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▼R・Fさん:
>>六朝から盛唐までは伝統的な「繆=ぼく」と口語的な「繆=びゅう」の読みが併存していた。
>>盛唐から次の宋代になると、「繆=びゅう」という読みに移行したと考えられる。
>>さらに「繆=びゅう」という読みは、「謬(誤り、間違い)」などに通じることから、明代の頃には「繆=びょう」という読みが現れた。
>ということは、明以前には「繆」は、「穆」に通じていても、「謬(誤り、間違い)」とは通じておらず、明以前には「繆」は悪謚ではなかった可能性が高いと判断して良いのでしょうか。
>程敏政と梁章鉅のことを検索してみましたら、程敏政は明代、梁章鉅は清代の人でした。梁章鉅が「荘繆侯」を悪い意味に取ったのは、時代による考えがあったのかもしれないのですね。
松浦氏は「諡号」における「繆」の読みについては、『経典釈文』から顔師古までしか言及しておらず、「繆=ぼく」と読むと考えています(もっとも松浦氏は注で『逸周書彙校集注本』「諡法解」の「名与実爽、曰謬(繆)」という例外を指摘しています)。明代以後の「諡号」における読みについては、松浦氏は言及していませんが、私自身の憶測では、「繆」を悪謚と考えられる意見が出てきたのは、おっしゃるとおり時代の影響によるのではないかと思います。つまり「姓氏」における「繆=びょう」の読みが忌避されるようになったことで、本来なら異なるはずの「諡号」の読みにまで、「繆=びょう」が敷衍されるようになったのではないのでしょうか。
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