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【3508】蜀錦の貨幣的価値について USHISUKE 2009/9/26(土) 23:58
┣ 【3509】Re:蜀錦の貨幣的価値について USHISUKE 2009/9/27(日) 0:00
┣ 【3510】Re:蜀錦の貨幣的価値について Barbal 2009/9/27(日) 14:55 多分…
┃┗ 【3514】Re:蜀錦の貨幣的価値について USHISUKW 2009/10/4(日) 5:47
┃┗ 【3516】Re:蜀錦の貨幣的価値について Barbal 2009/10/4(日) 22:50 多分…
┃┗ 【3528】Re:蜀錦の貨幣的価値について USHISUKE 2009/10/11(日) 1:27
┃┣ 【3529】Re:蜀錦の貨幣的価値について USHISUKE 2009/10/11(日) 1:29
┃┗ 【3530】Re:蜀錦の貨幣的価値について Barbal 2009/10/11(日) 22:26 紹介
┃┣ 【3532】Re:蜀錦の貨幣的価値について Barbal 2009/10/12(月) 1:52 追記
┃┗ 【3542】Re:蜀錦の貨幣的価値について Barbal 2009/10/17(土) 21:37 追記
┗ 【3513】Re:蜀錦の貨幣的価値について 清岡美津夫 2009/9/30(水) 12:28
┗ 【3515】Re:蜀錦の貨幣的価値について USHISUKE 2009/10/4(日) 6:07
┗ 【3519】Re:蜀錦の貨幣的価値について 清岡美津夫 2009/10/5(月) 12:42 ひと言

【3508】蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKE  - 2009/9/26(土) 23:58 -

引用なし
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   こんにちは、USHISUKEと申します。
後漢〜三国志時代にお詳しいみなさまにお伺いしたいことがあります。
後漢以降しばらく、貨幣経済が崩壊したことなどから、布帛や穀物も貨幣的価値をもって流通した…ということを、様々な文物から窺い知ることができるかと思います。
布帛のうち「帛(絹織物)」に関してですが、現四川省にて生産されていた「蜀錦」が、後漢〜三国時代、「帛」の中でもとくに高い貨幣的価値を有していた…ということはあるのでしょうか?
この質問は、当時の「布帛の貨幣的価値の計り方」に関する質問にもなるかもしれませんが、ご存じのかた、ご教授をお願いします。

【3509】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKE  - 2009/9/27(日) 0:00 -

引用なし
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   >後漢〜三国志時代にお詳しいみなさまにお伺いしたいことがあります。

「三国時代」ですね…申し訳ありません。

【3510】Re:蜀錦の貨幣的価値について
多分…  Barbal  - 2009/9/27(日) 14:55 -

引用なし
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   ▼USHISUKEさん:

 最近、中国史から遠ざかっているうえに決定的な証拠もないのでたいした回答になりませんが・・・・・・。

 『孫子算経』という昔の中国の算数書に“漢晋間人撰”として(よって三国志の時代とは事情が違うかもしれませんが)「今有錦一匹、直銭一萬八千(錦一匹の値は18,000銭)」とあり、同じく「今有買絹一匹、直粟三斛五斗七升」とあります。穀物の値段は騰落が激しいので一概には言えませんが、絹一匹がだいたい350〜500銭くらいではないでしょうか。
 ただ、ひとくちに布帛といっても中絹・下絹など品質でランクがついている時代があり、また素や錦・縑・紗・綺など織り方の違うものがあり、すべてに違う値がついています。
 蜀錦がかなりの高級品で珍重されたことは確かですが、補助貨幣として用いられていたかはわかりませんし、仮にそうであっても穀物価の変動で大きく値を崩すこともあったと考えられます。

 蛇足になりますが、同じ物品でも所変われば値も変わるのが当然であり(でないと交易・貿易が成り立ちませんので)、諸葛亮が「決戦の資、ただ錦あるのみ」(だったかな?)と言っているのは相当ヤバイ状況だと思います。
 書籍やブログなどでよく「蜀は経済立国」「蜀は経済力に優れ・・・」云々と見かけますが、もう少し懐疑的に見る必要があるのではないかと思います。
 以上、ほんまの蛇足で失礼しました。

