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▼R・Fさん:
『零陵先賢伝』の記述に誇張や潤色がないのか、といえば難しい(多少はあるかもしれない)のですが、結局のところ今となっては検証不能ですね。細かい部分で『三国志』本文と違いがあるということは珍しくもないことですし。
一応、『三国志集解』『三国会要』『三國食貨志』に目を通してみましたが(通しただけです)、いずれも史実として紹介され、疑問は示されていないようですね。流れとしては
百銭相当の大銭が見つかっており、蜀で(あるいはそれに前後して)鋳造されたのは確か。
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劉巴の伝に彼が提言したことが記されており、ほかの人物の伝にはそれがない。
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「真実はともかく史実として」彼が提案し、それなりの成果を挙げたと信じるしかない。
・・・・・・ということではないでしょうか。そのあたりは人それぞれ考え方があると思います。わたし自身、蜀漢の経済政策には疑問を感じておりますし。
呉の銭幣もたしかに面白いですね。史書には當五百・當千しか記録されていないのに、當五十から當五千まで各種見つかっているという (^^;)
何かの本だかwebサイトだかで「呉に高額貨幣が多かったのは南海貿易の決済のためだったのでは」という説を見ました。疑問が無いでもないですが、面白い説だとは思います。
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