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【3512】関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それとも「穆」派 R・F 2009/9/29(火) 21:56 教えて
┣ 【3520】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... 飛燕 2009/10/8(木) 1:54 多分…
┃┣ 【3521】訂正 飛燕 2009/10/8(木) 2:06
┃┃┗ 【3522】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... R・F 2009/10/10(土) 2:45 感謝♪
┃┃┣ 【3523】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... ひろお 2009/10/10(土) 15:45 感謝♪
┃┃┃┣ 【3524】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... R・F 2009/10/10(土) 18:21 感謝♪
┃┃┃┗ 【3526】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... 飛燕 2009/10/10(土) 21:28
┃┃┗ 【3525】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... 飛燕 2009/10/10(土) 21:22
┃┃┗ 【3535】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... R・F 2009/10/12(月) 21:53 感謝♪
┃┗ 【3527】訂正 飛燕 2009/10/10(土) 21:55
┃┗ 【3534】Re:訂正 殷景仁 2009/10/12(月) 18:28
┗ 【3533】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... 殷景仁 2009/10/12(月) 17:55
┗ 【3536】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... R・F 2009/10/12(月) 22:18 感謝♪
┣ 【3537】[投稿者削除]
┗ 【3538】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... 殷景仁 2009/10/13(火) 0:09
┗ 【3541】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと... R・F 2009/10/16(金) 18:53 感謝♪

【3512】関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それと...
教えて  R・F  - 2009/9/29(火) 21:56 -

引用なし
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   質問です。
盧弼の『三国志集解』で関羽の諡号である「荘繆侯」について、こう記されています。

死者に栄誉を与えるため「繆」という字を使ってよいか、という問題がある。
関羽に送られた「繆(ビュウ)」ではなく「穆(ボク)」ならば、秦ノ穆公や魯ノ穆公に使われた文字だ。孟子には、漢ノ穆公生、秦の穆公が載っている。古代では、全て「穆」を使った。宋の岳飛が武穆と追諡されたのも、同じ意味である。
諡法によれば、関羽に付けられた「繆(ビュウ)」はマイナスの評価で、武功が成らなかったという意味である。
「繆(ビュウ)」と「穆(ボク)」が混同されたのだろうか。

とあります。
私も、壮繆侯の「壮」に誤魔化されていて気が付かなかったのですが、確かに「穆(ボク)」ではなく「繆(ビュウ)」です。ちくまの訳では「繆」に「ボク」とルビを振っています。「穆」と勘違いするのも無理は無い。…言い訳ですね、すみません。

某サイトで話題として振ったところ、ちくまの訳は「訳者が、字の混同であると解釈してルビを振ったのでっはないか」との見解を頂きました。が。それ以外には反応がありませんでした。

そこで、改めてここで質問させていただくことにしました。
「繆」と「穆」のどちらと思われますか?

答の出る質問でないことはわかっています。造詣の深い皆さんの見解を披露していただけたら、と思っています。

よろしくお願いします。

私の見たのは、以下のサイトです。
『いつか書きたい三国志』
http://www.3guozhi.com/g/s1.html

【3520】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
多分…  飛燕  - 2009/10/8(木) 1:54 -

引用なし
パスワード
   ▼R・Fさん:
>質問です。
>盧弼の『三国志集解』で関羽の諡号である「荘繆侯」について、こう記されています。
>
>死者に栄誉を与えるため「繆」という字を使ってよいか、という問題がある。
>関羽に送られた「繆(ビュウ)」ではなく「穆(ボク)」ならば、秦ノ穆公や魯ノ穆公に使われた文字だ。孟子には、漢ノ穆公生、秦の穆公が載っている。古代では、全て「穆」を使った。宋の岳飛が武穆と追諡されたのも、同じ意味である。
>諡法によれば、関羽に付けられた「繆(ビュウ)」はマイナスの評価で、武功が成らなかったという意味である。
>「繆(ビュウ)」と「穆(ボク)」が混同されたのだろうか。
>
>とあります。
>私も、壮繆侯の「壮」に誤魔化されていて気が付かなかったのですが、確かに「穆(ボク)」ではなく「繆(ビュウ)」です。ちくまの訳では「繆」に「ボク」とルビを振っています。「穆」と勘違いするのも無理は無い。…言い訳ですね、すみません。
>
>某サイトで話題として振ったところ、ちくまの訳は「訳者が、字の混同であると解釈してルビを振ったのでっはないか」との見解を頂きました。が。それ以外には反応がありませんでした。
>
>そこで、改めてここで質問させていただくことにしました。
>「繆」と「穆」のどちらと思われますか?
>
>答の出る質問でないことはわかっています。造詣の深い皆さんの見解を披露していただけたら、と思っています。
>
>よろしくお願いします。
>
>私の見たのは、以下のサイトです。
>『いつか書きたい三国志』
>http://www.3guozhi.com/g/s1.html