【3513】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2009/9/30(水) 12:28 -

引用なし
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    こんにちわ。

 まずは細かいところですが、

>後漢以降しばらく、貨幣経済が崩壊したことなどから、布帛や穀物も貨幣的価値をもって流通した…

元々、布は実物貨幣として使われていて、秦代の法律「金布律」では長さ八尺×幅二尺五寸の布=銭十一という換算率が記されています。
 時代が降って、前漢、新でも実物貨幣として使われていたようで、その証拠に銅銭以外にも布帛が官吏に月俸として支払われることがありました。下記の文物圖象研究室資料庫で「祿帛」、「奉帛」、「祿大」で検索すると、居延漢簡と居延新簡に帛や大黄布で支払っている事例がいくつか出てきます。

・中央研究院歴史語言研究所文物圖象研究室資料庫檢索系統
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm

 他方、衣服は別に支給されており(例えば、上記で「襲八千四百領」と検索)、衣服の支給目的で布帛を支払っていたわけでないことがわかります。
 以上のことは、佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)の第四部貨幣経済の受け売りなんですが(汗)、後漢以降のことは特に書かれていないので、私も判りません。流通が滞ったことで、銅銭が通用しなくなり、相対的に布帛がよく使われるようになったイメージなんでしょうか。

>布帛のうち「帛(絹織物)」に関してですが、現四川省にて生産されていた「蜀錦」が、後漢〜三国時代、「帛」の中でもとくに高い貨幣的価値を有していた…ということはあるのでしょうか?

 直感的には貨幣的価値を有するには、背景に交換手段として使える価値があるという共通認識がないと厳しいでしょうね。
 また、錦も含め布帛は尺ごと寸ごとに分けられないため、一塊りの価値が高ければ貨幣としては不便であり、流通しないでしょうね……と、「分けられない」辺りは前述の『漢代都市機構の研究』(P.486)の受け売りで、前漢元帝期に銭を廃止して布帛のみを用いるよう進言したのに対する反論にあります(『漢書』巻二十四 食貨志下)

 錦についてそういう事例がないか、下記サイト「中国盲人数字図書館」の電子図書で、『太平御覧』卷八百一十五 布帛部二 錦のところを当たってみたんですが、特に見あたらないですね。

・中国盲人数字図書館
http://www.cdlvi.cn/index/node_149889.htm

 あまり関係ないですが、下記のような詔をみかけました。

《魏文帝詔》曰:前後毎得蜀錦、殊不相比、適可訝、而鮮卑尚復不愛也。自吾所織如意虎頭連璧錦、亦有金薄・蜀薄來至洛邑、皆下惡。是為下土之物、皆有虚名。

<参考までに清岡による頼りない訳>
魏文帝詔に言う。蜀錦を得る毎に前後して、とても互いに釣り合わず、まさに訝しく思うべきであり、鮮卑からはなおも慈しまれない。虎頭連璧錦のような吾の織物に比べ、洛邑に至り来る金薄・蜀薄がまたあっても皆、下悪だ。これを皆、虚名がある下土の物とする。


 これは魏の文帝期では単純に蜀錦に虚名ばかりで価値がなかったのか、それとも政治的な意味が含まれたものなのか、私にはよく分かりません。

 あと税収としては、銭以外にも布があって、それは長沙走馬楼呉簡からも伺えるのですが(例えば下記のサイトで「畝收布」で検索)、別に銭の代わりという意味ではないので、「布帛の貨幣的価値の計り方」としては使えないと自己ツッコミを入れていました(笑)

・走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫
http://rhorse.lib.cuhk.edu.hk/

 しかし、三国魏では穀帛が貨幣として使われていたことは有名なんで、「布帛の貨幣的価値の計り方」ぐらいすぐ判るだろうと、前述の電子図書館で『通典』巻八食貨八 錢幣上を当たっていたんですが、意外とないものですね。

【3514】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKW WEB  - 2009/10/4(日) 5:47 -

引用なし
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   Barbalさん、ご回答くださりありがとうございました!

> 『孫子算経』という昔の中国の算数書に“漢晋間人撰”として(よって三国志の時代とは事情が違うかもしれませんが)「今有錦一匹、直銭一萬八千(錦一匹の値は18,000銭)」とあり、同じく「今有買絹一匹、直粟三斛五斗七升」とあります。穀物の値段は騰落が激しいので一概には言えませんが、絹一匹がだいたい350〜500銭くらいではないでしょうか。

『孫子算経』という書物を知りませんでした…非常に参考になります!

