2008年6月の日記:[以前の日記]
 
 
6月30日(月)
 
 
期間の最後の日は筆を進めず、設定面で進める。
破虜将軍・孫文台(孫氏からみた三国志48)
孫堅の上洛(孫氏からみた三国志50)
↑ここらへんを参考にしながら
物語中の孫堅の北上日程を決定していた。
その設定と朱儁とをリンクさせないとね。
あと九月以降の別の小説でメインに使うため、どうせ決めないといけないし。

やり方は例によって中国歴史・文化地理図冊や中国歴史地図集のスキャン画像を画面に出し、ねじりっこ(針金にビニルで被覆し袋をしばったりするやつ)を画面にあて、それを伸ばし距離尺に当て距離を計り、さらに日行三十里(吉行五十里だけどね)として行軍日数を出すってやり方。

公仇稱とか潁川太守の李旻とかの存在を思い出す。
ここらへんが豫州の軍勢がどう関わってくるかのカギになるね。
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6月28日(土)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 47 枚
47 枚目の使用行数 : 6 行

今、数字をコピーして気付いたんだけど、気を抜くとすごい遅いペースになっていて笑える(笑)
一日一枚。
いよいよ朱公偉が動き出すところ。


図書館から東浩紀/著『文学環境論集 Essays』と『文学環境論集 Journals』を借りて少しずつ読んでいる。

以下、メモ。

 物語志向メディア 価値観を伝える。コミュニケーション志向メディア 価値観を生成する
 前者が商業誌、後者が同人誌、(ゲーム)、ネットのコミュニケーション


やはり私はコミュニケーション志向メディアに順応できそうにないなぁ。

結局は「『三国志』などのデータベースからデータを引き出し組み立て小さな物語を作る」ってことだしなぁ。

あと、岡田斗司夫/著『フロン』を借りてくる。こちらも面白い。

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6月20日(金)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 41 枚
41 枚目の使用行数 : 3 行

物語上、遷都が起こったので、朱公偉は河南府で孤立している。
近くの(名のある)キャラクターは畢圭苑に駐屯する董仲穎勢で、小説の設定上、冷戦状態なので、公偉と共にストーリーを転がすことができない。
実際、今、書きづらくなっている。
こうなりゃ話を遡って、息子の朱文明を入れ込んで(史書に年齢が明記されていないので、設定上、二十歳ぐらい?)、話を転がしていくかな。
官府にある「便坐」(長官の私的空間)の概念を知ったんで、臆せず描けるね。

来月からの傅燮小説にもこの概念を導入し、唐突に出てくる傅幹もちゃんと登場するよう描きなおしたいね。


動き出した関東諸将(孫氏からみた三国志49)
↑ちなみに今、書いている小説の時代背景はこのへん。
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6月15日(日)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 35 枚
35 枚目の使用行数 : 10 行

 以下、特に断りは入れていないが三国志ジャンル内のこと。

 5月31日土曜日と6月1日日曜日との旅行のレポ(下記にリンクしておく)を先週、仕上げる。上の数字を見て貰うとわかるようにその間、小説執筆は進めていない。
 両日の旅行で得た最も重要なことはアウトプット(表現)の喜びを再認識したことだ。
 というのも一日目は合う合わないの問題は置いておいたとしても長時間、イベントにてインプットしていたことは間違いない。休憩時間、隣の人と目の前のイベントを語ろうにも絶えず流れている音楽や場の高揚感が邪魔して、相手のことをうまく聞き取れないし、うまくしゃべれない。おまけに周りは自分と立ち位置が違う人ばかりでそれは良いがあくまでも観客同士であるため立ち位置が違うということすら表現する余地はない。
 この一日目のショー観賞に対して二日目の展覧会観賞は本質的に同じく一方向のメディアなんだけど、違う点は受け手同士で語れる余地があるということだ。
 イベントも展覧会観賞も四時間程度であり、前者はゆったり座れ飲食もでき、後者は立ちっぱなしで飲食はなしだけど、個人的に気分的に良かったのは後者だ。これは私がインプットよりもアウトプットを欲してのことだったんだろうと後から振り返って感じた。その証左としてインプットし続けていたイベントの前後で長文のブログ記事を書いている。
 これを私にとって卑近な例に落とし役立てようとすると、どうもここ二年ぐらい無自覚に小説書きを「創作」と大それたものに捉え、知らず知らずのうちに敷居やハードルをより高い物に設定していたのではないか、と気付く。そのため小説を書くというアウトプットが煩わしいものに感じ、無意識に遠ざけ、さらには小説を書いたとしてもそれに対する他者のリアクションが皆無であるため(※反応を得られるように設定していない)、小説を書かないあるいは強迫的に小説を書くという負のスパイラルに填り込んでしまっていたのだろう。
 それと対照的なのが、ブログ記事を書くというアウトプットだ。例えコメントが書かれなくてもアクセスログでどういった検索ワードで見られているか、また常連の閲覧者も含め記事から記事への滞留時間や別記事へのリンクの辿り具合からどの程度、個々の記事が見られているか実感できるため、書くモチベーションが上がり、正のスパイラルに入っていると言えるだろう。ブログなど非同期なメディアでなくても、オフ会など同期的なシチュエーションでもネタを言っていくことは好きだ。
 だから自分に対して言えることは「『ねえねえちょっと聞いて』の精神でもっと気軽に楽しく小説を書いて良いよ」ということだ(※ここらへん考えがプチクリに似ている)。小説は紙に出力するにしてもネットに上げるにしても本質的に送り手から受け手の間に時間を要するメディアだ。だから受け手のリアクションを見つつモチベーションを高めることは困難だ。だけど、それこそ受け手の反応を想像するか念頭に置き楽しく書くぐらいのことはできるはずだ。

 ということで、原稿の棄てる先が一つなくなったことを良いことに6月中は目下の朱儁小説を使って楽しく書くリハビリ期間に当てて、7月からは2007年に書いた100枚未満の傅燮小説を語る楽しさを入れ込み200枚以上に膨らませ8月末までに仕上げるというスケジュールにしよう。残りの三ヶ月間は間に合うかわからないが300枚以上に挑戦ってことで。




●2008年5月31日土曜日

 メモ:三国志ジャンルにおけるデータベース消費

 赤兎馬Presents「三国志の宴3」レポ

 赤兎馬Presents「三国志の宴3」第1部レポ

 赤兎馬Presents「三国志の宴3」第2部レポ

 赤兎馬Presents「三国志の宴3」第3部レポ

 扶助会構想


●2008年6月1日日曜日

 三サポ板五周年記念オフ会(2008年6月1日)

 立川中華街

 大三国志展(物語でたどる三国志)

 大三国志展(出土品でたどる三国志)

 三サポ板五周年記念オフ会二次会
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