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問題は先にも触れた國淵伝の記述をどう理解するか,あとは官僚制,最近流行の地方行政システムに関する理解如何によるかと思われます。
あとは大淵先生だったと思うのですが,ちょっと手元に論文が無いので誰だったか正確に把握していませんが,この事象を黄巾と裏取引があったと推定する人もいまして,割とその意見は学説史の上で継承されているのですが,やはりあまり多すぎても降伏する理由がわからなくなりますので,総数が100万というのは,色々と理解するうえで難しいものがあると思われます。
まだ献帝も擁立していない時期ですし,制度に常に付きまとう問題ですが,その官職に付与されている権限と,その実態が同一だとは限らない,ということがあります。特に混乱期などは。それで仮に3万にしても,事実上,郡単位の支配ができていたかどうかも疑わしい状況で,その数をまるまる維持・吸収はできないのではないかと思われます。
この辺は考えると色々厄介な問題がからんでくるので難しいところではあると思うのです。
あとは方法論の問題になりますが,官渡の頃の兵は,私が読んだ記憶では,曹操の兵は確か,10万近い数はなかったと思いますが,記憶違いであったらすみません。
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