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▼さんすけさん:
>はじめまして、清岡さん。
>無理な質問にお答えいただき、ありがとうございます。
>これは『解體晋書』に持ち込むべき質問かもしれませんね(笑)。
えー、私も気になる質問だったので、埋もれさせるのは惜しいとおもって、答えじゃないレスを付けてみました(汗)
誰か、答えてくれるのを気長に待ちましょう♪
……ちなみに、私は貴族というと須卜骨都侯ぐらいしか思いつかない人なので今はちゃんと答えられません(汗)
>「孫氏三代」ぼちぼち読んでます。
おー、うちのサイトに来てくれたんですか? ありがとうございまーす。
>ところで、孫家が代々役人をしていたとなると、
>すでに世襲制だったみたいですね。
えー、韋昭撰呉書がいうところの「堅世仕呉」ですね。
あと、おじいさんだかお父さんだがが「瓜を育てることを仕事」としていたらしいですよ。これは伝説っぽい話で出てくるんで、信憑性はほとんどないと思うんですけど、私はほとんど後ろ盾のない状態で、出世した文台さんを夢見ているので、代々役人より、こちらを支持します(笑)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w020929.html
ちょうど朱雋が文官で途中まで出世したように、その武官バージョンが文台さんだといいかなあと(あ、夢見てるんですよ)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030222.html#06
>孫氏は、かなり有力な地方豪族だったんでしょうか。
>名門出の周瑜と主従関係になれたのも、
>不思議といえば不思議です。
そのずいぶん前に、呉氏に婚姻を断られているので(といっても文台さんが)、周瑜に先見の明があったんでしょうかねー。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030128.html
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