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【809】史書『三国志』最強の男を問う! ジョージ真壁 2004/4/1(木) 13:34 マニアック!

【1303】麹義よ、お前は強いのか弱いのか! ジョージ真壁 2004/9/13(月) 2:26 ♪
┣ 【1305】Re:麹義よ、お前は強いのか弱いのか! ペテン師 2004/9/13(月) 22:49
┗ 【1306】Re:麹義よ、お前は強いのか弱いのか! むじん 2004/9/14(火) 14:35

【1303】麹義よ、お前は強いのか弱いのか!
♪  ジョージ真壁  - 2004/9/13(月) 2:26 -

引用なし
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    どうも。ジョージ真壁です。
 御返事ありがとうございます。


 なるほど、麹義は強くなかったと。そうかもしれません。
 どうも間抜けな印象もありますしねえ。


 ただ、どうなんでしょう。
 圧倒的に綿密な分析で知られるむじんさんの見解に異を唱える
ようで、誠にドンキホーテ的で恐縮なのですが、せっかくの機会なので
私の印象(分析ではないところがポイント)をぶつけてみて、胸を
お借りしたいと思います。


 界橋決戦の少し前、コウソンサンは北上してきた青徐の黄巾賊を
打ち破り、破竹の勢いだったという印象があるのですがいかがでしょう。
 北上を阻止された賊は、その後エン州辺りをボコボコにした程の連中。
 彼ら程のものを一蹴し、破竹の勢いだったコウソンサン御自慢の白馬
義従を足止めして、壊滅せしめた麹義の力量は決して侮れないように
思えるのです。


 劉虞遺臣らを束ねて幽州にコウソンサンを追い詰めた点については、
どうも麹義の統率というより、エンショウの政治力が大きいような
印象を私は持っています。確かに、麹義の奮闘も忘れがたいですが、
確か、最終的には彼はコケてましたよね。


 コケたくせにエラソーにして、あっさり殺されてしまったばっかりに、
麹義の評価が誠に難しいものになってしまいました。


 積極的にカンフクからエンショウに乗り換えた者として、田豊の
名も上がるような気がするのですが、いかがでしょう? 彼は、
硬骨なイメージがありますが、確か、カンフクの配下だったコウブや
ビンジュンやらを暗殺していたような記憶があるのですがどうだったでしょう。
 確か、審配も、積極的とは言わないまでも、親エンショウ反カンフク
だったような記憶があるのですが。


 いや、まったく、あやふやな記憶でレスをしたりして、誠に恐縮なの
ですが、印象で書いてみました。
 また、御意見、御感想、御反論、御解説等、頂ければ幸いです。


                   ジョージ真壁

【1305】Re:麹義よ、お前は強いのか弱いのか!
 ペテン師  - 2004/9/13(月) 22:49 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
> どうも。ジョージ真壁です。
> 御返事ありがとうございます。
>
>
> なるほど、麹義は強くなかったと。そうかもしれません。
> どうも間抜けな印象もありますしねえ。
>
>
> ただ、どうなんでしょう。
> 圧倒的に綿密な分析で知られるむじんさんの見解に異を唱える
>ようで、誠にドンキホーテ的で恐縮なのですが、せっかくの機会なので
>私の印象(分析ではないところがポイント)をぶつけてみて、胸を
>お借りしたいと思います。
>
>
> 界橋決戦の少し前、コウソンサンは北上してきた青徐の黄巾賊を
>打ち破り、破竹の勢いだったという印象があるのですがいかがでしょう。
> 北上を阻止された賊は、その後エン州辺りをボコボコにした程の連中。
> 彼ら程のものを一蹴し、破竹の勢いだったコウソンサン御自慢の白馬
>義従を足止めして、壊滅せしめた麹義の力量は決して侮れないように
>思えるのです。
>
>
> 劉虞遺臣らを束ねて幽州にコウソンサンを追い詰めた点については、
>どうも麹義の統率というより、エンショウの政治力が大きいような
>印象を私は持っています。確かに、麹義の奮闘も忘れがたいですが、
>確か、最終的には彼はコケてましたよね。
>
>
> コケたくせにエラソーにして、あっさり殺されてしまったばっかりに、
>麹義の評価が誠に難しいものになってしまいました。
>
>
> 積極的にカンフクからエンショウに乗り換えた者として、田豊の
>名も上がるような気がするのですが、いかがでしょう? 彼は、
>硬骨なイメージがありますが、確か、カンフクの配下だったコウブや
>ビンジュンやらを暗殺していたような記憶があるのですがどうだったでしょう。
> 確か、審配も、積極的とは言わないまでも、親エンショウ反カンフク
>だったような記憶があるのですが。
>
>
> いや、まったく、あやふやな記憶でレスをしたりして、誠に恐縮なの
>ですが、印象で書いてみました。
> また、御意見、御感想、御反論、御解説等、頂ければ幸いです。
>
>
>                   ジョージ真壁


