三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【173】魏晋の貴族 さんすけ 2003/6/24(火) 15:12 教えて

【175】名士・豪族・貴族 清岡美津夫 2003/6/26(木) 9:58 雑談
┣ 【177】Re:貴族でない さんすけ 2003/6/26(木) 19:43 感謝♪
┃┗ 【178】文台さんのこととなると飛びついてしまう悪い... 清岡美津夫 2003/6/26(木) 21:12 雑談
┃┗ 【179】Re:まさに六朝の原点〜だから江南はオモシロ... さんすけ 2003/6/27(金) 1:24 雑談
┃┗ 【180】須卜氏、孫氏、呉氏 清岡美津夫 2003/6/27(金) 13:25 雑談
┣ 【183】Re:名士・豪族・貴族 白崎ゆきと 2003/6/28(土) 12:36 お答え
┃┣ 【187】Re:名士・豪族・貴族 さんすけ 2003/6/29(日) 8:51 感謝♪
┃┃┣ 【188】Re:名士・豪族・貴族 さんすけ 2003/6/29(日) 8:58 追記
┃┃┗ 【190】Re:名士・豪族・貴族 むじん 2003/6/29(日) 15:07
┃┃┗ 【191】Re:名士・豪族・貴族 さんすけ 2003/6/29(日) 19:24 感謝♪
┃┃┣ 【193】サイト名とかリンクとか 清岡美津夫 2003/6/30(月) 16:51 管理系
┃┃┗ 【196】Re:名士・豪族・貴族 むじん 2003/7/1(火) 1:46
┃┣ 【194】Re:名士・豪族・貴族 清岡美津夫 2003/6/30(月) 20:04 感謝♪
┃┗ 【2766】古いスレですが 「民族」の問題 巫俊(ふしゅん) 2007/2/22(木) 11:55 感想
┃┗ 【2767】Re:古いスレですが 「民族」の問題 白崎ゆきと 2007/2/25(日) 12:39 感想
┗ 【197】豪族の呼び方 さんすけ 2003/7/1(火) 9:22 紹介
┗ 【203】Re:豪族の呼び方 清岡美津夫 2003/7/3(木) 19:15 感謝♪

【175】名士・豪族・貴族
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/6/26(木) 9:58 -

引用なし
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   どうも、はじめまして。
そこらへんのことはまったく疎い清岡です。

そういうふうな、ある程度、グループ分けされているようなところは、研究者がまとめた書を読むのが、はやそうなんですが、私はとりあえずキーワードを元に史書を調べます。

それで、名士、豪族、貴族を三国志および後漢書、晋書あたり(注を含む)でそれぞれしらべてみると、単語の数が
名士>豪族>>貴族
みたいになりました。
(「名士」にいたっては「漢末名士録」って書物があったようで)

「貴族」が二、三しかありません。
やっぱり、これは後世の人が学問上、名付けた呼び方なんでしょうかね。
役人なら「吏」、兵士なら「卒」というように、貴族にも当時の呼び名みたいなのがあるんでしょうかね。

【177】Re:貴族でない
感謝♪  さんすけ  - 2003/6/26(木) 19:43 -

引用なし
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   はじめまして、清岡さん。
無理な質問にお答えいただき、ありがとうございます。
これは『解體晋書』に持ち込むべき質問かもしれませんね(笑)。

「孫氏三代」ぼちぼち読んでます。
ところで、孫家が代々役人をしていたとなると、
すでに世襲制だったみたいですね。
孫氏は、かなり有力な地方豪族だったんでしょうか。
名門出の周瑜と主従関係になれたのも、
不思議といえば不思議です。

【178】文台さんのこととなると飛びついてしまう悪...
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/6/26(木) 21:12 -

引用なし
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   ▼さんすけさん:
>はじめまして、清岡さん。
>無理な質問にお答えいただき、ありがとうございます。
>これは『解體晋書』に持ち込むべき質問かもしれませんね(笑)。

