メモ:三国志研究会(全国版)第7回例会(2016年12月25日)

※関連記事 三国志ニュースの記事番号が三サポ板の投稿数を超えた日(2016年5月5日)

 上記関連記事で書いたように、「三国志ニュース」の記事番号はそれぞれのURLに含まれており、私が書く場合は順番どおりつけているのだけど、下記に記事番号3900と4000へのリンクが張ってあるとおり、キリの良い記事番号だと記念になるような記事を書きたくなる。

※新規関連記事 メモ:日本の「三国志演義」翻案作品における作画資料としての「三国演義連環画」(2017年6月24日)

※関連記事
 レポ1:8/1北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2015年8月1日)
 メモ:六間道三国志祭(2016年10月2日)

 さらに欲張って何らかの効果が期待できる内容にしたくて、例えば下記関連記事のように、三国志ファンと情報共有したいイベントのレポートとかだ。

※関連記事 メモ:第9回 三国志 義兄弟の宴(2016年2月7日)

 今回は下記関連記事で触れた三国志研究会(全国版)について。少人数ながら、2017年1月10日現在、毎回、新規の参加者がいらっしゃるという盛況ぶりだ(※追記。降雪の影響もあってか、2017年1月15日開催分でその記録が途絶え、かつ、参加数5名という最低記録)

※関連記事 三国志研究会(全国版) (2016年6月26日より毎月第三日曜日)

・3594ken (3594ken) on Twitter
http://twitter.com/3594ken

 対象は2016年12月25日日曜日の第7回例会。といっても当日、静岡からの移動なんで、途中からになる。しかも導入は日記的にダラダラと書く。


 前日の2016年12月24日土曜日はそれこそ三国志と関係ないが、8時間の時差の関係で未明に、スーペル・コッパ・イタリアーナ(つまりサッカーのイタリア・カップ戦)のユヴェントス×ACミランを東京阿佐ヶ谷のスポーツバー「ミラニスタ」で見ていて、ユニフォームのレプリカ・シャツを着て応援していたミランの優勝を見届け、高円寺のマンガ喫茶で睡眠をとり、田町にて13時開始の第20回三国志義兄弟の宴に一般参加し、二次会も参加する。前者は14名参加と、安定した盛況っぷり。後者はすでに定番化してて、三国チームばかりで。
 以前に何回か行ったことのある薩摩推しのお店。北から下記のような席順。

 HIROMIさん    テーブル  清岡

 ぼくぴこさん   テーブル  ぱちよさん

 ピオリーヌさん  テーブル  USHISUKEさん

 Ryuさん     テーブル 

 もちろん記事の本題じゃないんで詳細は省くんだけど、漢文読みの知識系ファンのRyuさんの声が共感系ファンに注目されていて、異性にキュンキュン言われて、さらにUSHISUKEさんがその興味のもたれ方に関心する様がとても面白かった。
 全体的には三国志ファンが集まっていて、共有化されてない情報がたくさんあって、それを(共感系の方に)話すだけでもとても楽しめた。三国志ファンは多種多様を実感。

※関連記事 レポ:7/26北九州 兀突骨で酒池肉林?! ラウンド1(2014年7月26日)

