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はじめまして、むじんさん。
むじん書院の『三國志集解』のサンプルの翻訳、
ぼちぼち読んでますが、……眼と頭が痛いです。
じつは、漢籍完訳プロジェクトIMAGINEのサイトから、
この掲示板にたどり着きました。
そちらでリンクされてるサイトも、サーフィンして楽しんでます。
ところで、非営利目的のサイト名をこうして公表してますが、大丈夫でしょうか?
もしクレームがついたら管理人さん、遠慮なく削除してほしいです。
>思うに、前者は自前の軍事力を持って自立し、曹操の同盟軍だった軍閥ですね。
>後者は小作人を軍事力に転換することも可能であったにもかかわらず、それをせず、
>一個人の才能によって曹操の旗本的官僚になった人たちでしょう。
>豪族を「旧軍閥」、名士を「豪族」と読み替えるなら、
>>豪族と名士を分けて考えるのは、間違いでしょうか?
>このご意見に賛成します。旧軍閥と豪族(富農)は分けて考えるべきでしょう。
旧軍閥ということは、
次第に私兵集団を解体したり、他に振り分けたりしたんですね。
曹氏の直属軍にしたんでしょうか?
そういえば、晴耕雨読とよく言われますが、
畑を耕すのは小作人に任せて士大夫は読書をしていた、
というようなことを読んだことがあります。
どこで読んだか思い出せませんが……。
でも結局は、個人的能力より、名声を得て名士になって高級官僚になるのにも、
家柄になってしまうんでしょうか?
曹操も、才能優先の人材登用にある程度成功したものの、
ついにこれを突き崩せなかったようですね。
貴族化は歴史の必然的な流れ、というべきでしょうか。
>ここでは名が挙げられていませんが、李通の子孫は晋朝でも出世してますね。
>そのほかは子孫が列侯に封じられていますが、
>これは旧領からの切り離しを狙った飼いならし政策かも知れません。
すると李通の子孫には、爵位だけを与えて、実権を与えなかったんでしょうか?
だけど、家門に関係なく貴族(?)になれたのは、
漢代のころのことを考えると、特異と言うべきかな……。
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