<<
>>
2001chat
040327
<<2001BBS


   「桜月亭」(<<0096.)で、初めてチャットをやって以来、そのおもしろさに目覚めたようで、この時期、チャットルームに通ったりしていた。と言っても、チャットルームによっては人が居ないことがあったりして、待ちぼうけすることが多々あった。
   というわけで、掲示板での話の流れもあってか(「東呉華亭」(<<0015.)の三国志掲示板過去ログ記事番号[934]参照)、清岡自ら、予告チャットを宣言することになる。
   話はそれるけど、このときの話の流れを見ると、すでに0110.>>三国志チャットサイト「tRTK CHAT」を知っていたようだ。システムをよく理解してなかったんで、結局、そちらへはおじゃましてないんだけど。ここらへんの参加者の関係を見てみると、家族みたいな暖かさがあって良いなぁ。

   2001年9月8日土曜日22時以降。清岡の呼びかけの予告チャットを「東呉華亭」のチャットルームで開催。
   かおるさん、玲可さん(<<0081.参照)、呉英さん(呉夫人さん)が参加してくださる。
   初呼びかけでこれだけ参加してくださるなんて嬉しい限り。話題は主に「呉」関連かな。

   2001年9月15日土曜日21時半以降。東雲右京さんの呉ファンサイト「Royal Graffiti」の第二回チャット大会に参加。
   参加者は、玖那さん、桜宮さん、東雲   右京さん、玲可さん(<<0081.参照)、清岡美津夫、そらかけるさん、蓮奈さん、TMKさん(<<0039.参照)、放浪の子龍さん、美月さん、美羽さんの十一人。相変わらずここのチャット大会は人数が多かった。
●ここで知ったのが、そらかけるさんの0111.>>小説サイト「ヒストリーストーリー・昊に輝く」。「徐氏」を初めとしていろんな小説あり。当時のサイト名は単に「ヒストリーストーリー」だったなぁ。
●ここで知ったのが、放浪の子龍さんの0112.>>サイト「子龍のねぐら」。武器や攻城兵器の3DCGがあったり。そういや開設は2001年8月3日とのこと。

   小説の方もすすめていて、この時期、0113.>>孫氏三代「故郷はここに」を完成させ、早速、2001年9月20日に「桜月亭」(<<0096.)に差し上げる。

   2001年9月20日、「東呉華亭」(<<0015.)の三国志掲示板に介子嘉さんという方の書き込み。実はここからいろんな話ができてくるんだけど……
介子嘉さんの0114.>>サイト「Le vie en Rose」。この後、中国史系サイトを別に立ち上げるので、こちらよりそちらでお世話になる。

   「東呉華亭」のチャットルームには待ち合わせ掲示板ってのがあって、そこをみると、2001年9月21日の夜にチャットをやろうという呼びかけがあった。ところがその日は、知らない間に眠ってしまったようで、起きたのが22日の午前1時。こりゃ、誰もいないなぁと思って、一応、チャットルームをのぞくと、なんと、介子嘉さんが居たのだ。
   ログを見ると、介子嘉さんも遅れてチャットルームへ入室した模様。
   軽く話して終わりかな、と思っていたのが大きな、そしてうれしい誤算。なんとそのまま夜明けまでチャットしてた。そのときの様子は0115.>>「『権ちゃんお墓参りツアー』の覚え書き」に詳しく書いている。
   そのチャットで「権ちゃんお墓参りツアー」なる企画が持ち上がる。名前のとおり孫権(字、仲謀)のお墓に行くツアー……と言いたいところだけど、実際、この日に行くと決めたわけじゃなくて、行くとしたらどんな感じ?って企画。
   孫権といえば、私の思いつくのがサイト「江河水」(<<0039.)。それからそのサイトと同じ管理人さんがやっているサイト。
TMKさん盟主の0116.>>同盟サイト「碧眼児同盟」。その名のとおり、孫権好きの同盟。
   で、そんな企画があるんだったら、そのサイトへ持ち込んでみようって話になって、その日のうちに(22日)、「江河水」の掲示板へ書き込む。
   こりもせず翌日の夜もチャット。今度は「桜月亭」(<<0096.)。
   参加者は清岡美津夫、御桜さん、吉野さん、介子嘉さん、かおるさん。

   2001年9月26日と10月4日の東呉華亭の掲示板の書き込みにて。
華陽梨園さんの0117.>>サイト「三国百貨大楼」。当時、どんなコンテンツがあったか失念しました……失礼。。。
アサヨリコさんの0118.>>サイト「片翼天使」。「東呉華亭」(<<0015.)の「人民画報」や「落書板」などのCGコーナーでの美麗イラストでお馴染みのアサヨリコさんのサイト。

   続いて2001年10月5日、前述したサイト「碧眼児同盟」でチャット。予告チャットじゃない。このサイトでは初チャット。「権ちゃんお墓参りツアー」のことがあったんで、話題はやっぱりそれが主流となる。そういや、このあたりから「しおり」構想もでるんだけど。
   参加者はTMKさん、清岡美津夫、眠々さん。
   眠々さんは「碧眼児同盟」の一員でサイト持ちなのだ。
眠々さんの0119.>>サイト「安眠庵」眠々さんによる可愛いイラストは必見。あと、ゲームをやらない私でも楽しめる「曹操伝」のレポも♪