えー、私も気になる質問だったので、埋もれさせるのは惜しいとおもって、答えじゃないレスを付けてみました(汗)
誰か、答えてくれるのを気長に待ちましょう♪

……ちなみに、私は貴族というと須卜骨都侯ぐらいしか思いつかない人なので今はちゃんと答えられません(汗)


>「孫氏三代」ぼちぼち読んでます。

おー、うちのサイトに来てくれたんですか? ありがとうございまーす。

>ところで、孫家が代々役人をしていたとなると、
>すでに世襲制だったみたいですね。

えー、韋昭撰呉書がいうところの「堅世仕呉」ですね。
あと、おじいさんだかお父さんだがが「瓜を育てることを仕事」としていたらしいですよ。これは伝説っぽい話で出てくるんで、信憑性はほとんどないと思うんですけど、私はほとんど後ろ盾のない状態で、出世した文台さんを夢見ているので、代々役人より、こちらを支持します(笑)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w020929.html

ちょうど朱雋が文官で途中まで出世したように、その武官バージョンが文台さんだといいかなあと(あ、夢見てるんですよ)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030222.html#06

>孫氏は、かなり有力な地方豪族だったんでしょうか。
>名門出の周瑜と主従関係になれたのも、
>不思議といえば不思議です。

そのずいぶん前に、呉氏に婚姻を断られているので(といっても文台さんが)、周瑜に先見の明があったんでしょうかねー。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030128.html

【179】Re:まさに六朝の原点〜だから江南はオモシ...
雑談  さんすけ  - 2003/6/27(金) 1:24 -

引用なし
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   >須卜骨都侯
これ、スボクコツトコウと読むのですか?
この人、呼廚泉のお兄さんだったんですか。知りませんでした。
なんか、漢民族に利用されたあげく、袋叩きにあってるような……(泣)。
『後漢書』が完訳されないかな(他人任せ)。

>伝説
『宋書』符瑞志。
変わったところに、伝承があるんですね。
いかにも『捜神記』などにもありそうな六朝文学、て感じですが。
梁が江南政権だから、『宋書』の編者の沈約は、梁を正統化するために、
こうした孫呉びいきの言い伝えを残したのでしょうか?

>朱雋
正史三国志での「朱儁」のことでしょうか?
後漢書では「朱雋」なんですね。
横山・吉川三国志で育ったためか、
朱雋というと、全っ然、好い印象がないです。
でも、コーエーのゲームではそれなりに、能力値が高いですね。

>呉氏
へー、呉夫人って実家から結婚を反対されてたんですね。
日本で言うと、源頼朝と北条政子みたいな感じかな……。
それにしても、これだけ活躍しているのに、
名も字もわかってないとは、……ヒドイ。

【180】須卜氏、孫氏、呉氏
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/6/27(金) 13:25 -

引用なし
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   ▼さんすけさん:
>>須卜骨都侯
>これ、スボクコツトコウと読むのですか?
>この人、呼廚泉のお兄さんだったんですか。知りませんでした。
>なんか、漢民族に利用されたあげく、袋叩きにあってるような……(泣)。

すみませーん。前の書き込みで抜けていたところがありました。

貴族というキーワードで調べていると、漢書匈奴伝の注に

文穎曰「須卜氏、匈奴貴族也。」

という記述を見つけ、あー、須卜氏って匈奴の貴族なんだなあ、
って妙に感心しました。
で、身近にしっている、須卜氏といえば、須卜骨都侯だったっていうわけです。
私の文を読み返してみると、わけわかんないことになってますね。

ちなみに呼廚泉のお兄さんは於夫羅です。
須卜骨都侯はどちらかというと、この兄弟の敵対勢力でしょうかね。
いったい、何とお読みすればいいんでしょうかねー。
当て字系は難しいですね。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w021130.html

>『後漢書』が完訳されないかな(他人任せ)。

後漢書の訳は2つの出版社からただいま、刊行され続けてますね。
図書館で見かけたんですけど、どこの出版社でしたっけ。

>>伝説
>『宋書』符瑞志。
>変わったところに、伝承があるんですね。
>いかにも『捜神記』などにもありそうな六朝文学、て感じですが。
>梁が江南政権だから、『宋書』の編者の沈約は、梁を正統化するために、
>こうした孫呉びいきの言い伝えを残したのでしょうか?