はじめまして。このサイトに投稿するのも初めましてです。
リンクのサイトに行ってみましたが、

>死者に栄誉を与えるため「繆」という字を使ってよいか、という問題がある。
>関羽に送られた「繆(ビュウ)」ではなく「穆(ボク)」ならば、秦ノ穆公や魯ノ穆公に使われた文字だ。孟子には、漢ノ穆公生、秦の穆公が載っている。古代では、全て「穆」を使った。宋の岳飛が武穆と追諡されたのも、同じ意味である。
>諡法によれば、関羽に付けられた「繆(ビュウ)」はマイナスの評価で、武功が成らなかったという意味である。
>「繆(ビュウ)」と「穆(ボク)」が混同されたのだろうか。

の箇所はそこのサイト主さんの訳ですね。ただ僕が集解見た限りですと、若干不足があるように思いますので、僕なりに集解を訳してみます。(といっても正しいかは別です汗)

まずこの諡に関して、盧弼は程敏政と梁章鉅の二人の注釈を引き、結論的には程の説が正しいと言っています。その程の説ですが、
「(略)関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠・趙雲も皆追諡を得て、世論は栄誉なこととした。案ずるに古代では「繆」と「穆」は通用していた。例えば、秦の穆公・魯の穆公が孟子に見え、漢の穆生・晋の穆彤が史書(史記?)に見えるが、皆「繆」と記されている。宋の岳飛は武穆と諡されたが、これと意味は同じである。今関羽の諡が悪諡とされるのは、諡法に『武功が成らない事を「繆」と言う』とあるからである。蔡邕の『独断』名実過爽にはこうある。『繆豈理也。(わかりません)』もし悪諡であれば、史書では追諡を言わない原則があり、世論が関羽の追諡を栄誉なこととするだろうか。(略)古代の書物では「穆」は「繆」に作っていた。『左傳』では「穆」は多く「繆」に作っている。このことから、「穆」と「繆」は古今で通用しているのである。」

一方の梁の説ですが、正確に訳せないので大要を記すと、
「「荘繆」はともに美諡ではない。当時の人がどうしてこれを採用するのか、その理由が知れない。今殿本をによって改め、「忠義」とする。」

これに対し盧弼が程説を支持し、何か講評みたいな事を記しているんですが、ちょっと疲れたので省略させてもらいます汗

さて両氏の説ですが、梁説はちょっと根拠に欠けますね。殿本を実際に見てみなければなんとも言えないところです。
程説は説得力があります。というのは、僕はちくま和訳の『史記』を読んだことがあるのですが、「繆公」で「ボクコウ」とルビがふられているんですよね。最初は誤植か誤訳だと思ったんですが、後で『史記』の原文を見ると、確かに「繆公」と記されているんです。
おそらくちくま『三国志』の訳者も程敏政及び盧弼に賛同し、「繆」と「穆」は通用していると解釈したのでしょう。

長文すいません。またはじめに断りましたが、なにぶん標点もない集解ですし、僕の訳が間違っている可能性も十分ありますので、ご了承ください。

【3521】訂正
 飛燕  - 2009/10/8(木) 2:06 -

引用なし
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   文字化けしてました

>「(略)関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠・趙雲も皆追諡を得て
⇒「(略)関羽・張飛・馬超・ホウ統・黄忠・趙雲も皆追諡を得て