> ただ、ひとくちに布帛といっても中絹・下絹など品質でランクがついている時代があり、また素や錦・縑・紗・綺など織り方の違うものがあり、すべてに違う値がついています。

やはりサイズだけでなく品質のランクもあったのですね。
ちなみに、ご存知でしたら「品質のランク」が具体的に掲載されている書物に心当たりありますか?

> 蜀錦がかなりの高級品で珍重されたことは確かですが、補助貨幣として用いられていたかはわかりませんし、仮にそうであっても穀物価の変動で大きく値を崩すこともあったと考えられます。

ただでさえ経済が極度に不安定な時代ですので、布帛の価値が物価の騰落に左右されやすかったことは想像に難くないです。

> 蛇足になりますが、同じ物品でも所変われば値も変わるのが当然であり(でないと交易・貿易が成り立ちませんので)、諸葛亮が「決戦の資、ただ錦あるのみ」(だったかな?)と言っているのは相当ヤバイ状況だと思います。
> 書籍やブログなどでよく「蜀は経済立国」「蜀は経済力に優れ・・・」云々と見かけますが、もう少し懐疑的に見る必要があるのではないかと思います。

この辺に突っ込んでみたいと思ったのが、まさに今回の質問のきっかけです。
蜀は農本主義のみに依らず、流通経済にも積極的に介入して富国強兵を推し進めたのではないか?と考えています。
いかに巴蜀が「天府」といえども、戦時国家化して労働力(男手)が相対的に低下している当時の状況では、労働集約型の農業のみによっては経済力の強化は為し得ないのではないか?と考えるためです。
物価の地域差を利用した交易の促進もそのひとつで、そのために「直百五銖」などの銅貨鋳造、公的な市の整備、塩鉄の官営化、現代でいう「一村一品」に近しい政策などなどの政策が実行されたのでは?と考えます。
農業にのみ依らない各種経済政策と、結果(「決戦の資、ただ錦あるのみ」に表れる政策実施後の、しかし厳しい経済状況)とをしっかり見定める必要があるとは思います。

> 以上、ほんまの蛇足で失礼しました。

蛇足なんてとんでもない…不都合でなければ、もっといろいろ教えていただけると幸いです!

【3515】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKE WEB  - 2009/10/4(日) 6:07 -

引用なし
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   清岡さん、丁寧なご回答ありがとうございます!

>元々、布は実物貨幣として使われていて、秦代の法律「金布律」では長さ八尺×幅二尺五寸の布=銭十一という換算率が記されています。
> 時代が降って、前漢、新でも実物貨幣として使われていたようで、その証拠に銅銭以外にも布帛が官吏に月俸として支払われることがありました。下記の文物圖象研究室資料庫で「祿帛」、「奉帛」、「祿大」で検索すると、居延漢簡と居延新簡に帛や大黄布で支払っている事例がいくつか出てきます。
>
>・中央研究院歴史語言研究所文物圖象研究室資料庫檢索系統
>http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm
>
> 他方、衣服は別に支給されており(例えば、上記で「襲八千四百領」と検索)、衣服の支給目的で布帛を支払っていたわけでないことがわかります。
> 以上のことは、佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)の第四部貨幣経済の受け売りなんですが(汗)、後漢以降のことは特に書かれていないので、私も判りません。流通が滞ったことで、銅銭が通用しなくなり、相対的に布帛がよく使われるようになったイメージなんでしょうか。

指摘ありがとうございます!
※佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)
こちらの本、読んでみないとですね(高いですが)…とても参考になりそうです。紹介ありがとうございます。

> 直感的には貨幣的価値を有するには、背景に交換手段として使える価値があるという共通認識がないと厳しいでしょうね。
> また、錦も含め布帛は尺ごと寸ごとに分けられないため、一塊りの価値が高ければ貨幣としては不便であり、流通しないでしょうね……と、「分けられない」辺りは前述の『漢代都市機構の研究』(P.486)の受け売りで、前漢元帝期に銭を廃止して布帛のみを用いるよう進言したのに対する反論にあります(『漢書』巻二十四 食貨志下)

『貨幣の中国古代史』(山田勝芳著/朝日新聞社刊)によると
「銭による穀価・帛価の価格表示を行って貨幣的二元あるいは三元状況が生じ、実際の取引には、小額の場合は穀物や悪銭を利用し、やや高額には布帛を利用していたであろう。」
とあります。
高額として用いる布帛に蜀錦が入るのかどうか…。