孫呉を正統化するのは難しいのでしょうね。
伝説に頼るしか手がなさそうです(汗)
あと、始皇帝の逸話がありましたかね。
始皇帝が会稽あたりにいったとき、「ここに天子の気を感じる」とかなんとか言ったとか言わないとか(うろ覚え)

>>朱雋
>正史三国志での「朱儁」のことでしょうか?
>後漢書では「朱雋」なんですね。
>横山・吉川三国志で育ったためか、
>朱雋というと、全っ然、好い印象がないです。
>でも、コーエーのゲームではそれなりに、能力値が高いですね。

えー、公偉のことです。字体によって、いろいろ変わる人の一人ですよ。
簡体字だったら、たしか、「[石朱]俊」とか書きますよ。
私は横山・吉川三国志は全然、知らないので、たまに驚かされることがあります。
http://cte.main.jp/sunshi/c-board/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=219;id=
(↑デザインがここと似てますが別の掲示板です・汗)
おー、能力値が高く設定されているのですか? それはよかったです♪

>>呉氏
>へー、呉夫人って実家から結婚を反対されてたんですね。
>日本で言うと、源頼朝と北条政子みたいな感じかな……。
>それにしても、これだけ活躍しているのに、
>名も字もわかってないとは、……ヒドイ。

えー、だから、小説、書くとなると、オリジナルの名前をつけますね
どっかの出土品から、名や字がわかるってことはないでしょうかね。。。

【183】Re:名士・豪族・貴族
お答え  白崎ゆきと E-MAIL  - 2003/6/28(土) 12:36 -

引用なし
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   はじめまして、白崎ゆきとと申します。
単なる三国志好きに過ぎませんがよろしくお願いします。

■ さんすけさん
> 魏晋において貴族制社会に移行していった時、
> 中原の豪族が貴族化したのでしょうか?
> あるいは、
> 魏晋の功臣となった名士が貴族化したのでしょうか?
「中原の豪族」がどれぐらいのレベルの豪族を指してるのかと、
「魏晋の功臣」が「魏晋の上級官吏」のことか「創業の功臣」のことかで、
多少はなしが変わってくるんですが、
基本的には両方から貴族が輩出されたってことになると思いますよ。

> また貴族は、政治権力の他に、
> 領主化したり、呉の豪族のような軍事力(私兵)を有したりしていたのでしょうか?
当時の豪族たちは競って荘園をつくったのですが、
そこの小作人たちに武器を持たせれば立派な私兵なんですよ。
というか、呉の豪族もそういうものですね。

領主化傾向は、後進地域である江南や辺境部ではつよかったのですが、
結局は頭打ちになっちゃいます。
これが中国中世史の大きな特徴ですね。

> 曹操は異民族を強制移住させたそうですが、
> 魏晋貴族は、異民族を傭兵としたのでしょうか?
異民族なんてその辺にゴロゴロいましたから、
ゴハンなどと引き替えに使役したことは結構あったと思いますよ。
ちなみに、国レベルでそれをやっていたのが曹操とかで、
便利使いしすぎて収拾がつかなくなったのが八王の乱です。

> あと漢民族と異民族の差別は、どんなだったのでしょうか?
うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
あるようなないようなって状態ですからねぇ。

■ 清岡美津夫さん
> 「貴族」が二、三しかありません。
> やっぱり、これは後世の人が学問上、名付けた呼び方なんでしょうかね。
後世の誰が最初に貴族と呼んだかは分かりませんが、
今日の学者が貴族と呼ぶことを決定づけた人なら知ってますよ。
明治の支那学者・内藤湖南博士です。

> 役人なら「吏」、兵士なら「卒」というように、貴族にも当時の呼び名みたいなのがあるんでしょうかね。
谷川道雄先生が述べられるには、「郡望」・「望族」だそうです。

