ早い気がします。
>大半の学術論文はある特定の事柄について論証を試みたものなので、
>今の陸伯議さんが手に取られても面食らうばかりに思えるからです。

その通りです。
少し読んでみたのですが・・・???
今は学校の勉強で忙しくて。
じっくり論文を読めるようになるのはまだまだ先のことです。

>で、ホントに個人的な意見なのですが、
>三国志について知りたいから、その経済を知りたいということであるのならば、
>中国史に手を出すべきですよ。
>中国史を避けて三国志をやっているといつか壁にブチ当たりますし、
>ある程度中国史が分かっていれば、論文だって徐々に理解できるようになります。

少しづつですが中国史に手を出そうとしています。
兄の行ってる大学から本を借りてきてもらったりして読んでいます。
上に書いたように忙しかったり、中国史ではない(インドネシア等)の本も借りてきているのでそっちを読んでしまったりもしてなかなか進みませんが。

もっと勉強(と考えたくありませんが)してきます。
お二人ともりありがとうございました。

【2019】三国食貨志
紹介  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/10/14(金) 12:06 -

引用なし
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   ▼陸伯議さん:
>三国食貨志というのがあるようですが・・・翻訳されてませんよね?

そういえば、以前、三国志討論会で誰かに教えていただいたんですが(むじんさんだっけ?)、翻訳されたものではないのですが、三国食貨志がオンライン上で読めます(簡体字ですが)。

今、Googleで「ys300.htm」という検索ワードで検索すると四番目に出てきますよ。

【2020】Re:三国食貨志
 中村  - 2005/10/14(金) 19:49 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>▼陸伯議さん:
>>三国食貨志というのがあるようですが・・・翻訳されてませんよね?
>
>今、Googleで「ys300.htm」という検索ワードで検索すると四番目に出てきますよ。


ぎえーーーーー

おそろしや、というか、ありがたや、ネット。
す、すごすぎです。情報ありがとうございます!!!

【3350】劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性...
初心者質問  R・F  - 2009/1/30(金) 19:25 -

引用なし
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   経済政策について疑問がありましたので、似たようなトビ(といっても共通項は『経済』だけですが)であるここに便乗して投稿させていただくことにしました。

疑問と言うのは、劉巴が提案したと言われる経済政策についてです。

「零陵先賢伝」に
蜀を得た劉備が、国の倉庫が空になっているのを心配して、劉巴に問うたところ、「簡単なことです。ただ百銭の貨幣を鋳造して諸物価を安定させ、役人に命じてお上の管理する市を立てさせるだけですみます」と言った。劉備がそれに従ったところ、数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」と、あります。
これは、どういう意味なのでしょうか?
この程度の政策でなぜ、僅か数ヶ月で官庫がいっぱいになるのか。
劉璋は一体どれほどお粗末な統治を行っていたのでしょうか、ということになります。

以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。この論文の締めは、安易な商業政策で国庫が潤ったことに味を占めた劉備は、根本的な国力増強を怠り、国の基礎体力を高めることが出来なかった、というような言葉だったと思います。
国力増強どころか、このような詐欺行為を行ったら、間違いなく民の信用はなくして、富国強兵に誰も付いてこなくなると思いますが。
それはともかく。

質問はここからなのですが(いつも前振りが長くてすみません)


1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか

2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。

私がこの政策の解釈として考えたのが、「数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」というのは、経済が安定し、国庫が豊かになった、という表現の慣用句ではないかと(治安が良くなったときの慣用句として「道に物が落ちていても私するものもなく、人々は家に鍵をかける必要がなくなった」という表現があります)。
あるいは、「数ヶ月の間に(経済は安定し、やがて)蔵はいっぱいになった」という読み方ではないか。時間経過に対する表現が抜けている可能性があるのではないかと言うことです。

ご存知の方、ご教示をよろしくお願いいたします。

【3351】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
多分…  Barbal  - 2009/1/30(金) 22:20 -

引用なし
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   ▼R・Fさん:
 私事ながら三国志とは縁が切れつつあるのですが、わたしの知っている範囲で・・・・・・。先に結論から書かせていただきます。

>1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか

 原文では『「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官&#24063;.」備從之,數月之間,府庫充實.』となっています。「百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくりなさい」と言うことでしょう。最後の部分がちょっと微妙ですが (^^;) この他には聞いたことがありません。
 効果のほどは「劉備はこれに従い、数ヶ月で府庫は充実した」とある通りです。

>2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。

 ちくまの『三国志』8巻P.327によれば、『零陵先賢伝』はその地(つまり零陵)のすぐれた人物の伝記だとあります。郷土の偉人の伝記、ということですから細部に脚色や誇張はあっても不思議はないですが、デタラメな書物という評価ではないようです。

