三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【2635】捕虜の扱い方 島津 2006/12/27(水) 15:36 教えて

【2651】Re:捕虜の扱い方 清岡美津夫 2007/1/5(金) 11:45 雑談
┣ 【2652】Re:捕虜の扱い方 清岡美津夫 2007/1/5(金) 12:18 追記
┃┗ 【2658】Re:捕虜の扱い方 島津 2007/1/5(金) 17:05
┃┗ 【2660】Re:捕虜の扱い方 清岡美津夫 2007/1/5(金) 18:05 ひと言
┗ 【2654】Re:捕虜の扱い方 島津 2007/1/5(金) 16:03
┗ 【2659】Re:捕虜の扱い方 ゲソ 2007/1/5(金) 17:45 ひと言
┗ 【2661】Re:捕虜の扱い方 島津 2007/1/5(金) 21:16
┗ 【2662】Re:捕虜の扱い方 将軍様 2007/1/5(金) 21:33
┣ 【2669】Re:捕虜の扱い方 島津 2007/1/6(土) 3:43 雑談
┗ 【2673】Re:捕虜の扱い方 孫ぽこ 2007/1/6(土) 13:36
┣ 【2677】Re:捕虜の扱い方 将軍様 2007/1/6(土) 21:18
┗ 【2686】Re:捕虜の扱い方 ゲソ 2007/1/7(日) 18:41 感謝♪
┗ 【2782】ありがとうございました! 島津 2007/4/9(月) 12:52 感謝♪

【2651】Re:捕虜の扱い方
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/1/5(金) 11:45 -

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   ▼島津さん:
>はじめまして!
>三国志については偏った知識(しかも乏しい;)しか持ってないくせに、趣味で絵や文を書いている者です。
>周瑜が好きで、彼にまつわるお話などを手当たり次第に収集しているのですが、
>ふと疑問に思ったことがあるので質問させてください。
>
>孫策が皖城を攻めたときに周瑜とともに二喬を娶ったというのは有名ですが、彼女たちはもともと捕虜だったのですよね?
>捕虜・・・というと、イメージ的に牢屋に閉じ込めたりするのかなぁ・・・と思うのですが、捕虜の扱いについて当時どのようにしていたのか、ご存じであればどなたかお教えください。
>

こんにちわ。
二橋を娶ったところは下のような文ですね。

三国志呉書周瑜伝

頃之、策欲取荊州、以瑜為中護軍、領江夏太守、從攻皖、拔之。時得橋公兩女、皆國色也。策自納大橋、瑜納小橋。

<清岡のテキトー訳>しばらくして、孫策は荊州を取ろうとして、周瑜を中護軍領江夏太守とすることで、皖を攻めさせ、これを攻め取った。その時、橋公の二人の娘を得た。二人とも国色(国中一の美女)だった。孫策は自ら大橋を納め、周瑜は小橋を納めた。


この橋公と皖との関係(皖の守備側についていたとか、単に皖に住んでいたとか)について何も説明がない以上、捕虜になったと決めつけるのは早計のような気がしますね。
例えば三国志蜀書先主伝だと「布虜先主妻子」(呂布が先主の妻と子を生捕りにした)という表現が見られるので、「得」じゃなくて「虜」であれば確定なんですけどね(と例え生捕りにしたとしても三国志呉書で孫策や周瑜の負のイメージがつくようなことは書かれそうにないな、と自己ツッコミを入れてしまうのですが・笑)

【2652】Re:捕虜の扱い方
追記  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/1/5(金) 12:18 -

引用なし
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   追記です。
他のエピソードと比べると何かわかるところがあるかもしれませんね。

例えが悪い上に大して分かることはないんですが、

三国志魏書夏侯淵伝の注に引く魏略

初、建安五年、時霸從妹年十三四、在本郡、出行樵採、為張飛所得。飛知其良家女、遂以為妻、産息女、為劉禪皇后。

<清岡のテキトー訳>昔、建安五年、そのとき夏侯覇の從妹は十三、四歳で本郡にいて、薪をとりに出ていたら、張飛にとられた。張飛はそれが両家の娘だと知り、妻とし、自分の娘を生み、(その娘が)劉禅の皇后となった。

というふうに、軍事とは無関係で娶るときでも「得」が使われてます。

【2654】Re:捕虜の扱い方
 島津 E-MAIL  - 2007/1/5(金) 16:03 -

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   はじめまして!


>この橋公と皖との関係(皖の守備側についていたとか、単に皖に住んでいたとか)について何も説明がない以上、捕虜になったと決めつけるのは早計のような気がしますね。
>例えば三国志蜀書先主伝だと「布虜先主妻子」(呂布が先主の妻と子を生捕りにした)という表現が見られるので、「得」じゃなくて「虜」であれば確定なんですけどね(と例え生捕りにしたとしても三国志呉書で孫策や周瑜の負のイメージがつくようなことは書かれそうにないな、と自己ツッコミを入れてしまうのですが・笑)

確かにそうですよね。
あの一文を読む限りでは、二人を得るのにどんなくだりがあったか、まったくわからないですよね;
(想像するに、皖攻めの時に二人の噂を聞いて娶りに行った・・・というのが自然なのでしょうか・・・。)

初心者向けの三国志本や、ゲームの人物紹介などで、
「捕虜となったのが縁で妻とした」と説明されているのを見るのですが、
あれは何が元になっているんでしょう?
小説でも捕虜エピソード、けっこう見ますし・・・
なにか、もとになるネタがあるのでしょうか。