とまぁ、馬鹿正直に答えちゃったわけですが、
こういうのってほとんど身になりませんからねぇ……。
できることなら、ご自身で本を手にとってほしいところです。

お薦めなのは、講談社学術文庫の川勝義雄『魏晋南北朝』です。
これは30年前に刊行された『中国の歴史』シリーズの第三巻を文庫化したもので、
今日でも名著との誉れが高い非常にすぐれた概説書です。

自分も先日の文庫化で念願かなって手に入れたクチですが、
想像以上に良い本だったのでいたく感動しております。

ご質問にあった貴族の有り様については、この本でおおよそ掴めますよ。

【187】Re:名士・豪族・貴族
感謝♪  さんすけ  - 2003/6/29(日) 8:51 -

引用なし
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   はじめまして、白崎ゆきとさん。
たくさんの質問に、すべて答えてくださいまして、ありがとうございます。

>「中原の豪族」がどれぐらいのレベルの豪族を指してるのかと、
>「魏晋の功臣」が「魏晋の上級官吏」のことか「創業の功臣」のことかで、
>多少はなしが変わってくるんですが、
>基本的には両方から貴族が輩出されたってことになると思いますよ。

曹操直属の豪族と言えば、李典、許チョ、張シュウ、張燕などを、
名士と言えば、荀イク、荀攸、陳グン、鍾ヨウ、華キンなどを、思い浮かべますが、
実際に国家を運営してたのは、名士たちですよね?
豪族そのものが、貴族になったイメージがないんですよ。
大体は地方豪族が、地方官(のちに中正官)を通して、
名士を中央政府に送り込んで彼らをパイプ役にし、
既得権益を守ったり、利権の増大を図っていたような感じがします。
荀擦澆燭い妨・燭僕f修平雄爐鮨箋鵑垢襪里呂爐靴蹇△泙譴世隼廚Δ鵑任后」
(なぜ荀擦蓮∩眩爐剖・呂靴董∈埜紊砲老_錣譴討靴泙辰燭里・・ヒ
曹操の求賢令、さらに郷挙里選から九品官人法に切り替わるんですが、
当初の目的であった能力至上主義は消え去って結局、
地方官から中正官に、豪族から魏晋の功臣に代わっただけなんじゃないか、と。
豪族と名士を分けて考えるのは、間違いでしょうか?

>当時の豪族たちは競って荘園をつくったのですが、
>そこの小作人たちに武器を持たせれば立派な私兵なんですよ。
>というか、呉の豪族もそういうものですね。
>領主化傾向は、後進地域である江南や辺境部ではつよかったのですが、
>結局は頭打ちになっちゃいます。
>これが中国中世史の大きな特徴ですね。

たいして軍事力を持たない名士たちがどうやって地方豪族を抑えてきたのか、
また曹操直属の豪族に不満がなかったのか、
そういったことが知りたくて、質問をしてしまいました。
特に、曹丕は好き嫌いが激しく、けっこう自分勝手な人事をして、
地方反乱とか起きなかったのかなぁ、とか思ったりしています。

>異民族なんてその辺にゴロゴロいましたから、
>ゴハンなどと引き替えに使役したことは結構あったと思いますよ。
>ちなみに、国レベルでそれをやっていたのが曹操とかで、
>便利使いしすぎて収拾がつかなくなったのが八王の乱です。

>うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
>そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
>三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
>民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
>それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
>あるようなないようなって状態ですからねぇ。

そうすると、居住地が違うというだけで、
一緒にいるときは、異民族も漢民族とほとんど同化してたんですね。
五胡十六国の劉淵や石勒などは、民族の自立よりも、
単純に中国全土を制覇することを考えていたんでしょうか?
のちに匈奴の劉聡が、西晋の皇帝を辱めたりしますよね。
あれも個人的嗜好なのかな?