ペテン師といいます
麹義は騎馬との戦いに習熟はしていたのでしょうが強かったかといえば恐らく
平均より少し上ぐらいかと思います。
ただ統率(性格)という面では文醜や顔良などより上だったのではないでしょうか。
袁紹配下については何かについて大将の性格に問題があり負け戦においやられていますが麹義にはそれらの記述がありません。
界境の戦いの時も公孫讃を幾度と無く破っています。

袁紹はこの時後方の部隊におり、前方で戦っている麹義は前衛の司令官だったのではないかと思います。
その司令官が度々公孫讃を撃破し壊滅さしたもの鼻高々になり大きな権勢をも持ってしまったがタメに起こったことではないかと思います。
ある意味韓信とおなじかもね

あと界境の戦いの前に公孫讃は黄巾賊を確かに破っていますけどこの年って
192年だと思うのですが、この年の4月にホウ信は青洲の黄巾軍が戦死してますがやっとのことで打ち破った年でもあり、曹操が追い回し済北まで行って降伏を願い出た黄巾賊を軍隊として組み入れた年でもあります。
このことからホウ信率いる軍隊に打ち破られた黄巾軍や曹操に追いまくられて散りじりになった黄巾軍の一軍を蹴散らして士気の上っている状態でそのまま袁紹挑んだのかもしれません。
恐らくこの時点ではホウ信の可能性が高いのですが…

【1306】Re:麹義よ、お前は強いのか弱いのか!
 むじん E-MAILWEB  - 2004/9/14(火) 14:35 -

引用なし
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   こんにちは。

あー念のため再確認しておきますと、私が得意なのは妄想くらいでして綿密な分析なんてのはまるでできませんので、その点はよろしくご了承ください。

> 界橋決戦の少し前、コウソンサンは北上してきた青徐の黄巾賊を
>打ち破り、破竹の勢いだったという印象があるのですがいかがでしょう。
> 北上を阻止された賊は、その後エン州辺りをボコボコにした程の連中。

確かに公孫サンは黄巾を撃破していますが、その賊軍の規模が分からないことには評価のしようもないと思います。エン州で鄭遂・劉岱を殺した勢力と同じかどうかも分かりませんし。

> 彼ら程のものを一蹴し、破竹の勢いだったコウソンサン御自慢の白馬
>義従を足止めして、壊滅せしめた麹義の力量は決して侮れないように
>思えるのです。

麹義を揉み潰そうとしたのが騎兵なので、これがいわゆる白馬義従であった可能性はもちろんありますけど、しかしおそらく彼らは本陣を固めていただけで、直接的には麹義と矛を交えてないと思います。いずれにしても単に足止めするくらいなら麹義でなくても難しくないですし、実際に公孫氏の騎兵を打ち崩したのは左右の強弩部隊です。公孫サンが冀州入りしたとき各地の冀州豪族が彼に呼応していますが、それを背後に残しておくことはできないので、戦いになれば先鋒を務めるのはこういう連中だとだいたい相場は決まってます。歩騎4万人を幽州だけで集めることはできないでしょうし。だから彼らの取りまとめ役の冀州刺史が戦死するわけです。もし先鋒が白馬義従ではなくて冀州豪族による構成だったなら、結局烏合の衆に過ぎないわけですから、やはり麹義でなくてもそう難敵でもないと思います。

> 劉虞遺臣らを束ねて幽州にコウソンサンを追い詰めた点については、
>どうも麹義の統率というより、エンショウの政治力が大きいような
>印象を私は持っています。確かに、麹義の奮闘も忘れがたいですが、
>確か、最終的には彼はコケてましたよね。

袁紹の公孫氏経略は記述が少なすぎて実態がよく分からないんですよね。袁煕は関わってないんだろうか。麹義に失態はなかったと思います。

> 積極的にカンフクからエンショウに乗り換えた者として、田豊の
>名も上がるような気がするのですが、いかがでしょう? 彼は、
>硬骨なイメージがありますが、確か、カンフクの配下だったコウブや
>ビンジュンやらを暗殺していたような記憶があるのですがどうだったでしょう。
> 確か、審配も、積極的とは言わないまでも、親エンショウ反カンフク
>だったような記憶があるのですが。

田豊も審配もただ閑却されていただけで韓馥を裏切ったわけではないです。公孫サンが冀州に入ったとき、郡県がみな呼応したとありますが、これは太守や県令が寝返ったのではなく、冀州の地元豪族が太守らを追放して公孫サンの傘下に入ったということです。多分。公孫範が勃海の郡兵を率いて袁紹に敵対したというのも、彼らの支持があればこそなしえたことでしょう。かくして公孫氏の軍は無人の野を行くがごとく界橋に押し寄せたわけですね。界橋決戦の直後(『後漢書』では四年三月とするのですが)、魏郡の郡兵が太守栗成を殺して黒山賊と連繋したというのにも、冀州豪族と袁紹との対立が窺えないものでしょうか。

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