 それとコバルト文庫旋風江シリーズの話。

※関連記事 三国志関連で自分史作りのスゝメ

 19時前に解散となり、USHISUKEさんととRYUさんについっていって新宿までいき、そこで、時間調整する。
 新宿駅の構内にて。三本ぐらいの柱にあった刀剣乱舞のBlu-ray&DVD広告に、群がって写真を撮影していた女子らが途切れなかったのにはマーケティングとはかくあるものかと思った。
 20時5分新宿駅発中央線快速(東京行)。18分着。20時32分の小田原行き普通に間に合ったが、トイレの設備の関係で、アクティーを選択。入車ははやかったものの35分ぐらいまで扉があかなかった。ネットに通じず。20時48分発東海道本線快速アクティー(小田原行)。睡魔に襲われがっつりねむっていた。1時間半睡眠だから当然か。田中辰雄・山口真一/著『ネット炎上の研究』(勁草書房2016年4月25日発行)を読む。22時小田原駅到着。1分間での対面乗換えで混んでいたが、ロングシートの中央に座れる。22時01分発東海道本線(東日本)(熱海行)。22時24分熱海駅到着。
 10分乗換えで22時34分発東海道本線(東海)(沼津行)。ロングシートの中央に座れる。データ整理。22時48分三島駅着。17分乗り換えだけどすでに次の列車が来ていて、出発まで快適にすごす。23時5分発。やはり12月24日のせいか、都内を脱出したというのにどこまでいってもツガイがいらっしゃるので、自分の社会認知は想定の範囲内でまだまだ甘いなと思った所存。しかもどこにいってもクローズな求愛行動を表出されているの目にするんで、社会学というより生物学者になった気分だよ。
 2017年12月25日日曜日0時5分静岡駅到着。いきつけのいつも空いているマンガ喫茶にいくが、すでに扉の前でフラット席満席と書かれていた。なんか社会学的な分析をしそうになるけど、ウェブ上に予約フォームがあったが意味あったんだね。前の客は女子二人で、新規登録のフラットのペア席をかりてた。
 すっかり習慣化してきた『はじめの一歩』読書65巻まで。1時30分就寝。4時前に目が覚めたんだけど、すぐイヤホンを外し眠ってしまったけど、おきれた。4時間1350円。駅近くのコンビでねばる。130円のコロッケパンを買う。
 5時1分発東海道本線(東海)(岐阜行)に乗る。いつも逆方向、線路向こうのホームから見ていたけど、沼津行がロングシートに対して、転換式クロスシートなので、うらやましく見ていたが、まさかこれに乗る日がこようとは。その転換式クロスシートでは右側窓際にすわる。『ネット炎上の研究』を読みつつコロッケパンを食べたら、ひたすら眠ってしまう。6時52分豊橋駅到着。18分乗り換え。東海道本線(東海)特別快速(米原行)に乗るもまさかの固定式クロスシート。そんなんだったら6時55分発の大垣行の新快速にのった方が、大垣駅で乗り換えるがマシだったかもしれない。7時10分発。三国とは無関係な下記のレポートをひたすら書いていた。9時10分、米原駅到着。9分乗換え。

・レポ:さねよしいさ子ライブ
http://cte.main.jp/sunshi/2016/100918.html

 米原車内アナウンスがあったものの、対面の次の列車がきていない。来たら転換式クロスシートの右の窓際に陣取り、すぐにトイレへ。9時19分発、琵琶湖線新快速(姫路行)。ノートPCのバッテリー交換。10時13分京都駅5番線着。10時26分発の市バスで帰宅。
 列車内で作っていたToDoリストを一つ一つこなして、メインのお風呂と休息を全うする。13時46分の市バスに乗り(観光客で大混雑だった)、14時30分京都駅5番線発JR京都線新快速(姫路行)に乗り、14時58分に大阪駅5番線到着。桜橋口から

 そこから歩いて数分のところの龍谷大学大阪梅田キャンパスに向かう。長くなったけど、冒頭で書いたように、三国志研究会(全国版)第7回例会に参加するため。

・大阪梅田キャンパス|龍谷大学(りゅうこくだいがく)
http://www.ryukoku.ac.jp/osaka_office/

 14時からの第一部の菅澤博之先生の孫子講座「形篇」はすでに終わっており、第二部が始まるまでの休憩時間に入っていた。参加者は8名。竹内先生、教団さん、R・F(SAKAI)さん、ひろおさん、iru-iruさん、ウラカワさん、ぼるどさん、みなとさん、清岡だっけ?