>漢の穆生・晋の穆彤が史書(史記?)に見えるが、
⇒漢の穆生・晋の穆〔丹彡〕が…

>蔡邕の『独断』名実過爽にはこうある。
⇒蔡ヨウの…後漢の学者です

【3522】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  R・F  - 2009/10/10(土) 2:45 -

引用なし
パスワード
   ▼飛燕さん:
レス、ありがとうございます。
お手数をかけて申し訳ありません。

>まずこの諡に関して、盧弼は程敏政と梁章鉅の二人の注釈を引き、結論的には程の説が正しいと言っています。その程の説ですが、
>「(略)関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠・趙雲も皆追諡を得て、世論は栄誉なこととした。案ずるに古代では「繆」と「穆」は通用していた。例えば、秦の穆公・魯の穆公が孟子に見え、漢の穆生・晋の穆彤が史書(史記?)に見えるが、皆「繆」と記されている。宋の岳飛は武穆と諡されたが、これと意味は同じである。今関羽の諡が悪諡とされるのは、諡法に『武功が成らない事を「繆」と言う』とあるからである。蔡邕の『独断』名実過爽にはこうある。『繆豈理也。(わかりません)』もし悪諡であれば、史書では追諡を言わない原則があり、世論が関羽の追諡を栄誉なこととするだろうか。(略)古代の書物では「穆」は「繆」に作っていた。『左傳』では「穆」は多く「繆」に作っている。このことから、「穆」と「繆」は古今で通用しているのである。」

私の見たサイトでは、異説を全訳していたわけではなかったのですね。
やはり、原文に当たらないと、と最近は思うのですが、白文は辛いです。
「ちくま」あたりで訳が出てくれないかと、思っています。
少々高くても、「三国志集解」なら、需要はあるような気がするのですが。

>一方の梁の説ですが、正確に訳せないので大要を記すと、
>「「荘繆」はともに美諡ではない。当時の人がどうしてこれを採用するのか、その理由が知れない。今殿本をによって改め、「忠義」とする。」
>
>これに対し盧弼が程説を支持し、何か講評みたいな事を記しているんですが、ちょっと疲れたので省略させてもらいます汗

実は、呉質の「醜侯→威侯」の例もありますから、ひょっとして関羽は劉禅に嫌われていたのか、とのあらぬ妄想もしたわけなのですが。

門田鳳雛さんの諡号辞典
http://www.toride.com/~fengchu/sigou/
ここを拝見すると、
「蒙穀曰く、昔、わが秦の穆公様は、三良(三人の立派な臣、奄見・仲行・鍼虎)を殺し(殉死させ)、百里奚を処罰されましたが、(かれらは)罪を犯したわけではありませんでした。それゆえ号(諡号)を繆(穆と同じ)と申し上げるのです」とある。
とあって、確かに「繆」は「穆」と同じと明言してあるわけです。ところが「繆」は「悪諡」、「穆」は「美諡」となっています。そのあたりの知識が無いので、「美諡」と「悪諡」が同じということがあるのか、ということで更に混乱したわけです。知識がないと、こういうときは本当に辛いですね。
すいません。愚痴になりました。

>さて両氏の説ですが、梁説はちょっと根拠に欠けますね。殿本を実際に見てみなければなんとも言えないところです。
>程説は説得力があります。というのは、僕はちくま和訳の『史記』を読んだことがあるのですが、「繆公」で「ボクコウ」とルビがふられているんですよね。最初は誤植か誤訳だと思ったんですが、後で『史記』の原文を見ると、確かに「繆公」と記されているんです。
>おそらくちくま『三国志』の訳者も程敏政及び盧弼に賛同し、「繆」と「穆」は通用していると解釈したのでしょう。

私も、書き込んだ後、朝日新聞「史記」田中謙二・一海知義訳、吉川幸次郎監修、を見ていましたら、「廉頗・藺相如列伝」に「藺相如者。趙人也。為趙宦者令繆賢舎人」とあり、「藺相如なる者は、趙の人なり。趙の宦官の令繆賢(ぼくけん)の舎人と為る」と訳されていました。「繆」を「ボク」と読むのは「ちくま」に限った事でもないようですね。