>お薦めなのは、講談社学術文庫の川勝義雄『魏晋南北朝』です。
>これは30年前に刊行された『中国の歴史』シリーズの第三巻を文庫化したもので、
>今日でも名著との誉れが高い非常にすぐれた概説書です。
>
>自分も先日の文庫化で念願かなって手に入れたクチですが、
>想像以上に良い本だったのでいたく感動しております。
>
>ご質問にあった貴族の有り様については、この本でおおよそ掴めますよ。

ご紹介、ありがとうございます。
あと、同じ川勝義雄著の『六朝貴族制社会の研究』(岩波書店)というのが
ありましたので、今度併せて図書館から借りてみて、面白かったら買います。

【188】Re:名士・豪族・貴族
追記  さんすけ  - 2003/6/29(日) 8:58 -

引用なし
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   文字化けしてしまいました。

>荀擦澆燭い妨・燭僕ヘクタール修平雄爐鮨箋鵑垢襪里呂爐靴蹇△泙譴世隼廚Δ鵑任后」
→荀イクみたいに公平に有能な人材を推挙するのはむしろ、まれだと思うんです。

>(なぜ荀擦蓮∩眩爐剖・呂靴董∈埜紊砲老戦れてしまったのぁΑヲヒ
→(なぜ荀イクは、曹操に協力して、最後には嫌われてしまったのか?)

大変、失礼しました。

【190】Re:名士・豪族・貴族
 むじん E-MAILWEB  - 2003/6/29(日) 15:07 -

引用なし
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   こんにちは。

>曹操直属の豪族と言えば、李典、許チョ、張シュウ、張燕などを、
>名士と言えば、荀イク、荀攸、陳グン、鍾ヨウ、華キンなどを、思い浮かべますが、
>実際に国家を運営してたのは、名士たちですよね?

全体の趣旨に異議はないですが、このあたりに引っかかるものを感じます。
潁川荀氏も大規模な農場を保有する豪族(富農)だったと思いますよ。
にもかかわらず李典たちとはどこか色が違う…。なぜだろう。
思うに、前者は自前の軍事力を持って自立し、曹操の同盟軍だった軍閥ですね。
後者は小作人を軍事力に転換することも可能であったにもかかわらず、それをせず、
一個人の才能によって曹操の旗本的官僚になった人たちでしょう。
豪族を「旧軍閥」、名士を「豪族」と読み替えるなら、
>豪族と名士を分けて考えるのは、間違いでしょうか?
このご意見に賛成します。旧軍閥と豪族(富農)は分けて考えるべきでしょう。

ここでは名が挙げられていませんが、李通の子孫は晋朝でも出世してますね。
そのほかは子孫が列侯に封じられていますが、
これは旧領からの切り離しを狙った飼いならし政策かも知れません。

【191】Re:名士・豪族・貴族
感謝♪  さんすけ  - 2003/6/29(日) 19:24 -

引用なし
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   はじめまして、むじんさん。
むじん書院の『三國志集解』のサンプルの翻訳、
ぼちぼち読んでますが、……眼と頭が痛いです。
じつは、漢籍完訳プロジェクトIMAGINEのサイトから、
この掲示板にたどり着きました。
そちらでリンクされてるサイトも、サーフィンして楽しんでます。
ところで、非営利目的のサイト名をこうして公表してますが、大丈夫でしょうか?
もしクレームがついたら管理人さん、遠慮なく削除してほしいです。

>思うに、前者は自前の軍事力を持って自立し、曹操の同盟軍だった軍閥ですね。
>後者は小作人を軍事力に転換することも可能であったにもかかわらず、それをせず、
>一個人の才能によって曹操の旗本的官僚になった人たちでしょう。
>豪族を「旧軍閥」、名士を「豪族」と読み替えるなら、
>>豪族と名士を分けて考えるのは、間違いでしょうか?
>このご意見に賛成します。旧軍閥と豪族(富農)は分けて考えるべきでしょう。

旧軍閥ということは、
次第に私兵集団を解体したり、他に振り分けたりしたんですね。
曹氏の直属軍にしたんでしょうか?
そういえば、晴耕雨読とよく言われますが、
畑を耕すのは小作人に任せて士大夫は読書をしていた、
というようなことを読んだことがあります。
どこで読んだか思い出せませんが……。
でも結局は、個人的能力より、名声を得て名士になって高級官僚になるのにも、
家柄になってしまうんでしょうか?
曹操も、才能優先の人材登用にある程度成功したものの、
ついにこれを突き崩せなかったようですね。
貴族化は歴史の必然的な流れ、というべきでしょうか。