> あまり関係ないですが、下記のような詔をみかけました。
>
>《魏文帝詔》曰:前後毎得蜀錦、殊不相比、適可訝、而鮮卑尚復不愛也。自吾所織如意虎頭連璧錦、亦有金薄・蜀薄來至洛邑、皆下惡。是為下土之物、皆有虚名。
>
><参考までに清岡による頼りない訳>
>魏文帝詔に言う。蜀錦を得る毎に前後して、とても互いに釣り合わず、まさに訝しく思うべきであり、鮮卑からはなおも慈しまれない。虎頭連璧錦のような吾の織物に比べ、洛邑に至り来る金薄・蜀薄がまたあっても皆、下悪だ。これを皆、虚名がある下土の物とする。
>
>
> これは魏の文帝期では単純に蜀錦に虚名ばかりで価値がなかったのか、それとも政治的な意味が含まれたものなのか、私にはよく分かりません。

この件、何かの本に記載があったのですが…解釈としては、「蜀錦はたしかに高い付加価値を当時から持っていたのですが、それをいいことに偽モノが大量に出回るようになった」という感じだった気がします。

> あと税収としては、銭以外にも布があって、それは長沙走馬楼呉簡からも伺えるのですが(例えば下記のサイトで「畝收布」で検索)、別に銭の代わりという意味ではないので、「布帛の貨幣的価値の計り方」としては使えないと自己ツッコミを入れていました(笑)
>
>・走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫
>http://rhorse.lib.cuhk.edu.hk/
>
> しかし、三国魏では穀帛が貨幣として使われていたことは有名なんで、「布帛の貨幣的価値の計り方」ぐらいすぐ判るだろうと、前述の電子図書館で『通典』巻八食貨八 錢幣上を当たっていたんですが、意外とないものですね。

いろいろあたってくださりありがとうございます!
中国語である瞬間から触手が伸びなくなる自分を恥じます…。

【3516】Re:蜀錦の貨幣的価値について
多分…  Barbal  - 2009/10/4(日) 22:50 -

引用なし
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   ▼USHISUKWさん:

>やはりサイズだけでなく品質のランクもあったのですね。
>ちなみに、ご存知でしたら「品質のランク」が具体的に掲載されている書物に心当たりありますか?

 一覧表のようなものは無いと思います。見つけたら是非教えてください。『孫子算経』やら『全三國文』『全晋文』etc.に断片的に「中絹は○、下絹は△相当」「上麻は○、下麻は△相当」「紗は○、綺は△相当」の記述があるだけです。時代や地域もバラバラなので、まとめるのはたいへんだと思います。

>この辺に突っ込んでみたいと思ったのが、まさに今回の質問のきっかけです。
>蜀は農本主義のみに依らず、流通経済にも積極的に介入して富国強兵を推し進めたのではないか?と考えています。
>いかに巴蜀が「天府」といえども、戦時国家化して労働力(男手)が相対的に低下している当時の状況では、労働集約型の農業のみによっては経済力の強化は為し得ないのではないか?と考えるためです。
>物価の地域差を利用した交易の促進もそのひとつで、そのために「直百五銖」などの銅貨鋳造、公的な市の整備、塩鉄の官営化、現代でいう「一村一品」に近しい政策などなどの政策が実行されたのでは?と考えます。
>農業にのみ依らない各種経済政策と、結果(「決戦の資、ただ錦あるのみ」に表れる政策実施後の、しかし厳しい経済状況)とをしっかり見定める必要があるとは思います。

 「農業のみによっては経済力の強化は為し得ないのではないか」とのご意見にはまったく同感ですが、それ以外の部分はわたしの感想とはかなり異なるようです (^^;
 わたしも当時の三国(それ以外も含めて)の経済政策については再三まとめようと努力しているのですが、そのたびに挫折しています。
 本気でやるなら、それぞれの政治的背景の解明・各施策のメリットデメリットの検討・他国政策との比較・民間の産業の調査・文献や物的証拠の吟味、などなどやるべきことは多いと思うのですが、三国志の時代の経済、とくに蜀の経済について満足に説明したものにはいまだにお目にかかっておりません。 むしろ、薄弱な(都合の良い)根拠で展開された「俺説」が多いという気さえします。せめて呉の長沙走馬楼呉簡みたいに詳細な資料が出てくると良いのですが。

