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ゲソさん、ありがとうございました。
>ただ、法正の場合彼の行動を見ていると「性格が悪い」というよりも
>報恩雪仇が徹底的に過ぎないのではないかという気がします。
>劉璋に仕えていた際も、献策を悉く却下されて愛想を付かしたのであって、
>それまではむしろ謹直に仕え、比較的「スジを通している」ように思えます。
>劉備に仕えて後も厚遇に応え、抜群の働きをなしました。
>撤退を渋る劉備に対して文字通り矢面に立って諌止するという気骨も見せています。
>自分を評価しない・不当な仕打ちをする人間には仕返しを、
>その逆に篤い恩顧には全身全霊で応える人間であるように感じます。
>人格的に極端ではありますが、決して不遜な人物ではないように思えます。
そうでした。確かに、入蜀後も法正の働きは抜群でした。
それが結局劉備の信頼を獲得することの要因にもなったでしょう。
働きに見合うように重用されるのは、当然のことでした。
よく調べると、法正は「驕り高ぶった」とは評されていません。
彭ヨウはというと、入蜀後の行状にこれといった記述がないので、
ずば抜けた働きをした訳でもなかったのでしょう。
それが劉備の信頼を得られなかったことに繋がったということですね。
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