>長文すいません。またはじめに断りましたが、なにぶん標点もない集解ですし、僕の訳が間違っている可能性も十分ありますので、ご了承ください。

とんでもございません。
長文を本当にありがとうございました。

【3523】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  ひろお WEB  - 2009/10/10(土) 15:45 -

引用なし
パスワード
   >私の見たサイトでは、異説を全訳していたわけではなかったのですね。

はじめにご覧頂いたサイトを作っている者です。
適当な内容を載せてすみません。
諡号の件、私も興味があります。勉強になりました…ありがとうございました。

【3524】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  R・F  - 2009/10/10(土) 18:21 -

引用なし
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   ▼ひろおさん:
>>私の見たサイトでは、異説を全訳していたわけではなかったのですね。
>
>はじめにご覧頂いたサイトを作っている者です。
>適当な内容を載せてすみません。
>諡号の件、私も興味があります。勉強になりました…ありがとうございました。

今回は大変勉強になりました。ありがとうございます。

▼ひろおさん:
勝手に引用して、失礼なことを言ってしまいました(汗)。申し訳ありません。

私も「荀文若」の視点で、いずれは自分なりの「三国志」を書きたいと思っています。ひろおさんのサイトは、とても教えられることが多く、参考にさせていただいています。
これからもサイトを時々おうかがいして、色々と勉強させていただきたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願いいたします。

【3525】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
 飛燕  - 2009/10/10(土) 21:22 -

引用なし
パスワード
   ▼R・Fさん:
>私の見たサイトでは、異説を全訳していたわけではなかったのですね。
>やはり、原文に当たらないと、と最近は思うのですが、白文は辛いです。
>「ちくま」あたりで訳が出てくれないかと、思っています。
>少々高くても、「三国志集解」なら、需要はあるような気がするのですが。

実際のところですと、難しいでしょうね汗
値段も半端ないものになりそうですから、出版されても大学などの研究機関しか手に入れられないという感じになりそうな気がします。現在汲古書院で出版されている渡邉義浩先生翻訳の『後漢書』みたいに。(一冊数万円が十冊近くも…)
ちなみ僕は『晋書』和訳が欲しいのですが…こちらは需要もなさそうです…泣


>実は、呉質の「醜侯→威侯」の例もありますから、ひょっとして関羽は劉禅に嫌われていたのか、とのあらぬ妄想もしたわけなのですが。
>
>門田鳳雛さんの諡号辞典
>http://www.toride.com/~fengchu/sigou/
>ここを拝見すると、
>「蒙穀曰く、昔、わが秦の穆公様は、三良(三人の立派な臣、奄見・仲行・鍼虎)を殺し(殉死させ)、百里奚を処罰されましたが、(かれらは)罪を犯したわけではありませんでした。それゆえ号(諡号)を繆(穆と同じ)と申し上げるのです」とある。
>とあって、確かに「繆」は「穆」と同じと明言してあるわけです。ところが「繆」は「悪諡」、「穆」は「美諡」となっています。そのあたりの知識が無いので、「美諡」と「悪諡」が同じということがあるのか、ということで更に混乱したわけです。知識がないと、こういうときは本当に辛いですね。
>すいません。愚痴になりました。

もしかするとですが、「繆」と「穆」は本当は厳密には使い分けられていたのかもしれませんが、ちょっとわかりません。僕も詳しいわけではないので…
ただちょっと調べてみたんですが、『史記』秦本紀における秦の「ボク」公は、「繆公」となっているのが圧倒的に多く、「穆公」となっているのは一例のみです。司馬遷の参照した秦関係の原史料は「繆公」となっていたのかもしれません。それがいつしか「繆」と「穆」は通用するという事で、後世では「穆公」が一般的になった…完全に想像ですが。

『三国志』に話を戻しますが、蜀書巻34に穆皇后傳が立てられています。関羽傳の「繆」と使い分けられています。また同趙雲傳には
「於是関羽・張飛・馬超・ホウ統・黄忠及(趙)雲乃追諡、時論以為栄。」
ともあります。
「繆」は「穆」と通用して美諡とすることもあれば、悪い意味で取って悪諡とすることもある。これが実態なのかもしれません。ただし、不完成など若干そういう意を含ませたいときは、関羽のようにあえて「繆」として、美諡としたのかもしれません。これも想像です。そのように使い分けられていたのならば、当代の関羽の評価が垣間見えて面白い問題ではありますが、最早『三国志』に留まるものではないというものに思えます。もしかすると研究があるかもしれません。