 蜀ファンのかたに喧嘩を売るわけではありませんが、正直にわたしの感想を述べるならば
「蜀の経済政策に独自色はあるが、先進的なものはない。むしろ短期間に税収を上げることに気をとられ、ゆがんだ産業になって年月とともに魏・呉に差を広げられたのではないか」
というところです。・・・・・・まあ、あくまでも個人的な感想ですが。わたしは蜀漢についてはどうも懐疑的(批判的?)に見てしまうので、聞き流していただければ幸いです。

 余談になりますが、わたしの参考文献は

『東洋的古代』/宮崎 市定/中公文庫
『中国古代の社会と経済』/西嶋 定生/東京大学出版会
『貨幣の中国古代史』/山田勝芳著/朝日新聞社
『塩鉄論』(いろいろありますが、個人的には明徳出版社がオススメです)
『漢代都市機構の研究』/佐原康夫/汲古書院
『漢三國両晋南朝の田制と税制』/藤家 禮之助/東海大学出版会
『三国食貨志』/陶元珍/台湾商務印書館 (中文書)
『金泥玉屑叢考』/王仲犖/中華書局 (中文書)

など(順不同)です。三国志の時代ピンポイントのものは少ないですが、全体像を理解するにはいいかと。
 長文乱文失礼しました。

【3519】Re:蜀錦の貨幣的価値について
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2009/10/5(月) 12:42 -

引用なし
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   ▼USHISUKEさん:
>> あまり関係ないですが、下記のような詔をみかけました。
>>
>>《魏文帝詔》曰:前後毎得蜀錦、殊不相比、適可訝、而鮮卑尚復不愛也。自吾所織如意虎頭連璧錦、亦有金薄・蜀薄來至洛邑、皆下惡。是為下土之物、皆有虚名。
>>
>><参考までに清岡による頼りない訳>
>>魏文帝詔に言う。蜀錦を得る毎に前後して、とても互いに釣り合わず、まさに訝しく思うべきであり、鮮卑からはなおも慈しまれない。虎頭連璧錦のような吾の織物に比べ、洛邑に至り来る金薄・蜀薄がまたあっても皆、下悪だ。これを皆、虚名がある下土の物とする。
>>
>>
>> これは魏の文帝期では単純に蜀錦に虚名ばかりで価値がなかったのか、それとも政治的な意味が含まれたものなのか、私にはよく分かりません。
>
>この件、何かの本に記載があったのですが…解釈としては、「蜀錦はたしかに高い付加価値を当時から持っていたのですが、それをいいことに偽モノが大量に出回るようになった」という感じだった気がします。
>

なるほど〜
少々乱暴な言い方ですが、背景として、ブランド品のコピーが出回っていたと言い換えると妙に納得できますね(笑)
…あ、ただの感想ですので、レスは特に必要ないです。
<sage>

【3528】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKE  - 2009/10/11(日) 1:27 -

引用なし
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   Barbalさん、ご返信ありがとうございました!

>>やはりサイズだけでなく品質のランクもあったのですね。
>>ちなみに、ご存知でしたら「品質のランク」が具体的に掲載されている書物に心当たりありますか?
>
> 一覧表のようなものは無いと思います。見つけたら是非教えてください。『孫子算経』やら『全三國文』『全晋文』etc.に断片的に「中絹は○、下絹は△相当」「上麻は○、下麻は△相当」「紗は○、綺は△相当」の記述があるだけです。時代や地域もバラバラなので、まとめるのはたいへんだと思います。

そうですか、お知らせくださりありがとうございます!
私の知識やかけられる時間から、いずれにしろ「正確性」は突き詰められないので、ザックリ大枠としての仮説を作られればと思っています。充分です。

> わたしも当時の三国(それ以外も含めて)の経済政策については再三まとめようと努力しているのですが、そのたびに挫折しています。
> 本気でやるなら、それぞれの政治的背景の解明・各施策のメリットデメリットの検討・他国政策との比較・民間の産業の調査・文献や物的証拠の吟味、などなどやるべきことは多いと思うのですが、三国志の時代の経済、とくに蜀の経済について満足に説明したものにはいまだにお目にかかっておりません。 むしろ、薄弱な(都合の良い)根拠で展開された「俺説」が多いという気さえします。せめて呉の長沙走馬楼呉簡みたいに詳細な資料が出てくると良いのですが。

