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「性格」という切り口で見ると確かに一方が重用され、
一方が左遷されという印象は受けますね。
ただ、法正の場合彼の行動を見ていると「性格が悪い」というよりも
報恩雪仇が徹底的に過ぎないのではないかという気がします。
劉璋に仕えていた際も、献策を悉く却下されて愛想を付かしたのであって、
それまではむしろ謹直に仕え、比較的「スジを通している」ように思えます。
劉備に仕えて後も厚遇に応え、抜群の働きをなしました。
撤退を渋る劉備に対して文字通り矢面に立って諌止するという気骨も見せています。
自分を評価しない・不当な仕打ちをする人間には仕返しを、
その逆に篤い恩顧には全身全霊で応える人間であるように感じます。
人格的に極端ではありますが、決して不遜な人物ではないように思えます。
翻って彭ヨウの場合は傲岸不遜と評されており、驕りが目立ちます。
来客中のホウ統を訪れた経緯の不遜さ位ならまだしも、
益州平定後に大きく出世してますます思い上がってしまい、
諸葛亮のみならず劉備の不興を買ってしまっています。
どちらも抜群の才能があり、劉備に仕えた経緯もほぼ似ているのですが、
ただ一点仕えた後の「劉備に対する信頼」を勝ち得なかった事が大きな違いだったのでしょう。
ホウ統や法正が存命であれば彭ヨウを弁護し、あるいは上手くやっていけたのかもしれませんが。
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