>とんでもございません。
>長文を本当にありがとうございました。

僕はこの道に詳しいわけでなく、あくまで『集解』にはどう書いてあるか、を言ってみただけですので、R・Fさんの要望に沿うものではなかったと思いますが、参考になっていただけたなら幸いです。
あと、何度も申し上げてくどいかもですが、僕の『集解』訳等は間違っているかもなので、もっと多くの人にお聞きになるのがいいと思います。何しろ僕はまだ大学三年ですので…

【3526】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
 飛燕  - 2009/10/10(土) 21:28 -

引用なし
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   ▼ひろおさん:

>はじめにご覧頂いたサイトを作っている者です。
>適当な内容を載せてすみません。
>諡号の件、私も興味があります。勉強になりました…ありがとうございました。

僕の訳には適当な所がありますから…蔡ヨウ前後のくだりはさっぱりですし汗
ですから、僕の言っていることは参考程度に留めておいてください…自信がないので…

【3527】訂正
 飛燕  - 2009/10/10(土) 21:55 -

引用なし
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   >蔡ヨウの『独断』名実過爽にはこうある。『繆豈理也。(わかりません)』もし悪諡であれば、史書では追諡を言わない原則があり、世論が関羽の追諡を栄誉なこととするだろうか

原文「蔡ヨウ独断名実過爽曰繆豈理也哉若果為悪諡則史不応云追諡之典時論以為栄矣」

多分誤訳でした…その上「哉」を見落としてました

訂正:蔡ヨウの『独断』では「名と実が爽に過ぎること(具体的な意味は?です)を繆と言う」とあるが、どうしてそれで理解できようか。もし本当に悪諡であれば、史書(『三国志』趙雲傳)で追諡の際の故事に「時論以為栄(当時の世論は栄誉な事とした)」と言うはずがない。

多分こんな感じに…参考までに原文を載せておきました。ちなみに僕の理解による標点は、
「蔡ヨウ『独断』「名実過爽曰繆。」豈理也哉!若果為悪諡、則史不応云追諡之典、時論以為栄矣。」

【3533】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
 殷景仁  - 2009/10/12(月) 17:55 -

引用なし
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   R・Fさん初めまして。

「繆」の読み方については、松浦友久「「繆氏」の発音の史的変化と日本漢字音―「入声・去声」の関係に即して―」(研文出版『中国詩文の言語学 対句・声調・教学 松浦友久著作選一』所収)という論文があり、論文の主旨を簡単に要約すると次のようになります。

1:諡号としての「繆」は、「音穆」「音木」(陸徳明『経典釈文』)などの音注が十数例あり、「秦繆公」についても、「繆、読曰穆」(『漢書』顔師古注)とあることから、「繆」は「穆」に通じ、「繆=ぼく」と読まれていたことが確認できる。

2:姓氏としての「繆」は、六朝から盛唐までは伝統的な「繆=ぼく」と口語的な「繆=びゅう」の読みが併存していた。『王仁ク刊謬補缺切韻』の記述などから推測するに、元来は「繆=ぼく」の読みが主流であったが、司馬貞『史記索引』の「蘭陵繆生」における「繆、音亡救反。……一音穆」の注や『唐韻』『広韻』鄭樵『通志』などの記述から、盛唐から次の宋代になると、「繆=びゅう」という読みに移行したと考えられる。

3:さらに「繆=びゅう」という読みは、「謬(誤り、間違い)」などに通じることから、明代の頃には「繆=びょう」という読みが現れた。

4:以上から考えて、姓氏としての「繆氏」の日本漢字音は、「繆=ぼく」「繆=びゅう」いずれもあり、どちらが間違いだとはいえないが、読書や教学における混乱を避けるために優先をつけるならば、「繆=ぼく」の方がより相応しい。

この見解に従えば、ここで問題になっている諡号「繆」については、「穆」に通じ、「繆=ぼく」と読むことでいいということになります。参考までにご参照ください。

【3534】Re:訂正
 殷景仁  - 2009/10/12(月) 18:28 -

引用なし
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   ▼飛燕さん:

>原文「蔡ヨウ独断名実過爽曰繆豈理也哉若果為悪諡則史不応云追諡之典時論以為栄矣」

この文はたぶん書き下すとすると次のようになると思います。

蔡ヨウ『独断』に「名実過ち爽(たが)ふを『繆』と曰ふ」と。豈に理(ことわり)ならんや。若し果たして悪諡ならば、則ち史の応に追諡の典に「時論以て栄と為す」と云ふべからざらん。

【3535】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  R・F  - 2009/10/12(月) 21:53 -

引用なし
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   ▼飛燕さん:
>実際のところですと、難しいでしょうね汗
>値段も半端ないものになりそうですから、出版されても大学などの研究機関しか手に入れられないという感じになりそうな気がします。現在汲古書院で出版されている渡邉義浩先生翻訳の『後漢書』みたいに。(一冊数万円が十冊近くも…)
>ちなみ僕は『晋書』和訳が欲しいのですが…こちらは需要もなさそうです…泣

『後漢書』が「一冊数万円が十冊近く」ですか。数十万円はきついですね。大学図書館ででも閲覧するしかなさそうですね。

>もしかするとですが、「繆」と「穆」は本当は厳密には使い分けられていたのかもしれませんが、ちょっとわかりません。僕も詳しいわけではないので…
>ただちょっと調べてみたんですが、『史記』秦本紀における秦の「ボク」公は、「繆公」となっているのが圧倒的に多く、「穆公」となっているのは一例のみです。司馬遷の参照した秦関係の原史料は「繆公」となっていたのかもしれません。それがいつしか「繆」と「穆」は通用するという事で、後世では「穆公」が一般的になった…完全に想像ですが。
>
>『三国志』に話を戻しますが、蜀書巻34に穆皇后傳が立てられています。関羽傳の「繆」と使い分けられています。また同趙雲傳には
>「於是関羽・張飛・馬超・ホウ統・黄忠及(趙)雲乃追諡、時論以為栄。」
>ともあります。
>「繆」は「穆」と通用して美諡とすることもあれば、悪い意味で取って悪諡とすることもある。これが実態なのかもしれません。ただし、不完成など若干そういう意を含ませたいときは、関羽のようにあえて「繆」として、美諡としたのかもしれません。これも想像です。そのように使い分けられていたのならば、当代の関羽の評価が垣間見えて面白い問題ではありますが、最早『三国志』に留まるものではないというものに思えます。もしかすると研究があるかもしれません。

>僕はこの道に詳しいわけでなく、あくまで『集解』にはどう書いてあるか、を言ってみただけですので、R・Fさんの要望に沿うものではなかったと思いますが、参考になっていただけたなら幸いです。
>あと、何度も申し上げてくどいかもですが、僕の『集解』訳等は間違っているかもなので、もっと多くの人にお聞きになるのがいいと思います。何しろ僕はまだ大学三年ですので…

とんでもございません勉強になりました。これを機に、自分なりに調べてみようと思います。
今回は重ね重ね本当にありがとうございました。

【3536】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  R・F  - 2009/10/12(月) 22:18 -

引用なし
パスワード
   ▼殷景仁さん:
>R・Fさん初めまして。
>
>「繆」の読み方については、松浦友久「「繆氏」の発音の史的変化と日本漢字音―「入声・去声」の関係に即して―」(研文出版『中国詩文の言語学 対句・声調・教学 松浦友久著作選一』所収)という論文があり、論文の主旨を簡単に要約すると次のようになります。
>
>1:諡号としての「繆」は、「音穆」「音木」(陸徳明『経典釈文』)などの音注が十数例あり、「秦繆公」についても、「繆、読曰穆」(『漢書』顔師古注)とあることから、「繆」は「穆」に通じ、「繆=ぼく」と読まれていたことが確認できる。
>
>2:姓氏としての「繆」は、六朝から盛唐までは伝統的な「繆=ぼく」と口語的な「繆=びゅう」の読みが併存していた。『王仁ク刊謬補缺切韻』の記述などから推測するに、元来は「繆=ぼく」の読みが主流であったが、司馬貞『史記索引』の「蘭陵繆生」における「繆、音亡救反。……一音穆」の注や『唐韻』『広韻』鄭樵『通志』などの記述から、盛唐から次の宋代になると、「繆=びゅう」という読みに移行したと考えられる。
>
>3:さらに「繆=びゅう」という読みは、「謬(誤り、間違い)」などに通じることから、明代の頃には「繆=びょう」という読みが現れた。
>
>4:以上から考えて、姓氏としての「繆氏」の日本漢字音は、「繆=ぼく」「繆=びゅう」いずれもあり、どちらが間違いだとはいえないが、読書や教学における混乱を避けるために優先をつけるならば、「繆=ぼく」の方がより相応しい。
>
>この見解に従えば、ここで問題になっている諡号「繆」については、「穆」に通じ、「繆=ぼく」と読むことでいいということになります。参考までにご参照ください。