もし「満足に説明した」書籍があれば参考にさせていただこうと虫のいいことを考えてもいたのですが…ありませんか。

> 蜀ファンのかたに喧嘩を売るわけではありませんが、正直にわたしの感想を述べるならば
>「蜀の経済政策に独自色はあるが、先進的なものはない。むしろ短期間に税収を上げることに気をとられ、ゆがんだ産業になって年月とともに魏・呉に差を広げられたのではないか」
>というところです。・・・・・・まあ、あくまでも個人的な感想ですが。わたしは蜀漢についてはどうも懐疑的(批判的?)に見てしまうので、聞き流していただければ幸いです。

■先進性がない
■政策が近視眼的
というところは、私も否めないと思っています。
政治的背景(一地方国家でありながら明確に漢朝復興を国是としている、人口に占める兵士の割合が多いなどいびつな「戦時国家」であるなど)を加味すると、無理が来て当然というところはありますが。

> 余談になりますが、わたしの参考文献は
>
>『東洋的古代』/宮崎 市定/中公文庫
>『中国古代の社会と経済』/西嶋 定生/東京大学出版会
>『貨幣の中国古代史』/山田勝芳著/朝日新聞社
>『塩鉄論』(いろいろありますが、個人的には明徳出版社がオススメです)
>『漢代都市機構の研究』/佐原康夫/汲古書院
>『漢三國両晋南朝の田制と税制』/藤家 禮之助/東海大学出版会
>『三国食貨志』/陶元珍/台湾商務印書館 (中文書)
>『金泥玉屑叢考』/王仲犖/中華書局 (中文書)
>
>など(順不同)です。三国志の時代ピンポイントのものは少ないですが、全体像を理解するにはいいかと。
> 長文乱文失礼しました。

文献の紹介ありがとうございます!
手が届かない書籍などもありますので、図書館で調べてみます。
※『貨幣の中国古代史』/山田勝芳著/朝日新聞社は以前買って本棚に眠っていたのですが…改めて問題意識をもって読むと、ヒジョーにためになります!

ちなみに、以前、Barbalさんもレスつけられていた「劉巴の経済政策」に関するスレ[#T3350]があったかと思います。
蜀の経済政策を考えるうえでひとつの材料になるなぁ、と考えて拝読しました。
が、いかんせん経済や政府貨幣の発行のことがよく理解できておらず…困ったときの「はてな」ということで質問をしてみたところ、幸い詳しい方に丁寧に解説いただけています(現在進行中)。
参考になりましたら。
http://q.hatena.ne.jp/1254524497

【3529】Re:蜀錦の貨幣的価値について
 USHISUKE  - 2009/10/11(日) 1:29 -

引用なし
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   >ちなみに、以前、Barbalさんもレスつけられていた「劉巴の経済政策」に関するスレ[#T3350]があったかと思います。

[#3350]

ショートカットの表記が間違っていました。

【3530】Re:蜀錦の貨幣的価値について
紹介  Barbal  - 2009/10/11(日) 22:26 -

引用なし
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   ▼USHISUKEさん:
>ちなみに、以前、Barbalさんもレスつけられていた「劉巴の経済政策」に関するスレ[#T3350]があったかと思います。
>蜀の経済政策を考えるうえでひとつの材料になるなぁ、と考えて拝読しました。
>が、いかんせん経済や政府貨幣の発行のことがよく理解できておらず…困ったときの「はてな」ということで質問をしてみたところ、幸い詳しい方に丁寧に解説いただけています(現在進行中)。
>参考になりましたら。
>http://q.hatena.ne.jp/1254524497

 ほかの方の参戦がないのにわたしの自論ばかり書き込むのも肩身が狭いですが (^^;
 「はてな」のリンク先、興味深く拝見しました。常々劉巴の献策が詐欺やペテン扱いされることに疑問を感じ、真っ当な施策であることを何とかうまく説明できないものかと思っていたので、大いに参考になりました。やはり、経済に詳しいかたが見ると違いますね。

 ただ、一点だけ気になるので指摘させていただきたいのですが、『三国志』の「府庫充実」を「倉庫を物資で満たす」と解釈するのはあまり正確ではないと思います(これは さとうしゅう氏の訳の問題ですが)。