>以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。

 『うまなみ三国志』の随想で大澤センセイが『(前略)市場に通貨が流通すれば、兵士達は当然、蔵から奪った物資や財宝を換金しようとしますから、わずか数ヶ月で兵士達が奪った物資や財宝は蔵に戻ったといいます。一種のインフレ政策ですが(以下ry)』とか書いていますが、これですか? 個人的には苦笑いするしかないのですが。

 以前、記事を書くために調べたのですが、

前漢後期頃から貨幣の退蔵と消費の低迷が進行。
董卓の小銭発行により貨幣の価値が下がり、物価が高騰。
物々交換や小銭を100枚単位で括って使用するようになる。

といった背景があったようです。このあたりは山田勝芳著『貨幣の中国古代史』を参考にしております(と言うか、まったくの受け売りですが)。
 直百銭の発行で物価を安定させ、官営市場(利益はすべて国庫に入る)で商売した結果、数ヶ月でかなりの売り上げがあった、ということで良いと思うのですが、いかがでしょうか?
 なお、余談になりますが、百銭の発行は張魯も行っており(太平百銭)、劉巴が初めてではありません。

 まとまりが悪いですが、あとは詳しい方にお願いします。

【3353】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
感謝♪  R・F  - 2009/2/11(水) 15:39 -

引用なし
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   ▼Barbalさん:
レスをありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。

>>1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか
> 原文では『「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官&#24063;.」備從之,數月之間,府庫充實.』となっています。「百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくりなさい」と言うことでしょう。最後の部分がちょっと微妙ですが (^^;) この他には聞いたことがありません。
> 効果のほどは「劉備はこれに従い、数ヶ月で府庫は充実した」とある通りです。

ということは。「零陵先賢伝」の文からは深読みできる部分は余りなく、この政策について他に言及したものは無いと言うことですね。

>>2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。
> ちくまの『三国志』8巻P.327によれば、『零陵先賢伝』はその地(つまり零陵)のすぐれた人物の伝記だとあります。郷土の偉人の伝記、ということですから細部に脚色や誇張はあっても不思議はないですが、デタラメな書物という評価ではないようです。
なぜ、信憑性に言及したかと言うと、いろいろと正史の本文と食い違う点が幾つか見受けられますので。曹操に零陵に派遣された経緯や、国庫が空になった記述等について。「零陵先賢伝」の内容に何か独特の傾向でもあれば、と思った訳です。

>>以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。
>『うまなみ三国志』の随想で大澤センセイが『(前略)市場に通貨が流通すれば、兵士達は当然、蔵から奪った物資や財宝を換金しようとしますから、わずか数ヶ月で兵士達が奪った物資や財宝は蔵に戻ったといいます。一種のインフレ政策ですが(以下ry)』とか書いていますが、これですか? 個人的には苦笑いするしかないのですが。
『うまなみ三国志』であったかどうかは記憶に無いのですが、蜀が商業に頼って国力が付かなかった、という論法であれば、その文章と思います。私自身、自分で書いておきながら何ですが、頭の中で多くの雑多な記憶と推測がごっちゃになっていて、正確な文章である自信がありませんので。

>前漢後期頃から貨幣の退蔵と消費の低迷が進行。
>董卓の小銭発行により貨幣の価値が下がり、物価が高騰。
>物々交換や小銭を100枚単位で括って使用するようになる。
>といった背景があったようです。このあたりは山田勝芳著『貨幣の中国古代史』を参考にしております(と言うか、まったくの受け売りですが)。
> 直百銭の発行で物価を安定させ、官営市場(利益はすべて国庫に入る)で商売した結果、数ヶ月でかなりの売り上げがあった、ということで良いと思うのですが、いかがでしょうか?
> なお、余談になりますが、百銭の発行は張魯も行っており(太平百銭)、劉巴が初めてではありません。
董卓の粗悪銭の話は大インフレを起こした事でも有名ですね。
孫ぽこさんのサイトでも、孫権が236年に「五百銭に当たるという大銭を作った」話が紹介されていました。この発行理由は経済政策としか書かれておらず、政策の目的はわかりませんでしたが。

そうなると、ポイントは、この経済政策で、本当にこれだけの効果があるかどうか、ですね。経済には疎いので、私には良くわかりませんが。
それほどの効果が無いなら、誇張した逸話として読むのが正しいのかも知れませんね。

この手の話。細かいことを気にしだすときりが無いのですが、でも気になります。

【3354】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
追記  Barbal  - 2009/2/12(木) 21:03 -

