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【2893】初めまして いさみん 2007/9/3(月) 15:43

【2899】吉川三国志の影響 伊比 学 2007/9/8(土) 2:17
┗ 【3376】『絵本通俗三国志』からの流れ 清岡美津夫 2009/3/13(金) 12:38

【2899】吉川三国志の影響
 伊比 学  - 2007/9/8(土) 2:17 -

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   こんばんは。

「『かこうじゅん』が『かこうとん』になった」というわけではなさそうです。
光栄の三国志について調べてみましたが、初代三国志は「かこうとん」です。IIで「かこうじゅん」になり、IIIからは「かこうとん」に戻っています。

この理由を説明した文章があります。
1996年に光栄より発行された「三國志グラフィティ」という書籍に夏侯惇の紹介があるのですが、その中に、
 “『II』では吉川英治の『三国志』にならい、「かこうじゅん」という
   読みだったのも懐かしい”
という記述が見られるのです。

これは、
“吉川三国志にならったから特別に「かこうじゅん」であり、他の大多数の作品では一般的に「かこうとん」が用いられている”
という状況を示していると解釈できるような気がします。

「昔は『じゅん』だった」と思われる方がいることについては、「じゅん」と呼ぶのは吉川三国志だけ(?)といえども、昭和時代は三国志=吉川三国志といっても過言ではないくらいだったので、「かこうじゅん」の方が正しいという認識が生まれたからではないでしょうか。
横光三国志で育った僕には「陸遜=太った優秀なオッサン」以外は受け入れられないのと同様に(笑)。

ただ、なぜ吉川氏は「じゅん」とルビをふったのでしょう?
当時は他作品でも「じゅん」と呼ばれていたのでしょうか?
吉川三国志より前の三国志(江戸とか明治時代とか)ではどう呼ばれていたのかとなると資料が手元に無いので謎ですね。湖南文山の通俗三国志にはルビはあるのだろうか…
まあ、日本人の耳には「とん」より「じゅん」の方が名前として馴染むからという理由もありそうですが。

【3376】『絵本通俗三国志』からの流れ
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2009/3/13(金) 12:38 -

引用なし
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   ▼伊比 学さん:
>ただ、なぜ吉川氏は「じゅん」とルビをふったのでしょう?
>当時は他作品でも「じゅん」と呼ばれていたのでしょうか?
>吉川三国志より前の三国志(江戸とか明治時代とか)ではどう呼ばれていたのかとなると資料が手元に無いので謎ですね。湖南文山の通俗三国志にはルビはあるのだろうか…
>まあ、日本人の耳には「とん」より「じゅん」の方が名前として馴染むからという理由もありそうですが。


こんにちわ。
またまた古いツリーを上げてしまいます。

[#3346]
↑ここと同じ流れなんですが、ふとここのツリーを思い出して、試しに捜し見ました。

・古典籍総合データベース
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/

※関連リンク 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)


上記、早稲田大学図書館の古典籍総合データベースにある『絵本通俗三国志』(出版書写事項:天保7-12序[1836-1841] 群玉堂, 心斎橋博労町(大阪))を見てみると、「夏侯惇」のところにはばっちりと「かこうじゅん」とルビが振られていました。
「かこうじゅん」の読みは少なくともここまで遡れるということですね。

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