>ここでは名が挙げられていませんが、李通の子孫は晋朝でも出世してますね。
>そのほかは子孫が列侯に封じられていますが、
>これは旧領からの切り離しを狙った飼いならし政策かも知れません。

すると李通の子孫には、爵位だけを与えて、実権を与えなかったんでしょうか?
だけど、家門に関係なく貴族(?)になれたのは、
漢代のころのことを考えると、特異と言うべきかな……。

【193】サイト名とかリンクとか
管理系  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/6/30(月) 16:51 -

引用なし
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   ▼さんすけさん:
>ところで、非営利目的のサイト名をこうして公表してますが、大丈夫でしょうか?

私の論点がずれているかも知れないですけど、よそのサイト名をかかげることや、リンクに関しては、そのサイトがいやがらなければ、この掲示板的にOKだと思いますよ。
リンクに関して:http://cte.main.jp/rule.html
↓あと、リンクに関しては、こういうこともありました。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=38;no=40;id=

【194】Re:名士・豪族・貴族
感謝♪  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/6/30(月) 20:04 -

引用なし
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   ▼白崎ゆきとさん:
>はじめまして、白崎ゆきとと申します。
>単なる三国志好きに過ぎませんがよろしくお願いします。

初めまして、清岡ともうします。
まさか、白崎さんからコメントをいただけるなんて思ってもいませんでした。
(それに読み応えのあって面白いスレッドになって、楽しんでますよ)

そちらのサイトは楽しく拝見させていただいてます♪

>■ 清岡美津夫さん
>> 「貴族」が二、三しかありません。
>> やっぱり、これは後世の人が学問上、名付けた呼び方なんでしょうかね。
>後世の誰が最初に貴族と呼んだかは分かりませんが、
>今日の学者が貴族と呼ぶことを決定づけた人なら知ってますよ。
>明治の支那学者・内藤湖南博士です。

やっぱり、呼び名が定まったのは結構、新しいんですね。
何かそこらへんの学者の方だと、素人考えで、外国語の日本語化が関わってそうですね

>> 役人なら「吏」、兵士なら「卒」というように、貴族にも当時の呼び名みたいなのがあるんでしょうかね。
>谷川道雄先生が述べられるには、「郡望」・「望族」だそうです。

なるほど、「郡望」・「望族」ですか。教えていただき、ありがとうございます♪

あと、贅沢かもしれないですけど、「これぞ貴族だ」みたいな、貴族出始めのころの象徴的なエピソードをご存じでしたら、誰か教えていただけると嬉しいです。

それと、教えていただいた本、機会があればみてみたいです。
……とウェブで調べてみると、私の最寄りの図書館の書庫にあるみたいです。
1974年出版みたいですよ、川勝義雄/著「魏晋南北朝」
機会があれば借りたいです♪

【196】Re:名士・豪族・貴族
 むじん E-MAILWEB  - 2003/7/1(火) 1:46 -

引用なし
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   こんにちは。

>旧軍閥ということは、
>次第に私兵集団を解体したり、他に振り分けたりしたんですね。
>曹氏の直属軍にしたんでしょうか?

いまひとつ『三国志』から読みとるのは難しいですが、顕著な例として李典が挙げられるでしょうか。
同族と思われる李進という人が呂布軍団を追放してのけるほど李氏は大勢力でしたが、
ギョウが陥落したとき、李典は一族一万数千人を本拠地から移住させてますね。
まあ李典の場合は特殊なケースかも知れません。

曹氏の「家兵」というより、官の支配下に置いたということでしょう。

>でも結局は、個人的能力より、名声を得て名士になって高級官僚になるのにも、
>家柄になってしまうんでしょうか?