   2001年10月7日。みたび、「Royal Graffiti」のチャット大会。テーマは三国志について。もうチャット大会が板についてきたって感じ。
   参加者は、そらかけるさん(<<0111.)参照)、清岡美津夫、東雲   右京さん(管理人様)、放浪の子龍さん(<<0112.参照)、はるみさん、蓮奈さん、右竜さん、桃さん、和歌さん、介子嘉さん、あゆさん、御櫻   飛鳥さん、カリウスさん、綾さん
   相変わらず大人数♪   またまたいろいろサイトを知ることになる。
●蓮奈さんの0120.>>サイト「成り行き。」。当時もいろんな作家さんのコーナーがあったような…   開設が2001年9月20日だから当時、できたばかり。

   2001年10月12日。東呉華亭の掲示板の書き込みにて。介子嘉さんが11日に三国志のサイトを別に立ち上げたということで。
介子嘉さんの0121.>>サイト「水上楼閣」介子嘉さんによる三国志小説や三国志に関するメモが読めたのだ。軍人・周瑜。


   このころどうも0121.>>「小説書きに100の質問」を読むのに清岡ははまっていたようで、あちこちの三国志小説サイトですすめていた。これはいわゆる0122.>>「ねえさんたちに100の質問」を元祖とする100質の小説書きバージョンってわけ。つまり、あらかじめ用意された100の質問にサイト管理人さんなどがそれぞれ答えていく企画。その人がそのこと(例、小説書き)についてどう思っているか考えていくかが浮き彫りになるから自己紹介などに使われたりと。多分、このころは流行りはじめで、この後、やたら「○○への100の質問」が増殖していく。

   そんな一環で、2001年10月22日に「水天宮」(<<0091.)の掲示板にて、しまみおさん(「水天宮」(<<0091.)参照)やそこの常連さんにすすめてみる。
   そうすると、常連さんのSplendissimaさん(「松浦宮華陽殿」という小説サイトの管理人様)が「三国志ファンに100の質問」を作ったら楽しいという旨を2001年10月23日に書き込んでくださる。そこからどんどん盛り上がって、三国志ファンに100の質問」の質問が常連さんによって書き込まれるようになる。
   というわけで、2001年10月26日に質問が100問、集まり、2001年10月28日に「三国志ファンに100の質問」が「水天宮」(<<0091.)で公開される。それから続々と回答が寄せられる。
   この掲示板の流れで知ったサイト。0123.「作家・宮城谷昌光ファンサイト“天空の舟”」。残念ながら、2003年8月27日に閉鎖されたんだけど、当時、宮城谷先生が三国志について語っている講演が載っていた。
●松竹梅さんの0124.>>サイト「りゅうぜんず」。当時の名前は「龍涎公司-りゅうぜんこうし-」。後に「永安日報」と改名された「三国志サイト巡礼」を私は楽しみにしていた。名前のとおり、松竹梅さんが他の三国志サイトの更新で気になった更新にコメントを添えてピックアップするコンテンツ。今、ざっと見てみると、三国志系サイトの歴史が見れて面白い。ちなみに2004年3月27日現在、「永安日報過去ログ(2002/09以前)」へのリンクはURLに「/~ryuzen」が抜けていてリンク切れしている。
●多分、このころからチェックしている白崎ゆきとさんのサイト「大河巡航。孫策を中心とした知識系サイト。更新が止まって久しいなと思ったら、無くなってしまう(涙)。URLはhttp://dahe.parfait.ne.jp/でした。

   2001年10月30日、清岡がオンライン完成打ち上げを提案。それは何かっていうと、「三国志ファンに100の質問」完成記念にチャット大会をやるってこと(やはりこの時期、清岡はチャットのことばかり考えていたようで…)。
   「水天宮」にはチャットルームがなかったので、TMKさんが盟主の「碧眼児同盟」(<<0116.)のチャットルームを借りることに。
   2001年11月10日午後10時スタート。
   参加者は、清岡美津夫、しまみおさん(<<0091.参照)、六花さん(<<0102.参照)、雑賀真咲さん(<<0077.参照)、おばらさん(<<0093.参照)、TMKさん(<<0039.参照)、眠々さん(<<0119.参照)、SPLさん(Splendissimaさん。「松浦宮華陽殿」という小説サイトの管理人様)、介子嘉さん(<<0121.参照)。
   こう参加者を並べてみたら、サイト管理人ばかりだ……   最後の方で自己紹介するっていうたいへん面白いチャットだった(笑)


   2001年11月6日。東呉華亭の掲示板の書き込みにて。 ●ユミヨシさんの0125.>>三国志小説サイト「三国志妖伝」。サイト名から少しわかるように、ファンタジーが入ってて独自の世界観のある小説を書いている。あ、その日のうちにそこのサイトの掲示板へ清岡は書き込みにいっている。


   話が元に戻って「権ちゃんお墓参りツアー」のこと。
   実は掲示板などでちゃくちゃくと企画が進行していて、「碧眼児同盟」(<<0116.)の「権ちゃんお墓参りツアー」のページが2001年10月31日に仮設置、翌日、11月1日に本設置となる。しおりに夢遊さん020528-3)の表紙がついたりと。それからツアーの打ち合わせと称し、やっぱりチャット大会(笑)
   「権ちゃんお墓参りツアー」打ち合わせチャット大会。2001年11月23日10時スタート。
   参加者は、清岡美津夫、TMKさん(管理人様)、PONSUKEさん、介子嘉さん(<<0121.参照)。
●しおりのイラストを描いてくださったPONSUKEさんの0126.>>CGイラストサイト「アンポンタンポカン.」。おかっぱキャラ好きとのこと。Star TrekVulcan人はどうなんだろ?   SpockとかT'Polとか(←思いっきり余談)。サイト開設が2001年11月23日になっているけど、チャット大会のときにできたの!?


   てな感じで、チャットは私の中でかなり浸透したのだった。



<<
>>