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▼ジョージ真壁さん:
> どうも。ジョージ真壁です。
> 御返事ありがとうございます。
>
>
> なるほど、麹義は強くなかったと。そうかもしれません。
> どうも間抜けな印象もありますしねえ。
>
>
> ただ、どうなんでしょう。
> 圧倒的に綿密な分析で知られるむじんさんの見解に異を唱える
>ようで、誠にドンキホーテ的で恐縮なのですが、せっかくの機会なので
>私の印象(分析ではないところがポイント)をぶつけてみて、胸を
>お借りしたいと思います。
>
>
> 界橋決戦の少し前、コウソンサンは北上してきた青徐の黄巾賊を
>打ち破り、破竹の勢いだったという印象があるのですがいかがでしょう。
> 北上を阻止された賊は、その後エン州辺りをボコボコにした程の連中。
> 彼ら程のものを一蹴し、破竹の勢いだったコウソンサン御自慢の白馬
>義従を足止めして、壊滅せしめた麹義の力量は決して侮れないように
>思えるのです。
>
>
> 劉虞遺臣らを束ねて幽州にコウソンサンを追い詰めた点については、
>どうも麹義の統率というより、エンショウの政治力が大きいような
>印象を私は持っています。確かに、麹義の奮闘も忘れがたいですが、
>確か、最終的には彼はコケてましたよね。
>
>
> コケたくせにエラソーにして、あっさり殺されてしまったばっかりに、
>麹義の評価が誠に難しいものになってしまいました。
>
>
> 積極的にカンフクからエンショウに乗り換えた者として、田豊の
>名も上がるような気がするのですが、いかがでしょう? 彼は、
>硬骨なイメージがありますが、確か、カンフクの配下だったコウブや
>ビンジュンやらを暗殺していたような記憶があるのですがどうだったでしょう。
> 確か、審配も、積極的とは言わないまでも、親エンショウ反カンフク
>だったような記憶があるのですが。
>
>
> いや、まったく、あやふやな記憶でレスをしたりして、誠に恐縮なの
>ですが、印象で書いてみました。
> また、御意見、御感想、御反論、御解説等、頂ければ幸いです。
>
>
> ジョージ真壁
ペテン師といいます
麹義は騎馬との戦いに習熟はしていたのでしょうが強かったかといえば恐らく
平均より少し上ぐらいかと思います。
ただ統率(性格)という面では文醜や顔良などより上だったのではないでしょうか。
袁紹配下については何かについて大将の性格に問題があり負け戦においやられていますが麹義にはそれらの記述がありません。
界境の戦いの時も公孫讃を幾度と無く破っています。
袁紹はこの時後方の部隊におり、前方で戦っている麹義は前衛の司令官だったのではないかと思います。
その司令官が度々公孫讃を撃破し壊滅さしたもの鼻高々になり大きな権勢をも持ってしまったがタメに起こったことではないかと思います。
ある意味韓信とおなじかもね
あと界境の戦いの前に公孫讃は黄巾賊を確かに破っていますけどこの年って
192年だと思うのですが、この年の4月にホウ信は青洲の黄巾軍が戦死してますがやっとのことで打ち破った年でもあり、曹操が追い回し済北まで行って降伏を願い出た黄巾賊を軍隊として組み入れた年でもあります。
このことからホウ信率いる軍隊に打ち破られた黄巾軍や曹操に追いまくられて散りじりになった黄巾軍の一軍を蹴散らして士気の上っている状態でそのまま袁紹挑んだのかもしれません。
恐らくこの時点ではホウ信の可能性が高いのですが…
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