▼殷景仁さん:
丁寧な説明ありがとうございます。

>「「繆氏」の発音の史的変化と日本漢字音―「入声・去声」の関係に即して―」(研文出版『中国詩文の言語学 対句・声調・教学 松浦友久著作選一』所収)
このようなアプローチの仕方があるとは全く知りませんでした。

>六朝から盛唐までは伝統的な「繆=ぼく」と口語的な「繆=びゅう」の読みが併存していた。
>盛唐から次の宋代になると、「繆=びゅう」という読みに移行したと考えられる。
>さらに「繆=びゅう」という読みは、「謬(誤り、間違い)」などに通じることから、明代の頃には「繆=びょう」という読みが現れた。
ということは、明以前には「繆」は、「穆」に通じていても、「謬(誤り、間違い)」とは通じておらず、明以前には「繆」は悪謚ではなかった可能性が高いと判断して良いのでしょうか。
程敏政と梁章鉅のことを検索してみましたら、程敏政は明代、梁章鉅は清代の人でした。梁章鉅が「荘繆侯」を悪い意味に取ったのは、時代による考えがあったのかもしれないのですね。

歴史というのは本当に奥が深いですね。改めてそれを感じさせられました。勉強になりました。
この度は本当にありがとうございました。

【3537】[投稿者削除]
   - -

引用なし
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(09/10/12(月) 23:51)

【3538】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
 殷景仁  - 2009/10/13(火) 0:09 -

引用なし
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   ▼R・Fさん:
>>六朝から盛唐までは伝統的な「繆=ぼく」と口語的な「繆=びゅう」の読みが併存していた。
>>盛唐から次の宋代になると、「繆=びゅう」という読みに移行したと考えられる。
>>さらに「繆=びゅう」という読みは、「謬(誤り、間違い)」などに通じることから、明代の頃には「繆=びょう」という読みが現れた。
>ということは、明以前には「繆」は、「穆」に通じていても、「謬(誤り、間違い)」とは通じておらず、明以前には「繆」は悪謚ではなかった可能性が高いと判断して良いのでしょうか。

>程敏政と梁章鉅のことを検索してみましたら、程敏政は明代、梁章鉅は清代の人でした。梁章鉅が「荘繆侯」を悪い意味に取ったのは、時代による考えがあったのかもしれないのですね。

松浦氏は「諡号」における「繆」の読みについては、『経典釈文』から顔師古までしか言及しておらず、「繆=ぼく」と読むと考えています(もっとも松浦氏は注で『逸周書彙校集注本』「諡法解」の「名与実爽、曰謬(繆)」という例外を指摘しています)。明代以後の「諡号」における読みについては、松浦氏は言及していませんが、私自身の憶測では、「繆」を悪謚と考えられる意見が出てきたのは、おっしゃるとおり時代の影響によるのではないかと思います。つまり「姓氏」における「繆=びょう」の読みが忌避されるようになったことで、本来なら異なるはずの「諡号」の読みにまで、「繆=びょう」が敷衍されるようになったのではないのでしょうか。

【3541】Re:関羽の諡号は?あなたは「繆」派、それ...
感謝♪  R・F  - 2009/10/16(金) 18:53 -

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   ▼殷景仁さん:
今回は、本当にありがとうございました。

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