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【493】経済 陸伯議 2003/12/14(日) 9:50 教えて

【3350】劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性に... R・F 2009/1/30(金) 19:25 初心者質問
┗ 【3351】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... Barbal 2009/1/30(金) 22:20 多分…
┗ 【3353】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... R・F 2009/2/11(水) 15:39 感謝♪
┗ 【3354】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性... Barbal 2009/2/12(木) 21:03 追記

【3350】劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑性...
初心者質問  R・F  - 2009/1/30(金) 19:25 -

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   経済政策について疑問がありましたので、似たようなトビ(といっても共通項は『経済』だけですが)であるここに便乗して投稿させていただくことにしました。

疑問と言うのは、劉巴が提案したと言われる経済政策についてです。

「零陵先賢伝」に
蜀を得た劉備が、国の倉庫が空になっているのを心配して、劉巴に問うたところ、「簡単なことです。ただ百銭の貨幣を鋳造して諸物価を安定させ、役人に命じてお上の管理する市を立てさせるだけですみます」と言った。劉備がそれに従ったところ、数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」と、あります。
これは、どういう意味なのでしょうか?
この程度の政策でなぜ、僅か数ヶ月で官庫がいっぱいになるのか。
劉璋は一体どれほどお粗末な統治を行っていたのでしょうか、ということになります。

以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。この論文の締めは、安易な商業政策で国庫が潤ったことに味を占めた劉備は、根本的な国力増強を怠り、国の基礎体力を高めることが出来なかった、というような言葉だったと思います。
国力増強どころか、このような詐欺行為を行ったら、間違いなく民の信用はなくして、富国強兵に誰も付いてこなくなると思いますが。
それはともかく。

質問はここからなのですが(いつも前振りが長くてすみません)


1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか

2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。

私がこの政策の解釈として考えたのが、「数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」というのは、経済が安定し、国庫が豊かになった、という表現の慣用句ではないかと(治安が良くなったときの慣用句として「道に物が落ちていても私するものもなく、人々は家に鍵をかける必要がなくなった」という表現があります)。
あるいは、「数ヶ月の間に(経済は安定し、やがて)蔵はいっぱいになった」という読み方ではないか。時間経過に対する表現が抜けている可能性があるのではないかと言うことです。

ご存知の方、ご教示をよろしくお願いいたします。

【3351】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
多分…  Barbal  - 2009/1/30(金) 22:20 -

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   ▼R・Fさん:
 私事ながら三国志とは縁が切れつつあるのですが、わたしの知っている範囲で・・・・・・。先に結論から書かせていただきます。

>1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか

 原文では『「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官巿.」備從之,數月之間,府庫充實.』となっています。「百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくりなさい」と言うことでしょう。最後の部分がちょっと微妙ですが (^^;) この他には聞いたことがありません。
 効果のほどは「劉備はこれに従い、数ヶ月で府庫は充実した」とある通りです。

>2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。

 ちくまの『三国志』8巻P.327によれば、『零陵先賢伝』はその地(つまり零陵)のすぐれた人物の伝記だとあります。郷土の偉人の伝記、ということですから細部に脚色や誇張はあっても不思議はないですが、デタラメな書物という評価ではないようです。

>以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。

 『うまなみ三国志』の随想で大澤センセイが『(前略)市場に通貨が流通すれば、兵士達は当然、蔵から奪った物資や財宝を換金しようとしますから、わずか数ヶ月で兵士達が奪った物資や財宝は蔵に戻ったといいます。一種のインフレ政策ですが(以下ry)』とか書いていますが、これですか? 個人的には苦笑いするしかないのですが。

 以前、記事を書くために調べたのですが、

前漢後期頃から貨幣の退蔵と消費の低迷が進行。
董卓の小銭発行により貨幣の価値が下がり、物価が高騰。
物々交換や小銭を100枚単位で括って使用するようになる。

といった背景があったようです。このあたりは山田勝芳著『貨幣の中国古代史』を参考にしております(と言うか、まったくの受け売りですが)。
 直百銭の発行で物価を安定させ、官営市場(利益はすべて国庫に入る)で商売した結果、数ヶ月でかなりの売り上げがあった、ということで良いと思うのですが、いかがでしょうか?
 なお、余談になりますが、百銭の発行は張魯も行っており(太平百銭)、劉巴が初めてではありません。

 まとまりが悪いですが、あとは詳しい方にお願いします。

【3353】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
感謝♪  R・F  - 2009/2/11(水) 15:39 -

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   ▼Barbalさん:
レスをありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。