今回の初参加者はぼるどさん。上着を羽織っていたら、「なんか清岡さんっぽくない」と言われたので、ご希望にこたえ、上着を脱いで赤黒縦縞シャツのACミランのユニフォーム姿となったが(笑)
 15時15分から佐藤ひろおさんにより「三国志集解のつかいかた」と題された発表が行われる。配布資料はA4両面印刷の8ページのものだ。2ページまでが『三国志集解』の『三国志』巻五十四呉書魯粛伝部分の訳注となり、3ページから5ページまでがそれと関連する『三国志』の各伝となり、7ページ目は年表、8ページ目は地図となる。発表しやすいように通しの行番号が振られてある。必要に応じてホワイトボードに書いていく流れらしい。
 まずタイトルにある『三国志集解』について。20世紀の盧弼が撰者。研究のダイジェスト本ともいうべきもので、先人のものが大体入っているという。三国志ファンに『三国志』ちくま文庫訳は馴染みがあるだろうけど、この『三国志集解』がない。しかも近年、標点本がでたばかりだ。そのため三国志ファンにとって『三国志集解』自体の攻略になりがちだけど、そういう主旨で今回の発表をするのではなく、『三国志集解』はガイドブックとしてとても便利だというテーマで進めていくという。
 題材に選んだのは配布資料からもわかるように『三国志集解』の『三国志』巻五十四呉書魯粛伝部分だ。具体的にそれを順に読んでいって、そのテーマを体験する流れらしい。配布資料中に「〔一〕」とナンバリングしているのは、『三国志集解』の集解部分であり、魯粛伝の最初の集解部分は魯粛の本貫地の臨淮東城についてのもので、「臨淮郡は、歩騭伝に見ゆ。」とそこで参照できる旨が書かれてある。続けて東城については「魏志 呂布伝 注引 先賢行状に見え、」とあり、つまり『三国志』の注に見られる『先賢行状』という文献から「陳登を東城太守と為す」引用してある。続けて東城についての胡三省という人の記述が載る。この人は司馬光『資治通鑑』に注をつけた人とのことだ。ひろおさん曰く「歴代の注釈を『集解』がおいしい所どり」と。
 ここで竹内先生からのツッコミ。「東城」は県としているのに、陳登の「東城太守」を胡三省がスルーされていると。そうすると配布資料の80行目、すなわち3ページ目の『三国志』巻九魏書呂布伝注引『先賢行状』での集解部分で趙一清(今ネットで検索して検索結果のリストを見ると清代の人で『水經注』を整理したとかで)のコメントが示され、後漢で省かれたので、「故に続志に之無し」とのことだ。ここで「後志」についてひろおさんの解説が入り、これは司馬彪『続漢書』郡国志のことで、『三国志集解』内では前置きも判例もなく、しかも方法の統一感もなく、勝手に文献名を略すとのことだ。また現行の『後漢書』は范曄『後漢書』本紀・列伝部分と司馬彪『続漢書』志部分で構成されていると情報共有。集解部分に戻って、郡があったことを聞かないので、「東城」は「東郡」の字の誤りとし、陳登の経歴から趙一清がその説を補強する。謝鍾英は漢末に東城は県から郡に昇格したとする。ここで発表での解説が入るのだけど『三国志集解』にはちゃんと対立意見も載せていると。盧弼のコメントがあって、下邳郡の東城とする。東郡だと距離が遠いとかなど。
 ここで8ページ目の地図を使って、これらの説について当時の勢力関係と共に解説される。竹内先生は「本貫回避の原則」を使ってツッコミをいれてらした。

・Re:漢代・三国志時代の官職について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=3561

 ひろおさんの発表タイトルは「三国志集解のつかいかた」であって、「三国志集解」の中身がメインテーマではないことは事前のやりとりで知っていた。ひろおさんのわかりやすい表現を使うなら、魚(中身)を渡すのではなく釣竿(つかいかた)を渡すやり方を好む、とのこと。なので、眼前の魚も興味深く議論も進んでいるんだけど、釣竿の方を留意してもよいかも、と提言していた。そこでひろおさんが釣竿のことを情報共有してくださる。
 話が魚の方に戻り、一県を一郡にするメリットは何かを話し合っていた。その参考となる事例としてひろおさんが挙げていたのが、『三国志』巻二魏書文帝紀の「(黄初三年)五月、以荊・揚・江表八郡為荊州、孫權領牧故也;荊州江北諸郡為郢州。」という荊州江北の諸郡を郢州という州にして、孫権を牧にしたことだ。
 魯粛伝に戻り、2ページ目の37行の集解部分の一統志の件。史料と今の場所をつなげるのが大変とのこと。
 12行目の「摽」は「摽(さしまね)きて」と読むそうな。集解部分で『孟子』から引かれている。
 14行目からは今回のテーマのきっかけになった「周瑜為居巢長、將數百人故過候肅、并求資糧。肅家有兩囷米、各三千斛、肅乃指一囷與周瑜、瑜益知其奇也、遂相親結、定僑・札之分。」部分。まず「囷」の字について。集解部分によると、囷は円形のものさし(→円筒形)、京は方形のものをさすそうな。下記関連記事にあるように、そういや昔、文物の展覧会で見かけたという話を申し上げていた。