貧しい家の出身で、豪族から憎まれながら出世した人もいたようです。
『王朗伝』の注に引く『魏略』に「薛夏伝」があります。
漢陽郡の四豪族(姜・閻・任・趙)に楯突いたため故郷を追われ、曹操に匿われたとのこと。
その子孫が貴族化したかどうかは分かりませんが、
もしそうなってしまったら、薛夏の立身出世の美談も形無しですね。

>すると李通の子孫には、爵位だけを与えて、実権を与えなかったんでしょうか?
>だけど、家門に関係なく貴族(?)になれたのは、
>漢代のころのことを考えると、特異と言うべきかな……。

能力ある者には職権を、功績ある者には食邑をと『三国志』のあちこちにあります。
李通の子孫は食邑を賜ると同時に職権も与えられているんです。
ほかに子孫が職権を与えられた部将は楽進・臧霸といったあたり。
文官では桓階・陳羣・鍾ヨウ・華キン・王朗・程イク・賈ク・郭嘉あたり。
そのほかは食邑数百戸と小さな官職が与えられた程度で没落しているように思えます。
調べたわけじゃないので断言はできないのですが、
やはりもともと名士豪族だった人物の子孫が貴族化しているという印象があります。

【197】豪族の呼び方
紹介  さんすけ  - 2003/7/1(火) 9:22 -

引用なし
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   小生の疑問に詳細にお答えいただきまして、感激です!
皆様に感謝です!

いま、
高島俊男著『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)
という本を読んでるんですけど、その本の関沢のところを読むと、
豪族(名門)という言葉は、
「冠族」「甲族」「良家」「世家」「右姓」など、
その時々によって呼び方が変わるんだそうです。
ここでは、身分の低い人たちが出世した話をまとめてるんですが、
たとえば、魏志第二十三の注の『魏略』の列伝に、
馮翊(ふうよく)という地方の東部には「冠族」がいなかったが、
厳幹と李義という人物が、この地方の桓、田、吉、郭などの「甲族」に高く評価され、
両者とも出世して馮翊東部の「冠族」になった、とか。

ちなみに、庶民のことは「単家」と言い、
たとえば、張既の出自は「世単家」すなわち代々庶民で、
かれは、金持ちだけど家柄が悪いので、才覚をもって孝廉に推挙された人。
関沢なんかは、はっきり「農夫」と史書に書いてあって、
本を写す仕事をしながら学問を身につけて推挙された人で、
文官や学者で庶民出身は、やはり珍しいみたいです。

ついでですが、陳舜臣著『中国の歴史3』(講談社文庫)によると、
西晋の劉毅が九品官人法の廃止を提案した時、
「上品に寒門なく、下品に勢族なし」
という文言があったとか。
「寒門」は悪い家柄で、「勢族」が良い家柄です。
また、左思という人の詩に「世冑」という語があり、
これも名門という意味だそうで、探すしてみるとたくさんあるんですね。

全部、受け売りですけど……。

【203】Re:豪族の呼び方
感謝♪  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/7/3(木) 19:15 -

引用なし
パスワード
   ▼さんすけさん:
>いま、
>高島俊男著『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)
>という本を読んでるんですけど、その本の関沢のところを読むと、
>豪族(名門)という言葉は、
>「冠族」「甲族」「良家」「世家」「右姓」など、
>その時々によって呼び方が変わるんだそうです。
>ここでは、身分の低い人たちが出世した話をまとめてるんですが、
>たとえば、魏志第二十三の注の『魏略』の列伝に、
>馮翊(ふうよく)という地方の東部には「冠族」がいなかったが、
>厳幹と李義という人物が、この地方の桓、田、吉、郭などの「甲族」に高く評価され、
>両者とも出世して馮翊東部の「冠族」になった、とか。

おー、いろんな呼び方があるのですね。教えて下さって、感謝です♪
思わず、三国志とその注で確認してみましたよ……軽くですが
「冠族」は上の例にもありますように、主に議略で多いですね。(桓範、許允)
「甲族」は上の例でしかみられませんでした。
「良家」は現在、日本でも使われるぐらいだからからか、結構ありますね。「良家子女」とか「良家女」とか子どもに使う場合が目立ちました。
「世家」はみあたらなかったんですが、「右姓」はありました(郭憲、孫伉、王惠陽)

やっぱり活きた言葉というのはいろいろ言い方があるのですねー

【2766】古いスレですが 「民族」の問題
感想  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2007/2/22(木) 11:55 -

