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みなさん、貴重なご意見ありがとうございました!!
>名前が長い方が、なんとなく迫力があって偉そうな感じがしますし(笑)
激しくスレ違いですけど、ある映画で武田勝頼が「我が祖、新羅三郎義光公」と叫んで舌噛んでましたw
>だから小説の登場人物がした発言・著述・思考に「劉備玄徳」が登場するのは問題ないと思います。
>一方、歴史書や小説でも解説部分でこれをやるのは、現代のルールに反しているのでやめた方がいいですね。
溝さん、はじめましてw
正史が重視されるジャンルの中ではルールが守られないといけないのですね。
>陽明学者の安岡正篤氏が著書で近いことを書かれていた
玄鳳さん、はじめまして。貴重なソースのご提供ありがとうございます♪
三国志はエンターテイメントとしてのファクター以上に、正史や当時の思想・文化を
研究する題材としての価値が大きいんですね。
今度探してみたいと思います。
>「玄徳」とは、深遠で表面的には見えないくらいの徳という意味で、
>「明徳」、即ち表面的によく見える徳、の反対だそうです。
>観念的に玄徳のほうが至上とされていたらしく、
>例えば、鼓腹撃壌で有名な堯の政治がまさに「玄徳」の世界だと言えます。
>なので、劉備はその「玄徳」を「備」えるという立派な字なのだよ、
>という解釈をされていました。
中国で劉備の評価が高い理由も分かる気がしました。
劉備も尭も中国指導者としてのあるべき姿に近かったわけですね。
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