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▼伊藤玲子さん:
>貂蝉の名の由来になった貂蝉の冠についてお教えください。
>恵文冠とは、同じものですか?
>その関係は?
>色々お教えください。
こんにちわ。
まず「惠文冠」と「貂蝉」とを関連づける文献は下記のようになります。
・『初學記』職官部
侍中冠武弁大冠、亦曰惠文冠。加金[王當]、附蝉為文、貂尾為飾、謂之貂蝉。
<清岡による訳>
侍中は武弁大冠、別名、惠文冠を冠する。金の[王當](みみだま)を加え、蝉をつけて文様とし、貂尾を飾りとし、これを貂蝉と呼ぶ。
今、見てみると実際、『続漢書』天文志には「貂蝉」が冠のように出てきますね。
・『続漢書』天文志
逵等自知事不從、各奔走、或自刺、解貂蝉投草中逃亡、皆得免。
<清岡による訳>
(中常侍の)張逵らはことを知ったため従わず、各々、奔走し、あるいは自ら刺した。貂蝉を解き、草中に投げ逃亡し、皆、免れた。
それで「惠文冠」=「貂蝉」かどうかはさらに文献を当たってみます。
『続漢書』輿服志では下記のようになっています。
・『続漢書』輿服志
武冠、一曰武弁大冠、諸武官冠之。侍中・中常侍加黄金[王當]、附蝉為文、貂尾為飾、謂之「趙惠文冠」。
<清岡による訳>
武冠は一に武弁大冠と言われ、諸々の武官がこれを冠する。侍中と中常侍は(これに)黄金の[王當](みみだま)を加え、蝉をつけて文様とし、貂尾を飾りとし、これは「趙惠文冠」といわれる。
さらに対象となる時代は少し下るんですが、『晋書』輿服志は下記のようになってます。
・『晋書』輿服志
武冠、一名武弁、一名大冠、一名繁冠、一名建冠、一名籠冠、即古之惠文冠。或曰趙惠文王所造、因以為名。亦云、惠者[虫惠]也、其冠文輕細如蝉翼、故名惠文。
(略)
侍中・常侍則加金[王當]、附蝉為飾、插以貂毛、黄金為竿、侍中插左、常侍插右。
<清岡による訳>
武冠は一名を武弁、一名を大冠、一名を繁冠、一名を建冠、一名を籠冠といい、古の惠文冠に近い。あるいは趙惠文王によって作られたと言い、そのためその名となる。一方、惠というものは[虫惠](せみ、つくつくぼうし)であり、その冠の文(文様、かざり)は蝉の翼のように軽く細く、そのため惠文となづけられた
(略)
侍中・常侍はすなわち金の[王當](みみだま)を加え、蝉をつけて飾りとし、貂毛を挿し、黄金を竿とし、侍中は左に挿し、常侍は右に挿す。
これらを見ると、いろいろ解釈はありそうですが、私は「惠文冠」に蝉と貂尾を加えたものが「貂蝉」と呼ばれていたのかなと思います。
※参照 メモ:武冠のあみあみ
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