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   魏晋南北朝時代に力点を置かれている方って、

>> あと漢民族と異民族の差別は、どんなだったのでしょうか?
>うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
>そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
>三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
>民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
>それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
>あるようなないようなって状態ですからねぇ。

という風に回答されていることが多いですよね。
あくまで「多い」という傾向を指摘したいだけなんですけど。
私は民族という言葉が定着したのがごく最近のことだとしても、それだけで「民族は無かった」と言い切ったりしては学問的に損をすると思っているんです。
「あるようなないような」は中立的な見方ですけど、そういう風に対象を曖昧にして議論していては「民族」問題に真正面から俎上に上げることができないんです。

魏晋南北朝時代の「民族」は現代人が日頃抱いているような民族観念では把握することができないですけど、「民族」信仰が最初に生まれたのが一昔前のヨーロッパとは私は思わないのです。
簡単なことですが、「政治」も「経済」も「宗教」も一昔前のヨーロッパで生まれたからそれ以前には人々から信仰されていなかったんだ、と言うと語弊がありますよね。
これらの学術用語は確かに一昔前のヨーロッパで生まれたものですから、例えばニューギニア高地人の研究をする際にヨーロッパとそっくりの「政治」や「経済」や「宗教」観念がニューギニア高地人の伝統社会にもあるはずだと主張したりすると、その説の語る「政治」「経済」「宗教」は怪しくなってしまうんです。

逆にヨーロッパとはまるで異なる「政治」「経済」「宗教」がニューギニアにあるはずだと考えると、何も不都合は無いはずです。
例えニューギニアの伝統社会に「政治」「経済」「宗教」という言葉が無かったとしても、研究者が対象にする「政治」「経済」「宗教」の分科は確かに存在しているのですから。

それと同じことが「民族」にも言えます。
ここで言う「民族」はヨーロッパの「民族」ではありません。
現地社会の歴史研究において「民族」の分野は存在しうるのです。

【2767】Re:古いスレですが 「民族」の問題
感想  白崎ゆきと  - 2007/2/25(日) 12:39 -

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   ご無沙汰しています。白崎です。
最近は仕事に追われる毎日です……。

> >> あと漢民族と異民族の差別は、どんなだったのでしょうか?
> >うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
> >そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
> >三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
> >民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
> >それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
> >あるようなないようなって状態ですからねぇ。

なにか見覚えのある文章だなぁ、と思ったら随分昔に書いた自分の文章じゃないですか。

文意が分かりにくいという批判は甘んじて受けるとして、三国時代に民族の概念が存在しなかったと書いたつもりは全くないのですが……。


「あるようなないような」状態と書いた「漢民族」という概念にしても存在したことは明白なんですよ。
史書においてそのような言葉として「秦人」あるいは「漢人」が使われているわけですから。
(ただし、「漢人」の「漢の国の人」という元来の意味が薄れ、人種に対する用語として定着するのは魏晋南北朝時代とみるのが穏当でしょう)

ただ、その様な意識がどの程度広がり、また浸透していたかがよく分からないんですよね。
三国時代の漢民族がどのような帰属意識をもっていたのかは、ずっと昔から疑問に思っていることです。

帰属意識というと堅苦しいのですが、「お前は何人だ?」って聞いたらどう応えるのかという、ごく簡単な話です。
聞く相手の暮らしている環境や尋ねる側の容姿によっても返答は変わるのでしょうが、もっとも多いと思われるのは「呉郡富春の人」のように本籍地を答えたり、暮らしている邑などを答えたりするもの。
では、どういう人がどのような状況で尋ねられたら「漢民族」を意味する答えを返すのかなぁと。


このように前提となる知識や理解が決定的に欠けているから、またそれを自覚しているからこそ、自分は曖昧にしか書かないのですよ。
折角なので解答したいと思っても、答えるだけの力がない、かといってウソを書くわけにはいかない、そういうジレンマの中でやっています。
学問的に正しくないのは重々承知の上です。
批判されれば甘受するより他にないですね。
それでも何もしないよりはマシだという思いは捨てることができませんが。
<sage>

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