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本日行われた東方学者会議別会 第2回日中学者中国古代史論壇にて
中国社会科学院の梁満倉先生より、曹操墓について報告がありました。
梁先生が直接発掘・調査した結果というわけではなく、
安陽で行われた学術会議での発表内容に基づいた報告となります。
そこを念頭に置かれた上で、以下要旨をば(文責池田)。
◎曹操の石枕について
「魏武王常所用慰項石」と刻まれた例の石枕。
・盗掘品を押収したもので、偽物との疑惑があるが?
→「魏武王常所用挌虎大戟」「魏武王常所用挌虎短矛」「魏武王常所用挌虎長矛」
等と書かれた石版が墓内より発見されており、書式・書体ともに石枕と一致。
よって、石枕も墓内から出たと見てよい。
◎墓内の画像石について
破損・剥落がひどいものの、元の形に整形できたものもある。
上下に別れていて、上のものは3帳構成。
左上:題字「首陽山」。周の粟を食らわず餓死した伯夷・叔斉の画像。
中央:「侍郎」。詳細不明。
右上:「紀梁」。杞梁。敵の誘いを拒んで戦死した斉の忠臣(左傳襄公二十三年)。
下段:漢代の民間伝承「七人姉妹の敵討ち」の画像。話そのものは伝わっていない。
儒教の「忠孝」を主題としたものと思われる。
・曹操の墓に儒教理念の画像石はふさわしくないように思うが?
→曹操の思想にはむしろ儒教理念が大量に含まれていると言える。
建安九年の収田租令、廬植墓の修復、袁春卿や張バクに対する説得等々を読まれたし。
◎発掘された宝石類について
水晶珠や瑪瑙等が見つかっている。
・曹操は薄葬だったはずだが?
→水晶珠は飯含(死体の口に含ませる宝石)。
瑪瑙については、曹丕に「瑪瑙勒賦」があり、これは
「俺の持ってる瑪瑙の飾りベルトがかっこいいから作った賦」だそうな。
息子が持っているなら、父も持っていたと考えられる。
曹操の副葬品には衣服が四筺ある。中に瑪瑙の服飾品が混ざっていてもおかしくない。
結論:文献と実際の出土物が異なるのはよくあることであり、
曹操の記録や人物像と食い違うというのは些細な問題で、本質的な議論ではない。
別人の墓であるという証拠が出ない限り、曹操の墓であることを疑う理由はない。
皆様ツッコミどころは多々あるかと思いますがもう一度。
発掘調査したのは梁先生ではないので、先生を問い詰めてもどうにもなりません。
地元の調査チームが発掘を独占している以上、次の報告を待つしかないのが現状です。
一応フォローするとアレ、本物の後漢末の貴人墓ではあると思います。
誰のものかわかったもんじゃないだけで。
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