>>1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか
> 原文では『「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官巿.」備從之,數月之間,府庫充實.』となっています。「百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくりなさい」と言うことでしょう。最後の部分がちょっと微妙ですが (^^;) この他には聞いたことがありません。
> 効果のほどは「劉備はこれに従い、数ヶ月で府庫は充実した」とある通りです。

ということは。「零陵先賢伝」の文からは深読みできる部分は余りなく、この政策について他に言及したものは無いと言うことですね。

>>2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。
> ちくまの『三国志』8巻P.327によれば、『零陵先賢伝』はその地(つまり零陵)のすぐれた人物の伝記だとあります。郷土の偉人の伝記、ということですから細部に脚色や誇張はあっても不思議はないですが、デタラメな書物という評価ではないようです。
なぜ、信憑性に言及したかと言うと、いろいろと正史の本文と食い違う点が幾つか見受けられますので。曹操に零陵に派遣された経緯や、国庫が空になった記述等について。「零陵先賢伝」の内容に何か独特の傾向でもあれば、と思った訳です。

>>以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。
>『うまなみ三国志』の随想で大澤センセイが『(前略)市場に通貨が流通すれば、兵士達は当然、蔵から奪った物資や財宝を換金しようとしますから、わずか数ヶ月で兵士達が奪った物資や財宝は蔵に戻ったといいます。一種のインフレ政策ですが(以下ry)』とか書いていますが、これですか? 個人的には苦笑いするしかないのですが。
『うまなみ三国志』であったかどうかは記憶に無いのですが、蜀が商業に頼って国力が付かなかった、という論法であれば、その文章と思います。私自身、自分で書いておきながら何ですが、頭の中で多くの雑多な記憶と推測がごっちゃになっていて、正確な文章である自信がありませんので。

>前漢後期頃から貨幣の退蔵と消費の低迷が進行。
>董卓の小銭発行により貨幣の価値が下がり、物価が高騰。
>物々交換や小銭を100枚単位で括って使用するようになる。
>といった背景があったようです。このあたりは山田勝芳著『貨幣の中国古代史』を参考にしております(と言うか、まったくの受け売りですが)。
> 直百銭の発行で物価を安定させ、官営市場(利益はすべて国庫に入る)で商売した結果、数ヶ月でかなりの売り上げがあった、ということで良いと思うのですが、いかがでしょうか?
> なお、余談になりますが、百銭の発行は張魯も行っており(太平百銭)、劉巴が初めてではありません。
董卓の粗悪銭の話は大インフレを起こした事でも有名ですね。
孫ぽこさんのサイトでも、孫権が236年に「五百銭に当たるという大銭を作った」話が紹介されていました。この発行理由は経済政策としか書かれておらず、政策の目的はわかりませんでしたが。

そうなると、ポイントは、この経済政策で、本当にこれだけの効果があるかどうか、ですね。経済には疎いので、私には良くわかりませんが。
それほどの効果が無いなら、誇張した逸話として読むのが正しいのかも知れませんね。

この手の話。細かいことを気にしだすときりが無いのですが、でも気になります。

【3354】Re:劉巴の経済政策と「零陵先賢伝」の信憑...
追記  Barbal  - 2009/2/12(木) 21:03 -

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   ▼R・Fさん:
 『零陵先賢伝』の記述に誇張や潤色がないのか、といえば難しい(多少はあるかもしれない)のですが、結局のところ今となっては検証不能ですね。細かい部分で『三国志』本文と違いがあるということは珍しくもないことですし。
 一応、『三国志集解』『三国会要』『三國食貨志』に目を通してみましたが(通しただけです)、いずれも史実として紹介され、疑問は示されていないようですね。流れとしては

 百銭相当の大銭が見つかっており、蜀で(あるいはそれに前後して)鋳造されたのは確か。
  ↓
 劉巴の伝に彼が提言したことが記されており、ほかの人物の伝にはそれがない。
  ↓
 「真実はともかく史実として」彼が提案し、それなりの成果を挙げたと信じるしかない。

 ・・・・・・ということではないでしょうか。そのあたりは人それぞれ考え方があると思います。わたし自身、蜀漢の経済政策には疑問を感じておりますし。


 呉の銭幣もたしかに面白いですね。史書には當五百・當千しか記録されていないのに、當五十から當五千まで各種見つかっているという (^^;)
 何かの本だかwebサイトだかで「呉に高額貨幣が多かったのは南海貿易の決済のためだったのでは」という説を見ました。疑問が無いでもないですが、面白い説だとは思います。

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