引用なし
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   ▼R・Fさん:
 『零陵先賢伝』の記述に誇張や潤色がないのか、といえば難しい(多少はあるかもしれない)のですが、結局のところ今となっては検証不能ですね。細かい部分で『三国志』本文と違いがあるということは珍しくもないことですし。
 一応、『三国志集解』『三国会要』『三國食貨志』に目を通してみましたが(通しただけです)、いずれも史実として紹介され、疑問は示されていないようですね。流れとしては

 百銭相当の大銭が見つかっており、蜀で(あるいはそれに前後して)鋳造されたのは確か。
  ↓
 劉巴の伝に彼が提言したことが記されており、ほかの人物の伝にはそれがない。
  ↓
 「真実はともかく史実として」彼が提案し、それなりの成果を挙げたと信じるしかない。

 ・・・・・・ということではないでしょうか。そのあたりは人それぞれ考え方があると思います。わたし自身、蜀漢の経済政策には疑問を感じておりますし。


 呉の銭幣もたしかに面白いですね。史書には當五百・當千しか記録されていないのに、當五十から當五千まで各種見つかっているという (^^;)
 何かの本だかwebサイトだかで「呉に高額貨幣が多かったのは南海貿易の決済のためだったのでは」という説を見ました。疑問が無いでもないですが、面白い説だとは思います。

【3547】専売制の根拠
教えて  Barbal  - 2009/11/2(月) 1:00 -

引用なし
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   [#T3508]の延長で魏呉蜀の経済政策を調べていたのですが、塩の専売制についてわからないことが出てきたので皆さまのお智慧を貸していただきたく投稿しました。
以下3点につきまして見解をお聞かせいただければ幸いです。

1.「較鹽鐵之利」はどのように訳すべきか?

ちくま学芸文庫『正史 三国志5』(呂乂伝)P.268に『(塩府校尉を)設置して、塩と鉄の専売による利益をはかったが(後略)』、(王連伝)P.308に『(王連は)司塩校尉に昇進し、塩・鉄の利益を全面的に管理し、国庫の収入がひじょうにふえ、国の予算に利するところがあった』とあります。
しかし、原文では「初,先主定益州,置鹽府校尉,較鹽鐵之利」(呂乂伝)、「遷司鹽校尉,較鹽鐵之利,利入甚多,有裨國用」(王連伝)とあるだけで、専売を意味する語はないように見えます。
「較鹽鐵之利」についても、漢和辞典で「較:くらべる・きそう・あきらかにする・車の横木」とあるだけで「全面的に管理する」とは読めませんでした。
較の字にそういう意味はあるのでしょうか。


2.本当に蜀(および魏呉)で塩や鉄の専売が行われたのか?

陶元珍著『三國食貨志』の「正文&#8226;七、工商業」では、『魏蜀&#21555;似皆專賣鹽(魏蜀呉ではみな塩は専売であった、という意味?)』として魏志衛覬傳(塩の売買を監督すべしという進言)・蜀志王連傳・蜀志呂父傳・&#21555;志孫休傳の「司鹽校尉駱秀」の記述を挙げています。しかし、専売であったということの根拠は特に書いてありません。また、鉄の専売については触れられていないようです。
『三國志集解』も読んでみたのですが、塩府や司塩校尉の職務などの解説はとくにありませんでした。
専門の官職がある以上、(鉄については不明ながらも)塩の生産・流通・販売に何らかの形で国家が介在していたのは間違いないのでしょう。
しかし、それをもって専売(一元的な管理)と断定してもよいのでしょうか。


3.専売制が布かれていたという証拠は?

日本語版wikiほか多くのwebサイトや書籍で「蜀では塩鉄の専売がされていた」旨の記述を見かけ、おまけに何故か諸葛亮の業績にされていたりしますが、実際のところこれを裏付けるような記録や出土史料というのは存在するのでしょうか。
西嶋定生著『中国古代の社会と経済』などを読んでみると、専売制については前漢から唐代まで時代が跳んでおり、蜀(および魏呉)の話は出てきません。確認したわけではないのですが、「三国時代に専売制があった」というのは割と新しい(ここ20〜30年の)説なのでしょうか。
2.とカブりますが、「監督する役所があった=専売制」でなく、具体的な証拠が必要なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。あるいはそういった記録などが存在していて、わたしが知らないだけでしょうか。
何かご存知のかたがおられましたら、ご教示いただきたいと思います。


今まで「蜀では塩鉄の専売がなされていた」というのが通説だと思い疑いもしませんでしたが、にわかに自信が無くなりました。皆様は実際のところ、どうだったと考えておられるでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

【3618】Re:専売制の根拠
 くてむお E-MAIL  - 2010/6/1(火) 6:21 -

引用なし
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   ▼Barbalさん:
はじめましてですが,できる範囲で回答させてもらいます。