 佐原康夫著『漢代都市機構の研究』P.130やP.163にくわしく説明されていますが、もともと戦国時代には府=文書庫・庫=兵器庫だったものがのちに財庫・宝物庫になっています。実際、手元にある漢和辞典でも「府庫:文書や宝物をしまっておくくら」(『漢字源』P.501)となっており、ただの物置き(保管庫)ではなく現代の金庫(および財政機構)を指しています。 「府庫充実」というのは単に物置きが物資で一杯になったのではなく、大きな収入を上げ宝物(資産)が蓄積された意味だと考えるべきではないでしょうか。

 劉巴の献策はひとつながりではありますが、貨幣の発行益だけでこれだけの収入を上げたとは考えにくく、銭の発行=府庫充実ではなく
「まず良質な銭を発行しインフレを抑えて物価を安定させ」しかる後に「令吏為官市(公営マーケット。売り上げはすべて国庫に入るので、普通に商人から徴税するより実入りが良い)を設置して収入を増やす」、
銭の発行=物価の安定→公営マーケットが商売繁盛でメシウマ、なのだと考えます。
 もしUSHISUKEさんがその通りに解釈されておられるのでしたら、わたしの勘違いです。すみません <(_ _;)>

 実際、当時でも公営マーケットは珍しいものではなく、呉のハンショウ(変換めんどいのでパス;)伝で彼が占領地で商売をしていたこと、『晋書』宣帝紀で司馬懿が長安(だったかな?)に軍市を設けたこと、『後漢書・劉虞伝』での『『開上谷胡市之利,通漁陽鹽鐵之饒(上谷に胡市を開き、漁陽の豊かな塩鉄によって利益を得た)』などなど、少なくない記録が見られます。

 いかん、何が書きたいのか自分でもわからなくなってきた <(゚ロ゚;)> Oh,no! 

 最後。ついでに脱線させていただきますが、この公営マーケット。民は安定した価格で物を買えるし、政府も短期間で収入を上げられるのですが、あまり長く続けると民業を圧迫して発展を妨げますし、いざ何か(戦争や災害)あったときに政府の定めた価格を押し付けられることにもなります。 これは塩鉄の専売制もそうですが、なるべく期間限定で実施し、徐々に制限を緩めながら民間業者を参入させるべきであるように思われます。
 このように、蜀が「民と利を争う」(『塩鉄論』より)政策を導入した点をもって前回の『短期間に税収を上げることに気をとられ、ゆがんだ産業に』の部分の補足とさせていただきます。



【3532】Re:蜀錦の貨幣的価値について
追記  Barbal  - 2009/10/12(月) 1:52 -

引用なし
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    いちおう他のかたもご覧になっていると信じて(笑)。

 劉巴の「但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官市(ただ百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくればよい)」ですが、このエピソードを語るのに最後の「令吏為官市」について言及する人が少ないように思います。
 たとえば、通貨の発行益で収入を増やすのが狙いならば「但當鑄直百錢」だけで済むし、商業を振興させて税収を増やそうというならば「平諸物賈」までで十分だと思います。 何のために「令吏為官市」とまで言っているのかを考えると、それはやはり官市で利益をあげるためだと思うのですが、いかがなものでしょうか。もしもこれが物価の統制のことを指しているのだとすれば、漢代の市場はみな役所が決めた価格がついている(守られていないのですがw)わけで、わざわざ官市である必要はないように思います。

 それから、わたしは「令吏為官市」を「吏をして官市を為さしむる=公営マーケットを設置させる」というように理解しているのですが、いかんせん漢文はよく読めません (-_-;)
 「それ、訳が違うよ」「こういう風に考えるべきじゃないの」というかたのご指摘をお待ちしております。どうぞよろしく。

【3542】Re:蜀錦の貨幣的価値について
追記  Barbal  - 2009/10/17(土) 21:37 -

引用なし
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   > 実際、当時でも公営マーケットは珍しいものではなく、呉のハンショウ(変換めんどいのでパス;)伝で彼が占領地で商売をしていたこと、『晋書』宣帝紀で司馬懿が長安(だったかな?)に軍市を設けたこと

 ・・・・・・すみません、思い切り誤爆でした _| ̄|●


司馬懿が長安に軍市を開いた話は『三国志(魏志)』倉慈伝に引く『魏略』の記述でした。訂正してお詫びします。

原文:「至青龍中,司馬宣王在長安,立軍市(後略)」
テキトー訳:「青龍年間、司馬懿は長安におり、軍市を立てた(開いた)」

 ご覧いただいた方には申しわけありませんでした。

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