※関連記事 中国古代の暮らしと夢

 そこから区画を変える話などになっていたが、それより終了時刻が迫っていることに着目されるようになっていた。ひろおさんの想定した進行だと、レジュメをつくっておいて、魯粛伝に沿って進められるところまで進める、ということで、特に続きは想定されていなかった。
 でも聴講している身(複数人)としては魚も釣竿もこのまま終わらせるのはもったいないってことになり、第2回が設定されつつあった。別の伝にうつってもよかったんだけど、そのまま魯粛伝ってことになり、ひろおさんの都合の良い月は2月ってことになる(※追記。2月26日日曜日14時よりキャンパスプラザ京都で開講)。
 あと竹内先生への質問で筑摩書房の『三国志』訳本は『三国志集解』をを参照しているのか?というのがあったが、「人(訳者)による」という回答だった。

 休憩を挟んで、16時30分からは竹内真彦先生による「演義的校勘日記:第2回前篇」だ。『三国志演義』の李卓吾本と毛宗崗本との一字ずつ比較していく主旨で、その異同などで『三国志演義』の成立過程などが見えてくる期待がある。もちろん「校勘日記」は「交換日記」とかけているそうで、また「第2回前」は『三国志演義』の「第2回」の前半部分ということで、先々月(準備回があるんでさらに前から)からの続き物となっている。
 メインの資料は李卓吾本と毛宗崗本とを一文字ずつ並べたもので、解りやすいように色分けされてある(なぜか表紙の右上にはシリアルナンバーがふってあって、プレミア感がある・笑)。今回は『三国志演義』についての踏み込んだ知見がそれほど得られなかったようで、日本の旧字新字、大陸と台湾の繁體字と簡体字の話になっており、それらについて日本中国学会や東方学会ではどういった規定になっているかという話をしてくださっていた。それと吉川幸次郎先生の弟子の一海知義先生がおっしゃった「間違えるから使うな」の話とか。
 そこから個別の漢字の話、「絲」と「糸」は現代日本語では統一されているが、前者は「シ」で後者は「ベキ」と本来読み方が違う。あと「蟲」と「虫」。前者がそのまま虫の意味だけど、後者は本来、マムシのいみだそうな。そのほか繁體字「範」と簡体字「范」の話、「弁」の異体字が6つあって、統一する変遷の話、「歩」「步」の違いと漢字の成り立ちの話ときて、『康煕字典』の話になっていた。
 個人的に、印象に残ったのは、ワープロの漢字でやたら異体字が多いのは、人名の漢字を再現によってワープロの売れ行きに影響するから、というものだろうか。
 あと「従」の繁體字は「從」で、簡体字は「从」であるのだけど、実のところ「从」は漢代の『説文解字』にも載る字形なので、2000年前に先祖がえりしている、と。
 それで『三国志演義』の方だけど、22行目が大きくことなるとのこと。あと李本の方が劉備がなさけなく描かれていると。その例か29行目に劉備が出てくるが全然、魅せてないと。51行目以降が、帝と張鈞、十常侍とのやりとりで、52行目の李本では自主的に霊帝が十常侍と共にダメな方向に動いているが、毛本では十常侍だけが事を起こしている。
 63行目では李:劉玄徳→毛:劉公。ちなみに三国志平話では「玄徳公」らしい。75行目では李本で役職と人名が列挙されるが、それらは毛本で削られる。曹嵩が出てこず、『資治通鑑』を参照していない証かもと。
 46行目の李本・毛本共にある「南陽一路」という表現。実はこの路は(州に相当する)宋代の行政区分だそうな。ここから行政区分の変遷の解説と、転じて天下を表現する「十八路」という表現(「十八路諸侯」とか)、それから軍+行政区分である「十八鎮」表現、「二十八宿」から『三国志平話』の「二十八鎮」表現があるのかな、と。

 こういった流れで、17時30分には終了する。いつもだったら、ファミレスか居酒屋で飲み会という場合もあるのだけど、竹内先生と清岡は次の予定があったんで、そのまま大阪駅の方へと向かう。

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※新規関連記事 三国志 桃園のつどい(2017年4月30日渋谷)

※新規関連記事 らーめん鳳雛(東京都練馬区江古田 2017年2月14日-)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/4100