>1.「較鹽鐵之利」はどのように訳すべきか?
較には「概略・あらまし・大略・ほぼ」という意味(講談社「新大字典」)があるそうなので,「塩や鉄の利益をほぼ手に入れる=独占する」という感じではないかと思います。

>2.本当に蜀(および魏呉)で塩や鉄の専売が行われたのか?
>3.専売制が布かれていたという証拠は?
張嶷伝に,塩や鉄、漆の利益を私物化している辺境地域があり,太守であった張嶷が官で管理するために討伐した記録があるので,国全体での専売に成功したかは分かりませんが,蜀が塩や鉄を国で管理したかったのは事実だと思います。

【3622】Re:専売制の根拠
感謝♪  Barbal  - 2010/6/10(木) 21:41 -

引用なし
パスワード
   ▼くてむおさん:
ご教示ありがとうございました。最近、中国史から離れているもので気がつくのが遅くなりたいへん申しわけありません。

「較」の意味について「塩や鉄の利益をほぼ手に入れる=独占する」とされたのは納得しました。たしかにそのように受け取れますね。

ただ、2点目でお答えいただいた「塩鉄を国が管理したかったのは事実であろう」というのは全面的に同意いたしますが、「それが専売制の証拠になるか」というとまだ弱いというか腑に落ちないのです ^^;
まあ、この疑問自体が一部の「蜀の経済政策はすごい」「諸葛亮は政治の天才」といった見方に対するアンチに過ぎないので、確たる結論が出るとも思っていないのですが。

いずれにせよ、また考えるときの参考にさせていただきたいと思います。回答いただき誠にありがとうございました。


>▼Barbalさん:
>はじめましてですが,できる範囲で回答させてもらいます。
>
>>1.「較鹽鐵之利」はどのように訳すべきか?
>較には「概略・あらまし・大略・ほぼ」という意味(講談社「新大字典」)があるそうなので,「塩や鉄の利益をほぼ手に入れる=独占する」という感じではないかと思います。
>
>>2.本当に蜀(および魏呉)で塩や鉄の専売が行われたのか?
>>3.専売制が布かれていたという証拠は?
>張嶷伝に,塩や鉄、漆の利益を私物化している辺境地域があり,太守であった張嶷が官で管理するために討伐した記録があるので,国全体での専売に成功したかは分かりませんが,蜀が塩や鉄を国で管理したかったのは事実だと思います。

【3623】Re:専売制の根拠
 くてむお E-MAIL  - 2010/6/19(土) 20:34 -

引用なし
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   ▼Barbalさん:
こちらも返事が遅れて申し訳ありません。

Barbalさんが主張されるとおり,蜀側が専売を「したかった」ということと,専売制が「行われていた」ということは必ずしも一致しません。

例えば前回のレスでは馬植傑氏の「三国史」を参考にしましたが,同書では専売制が行われた(氏は辺境の地でも国営にしたのだから,内地で違うということはないと主張します。)としながらも,別の箇所では蜀の豪族の既得権益には手を付けなかったとしています。

ですから,蜀の豪族が劉備の入蜀前から塩鉄の権益を持っていた場合,蜀はその権益を侵さなかったということになります。

ただ個人的には,塩鉄といった確実に利益が見込まれることに対して何の手も打たなかったとは考えにくいので,専売制とまではいかなくても,何らかの形でその収益の一部を国に納めるシステムを構築していたと思っています。

【3634】Re:専売制の根拠
 渡邉義浩  - 2010/7/3(土) 0:06 -

引用なし
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   渡邉義浩です。この場合の「較」は、「木」+「確−石」と同義で、専売するという意味になります。同じく、「竹」+「完」や「斡」も一文字で専売するという意味です。経済関係のテクニカルタームなので、難しいですね。

【3635】Re:専売制の根拠
感謝♪  Barbal  - 2010/7/6(火) 20:55 -

引用なし
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   ▼渡邉義浩さん:
>渡邉義浩です。この場合の「較」は、「木」+「確−石」と同義で、専売するという意味になります。同じく、「竹」+「完」や「斡」も一文字で専売するという意味です。経済関係のテクニカルタームなので、難しいですね。


ご教示いただきありがとうございます。気付くのが遅くなり申しわけありませんでした。
較の字にはそういう意味があったのですね。よくわかりました。

わたしのなかで「蜀は豪族の勢威が強く、三国の中でもっとも後進的だった」というイメージがあったので(捕虜だか異民族だかを豪族に与えたとかいう記述があったと思うのですが)、本当に専売制が実施できるほど国家の統制力があったのだろうかと疑問に思っていました。

とりあえずすっきりしました。

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