【2658】Re:捕虜の扱い方
 島津 E-MAIL  - 2007/1/5(金) 17:05 -

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   ▼清岡美津夫さん:
>追記です。
>他のエピソードと比べると何かわかるところがあるかもしれませんね。
>
>例えが悪い上に大して分かることはないんですが、
>
>三国志魏書夏侯淵伝の注に引く魏略
>
>初、建安五年、時霸從妹年十三四、在本郡、出行樵採、為張飛所得。飛知其良家女、遂以為妻、産息女、為劉禪皇后。
>
><清岡のテキトー訳>昔、建安五年、そのとき夏侯覇の從妹は十三、四歳で本郡にいて、薪をとりに出ていたら、張飛にとられた。張飛はそれが両家の娘だと知り、妻とし、自分の娘を生み、(その娘が)劉禅の皇后となった。
>
>というふうに、軍事とは無関係で娶るときでも「得」が使われてます。


張飛が夏侯氏を妻にしたのも人さらい的なカンジ・・・ですが、
どうも、どこの娘かもわからないで得たようだし・・・。
夏侯氏の娘だから、という意味ではなく、気に入ったので連れて行ったというところでしょうか?

とはいえ、↑を考慮すると、二喬を娶った件は軍事的な意味はないような気もしてきました。

逆に軍事関係で「得」を使う記述があったりするのでしょうか?
そうなると・・・また振り出しに戻ってしまいますが;

【2659】Re:捕虜の扱い方
ひと言  ゲソ E-MAIL  - 2007/1/5(金) 17:45 -

引用なし
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   ちなみに当の孫策本人の伝ですが、討逆伝註の「江表伝」に曰く、
「周瑜とともに二万を率いて徒歩で皖城を襲撃し、すぐにこれを陥落させ、袁術の百官および鼓吹隊、部曲三万余り、ならびに袁術・張勲らの妻子を手に入れた。」
とあります。
つまり先ほどの周瑜伝の記述と、この記述を組み合わせて解釈した結果、
「接収した残党・部曲民の中に二橋がいた」「二橋は捕虜だった」
という解釈になったのかもしれませんね。

しかし討逆伝には橋公も二橋の名前も記されていないのは何故なんでしょうね。

【2660】Re:捕虜の扱い方
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/1/5(金) 18:05 -

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   ▼島津さん:
>張飛が夏侯氏を妻にしたのも人さらい的なカンジ・・・ですが、
>どうも、どこの娘かもわからないで得たようだし・・・。
>夏侯氏の娘だから、という意味ではなく、気に入ったので連れて行ったというところでしょうか?
>
>とはいえ、↑を考慮すると、二喬を娶った件は軍事的な意味はないような気もしてきました。
>
>逆に軍事関係で「得」を使う記述があったりするのでしょうか?
>そうなると・・・また振り出しに戻ってしまいますが;

「得」は意味的に広いんで、軍事関係でも使われると思います……と書き込もうと思ったら、
[#2659]←先ほど、ゲソさんから書き込みのあったところの原文が

自與周瑜率二萬人歩襲皖城、即克之、得術百工及鼓吹部曲三萬餘人、并術・勳妻子。

となって「得」が出ていますね。
(というか、私、ずぼらして討逆伝をちゃんと見てなかったことに気付いて恥ずかしいです・笑)

【2661】Re:捕虜の扱い方
 島津 E-MAIL  - 2007/1/5(金) 21:16 -

引用なし
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   ▼ゲソさん:
>ちなみに当の孫策本人の伝ですが、討逆伝註の「江表伝」に曰く、
>「周瑜とともに二万を率いて徒歩で皖城を襲撃し、すぐにこれを陥落させ、袁術の百官および鼓吹隊、部曲三万余り、ならびに袁術・張勲らの妻子を手に入れた。」
>とあります。
>つまり先ほどの周瑜伝の記述と、この記述を組み合わせて解釈した結果、
>「接収した残党・部曲民の中に二橋がいた」「二橋は捕虜だった」
>という解釈になったのかもしれませんね。
>
>しかし討逆伝には橋公も二橋の名前も記されていないのは何故なんでしょうね。

はじめまして!

なるほどー。接収した残党・部曲民の中に二橋がいた、とうのであれば捕虜という解釈もわかる気がします。


周瑜伝に二喬の記述があって、孫策伝に無いのは不思議ですよね。
周瑜伝で記述しなければ、あえて載せるほどの事柄でもなかったということでしょうか・・・?

【2662】Re:捕虜の扱い方
 将軍様 WEB  - 2007/1/5(金) 21:33 -

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   周瑜には妻が一人で孫策には数人いたから←(想像)
あえて孫策の方では書かなかったとかですかね
必要ないからなのか、削除されたのか
はっきりしないからこそ、自由に描かれたわけですが
時代を飛び出て有名人で人気者の姉妹ですね(笑

【2669】Re:捕虜の扱い方
雑談  島津 E-MAIL  - 2007/1/6(土) 3:43 -

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   ▼将軍様さん:
>周瑜には妻が一人で孫策には数人いたから←(想像)
>あえて孫策の方では書かなかったとかですかね

私も、そうではないかなぁ〜・・・と一瞬思いました(笑

孫策には他に奥さんがいたようですし、(結婚した時期的にも大喬との間に一男三女を設けるのはまずムリではないかと・・・憶測ですが;)
他の妻達についても触れられていないということなら、よけい書かなかった・・・というのもあるのかしら。
(ああ・・・孫策の女性関係について知りたくなってきた〜・・・w)

また話が逸れますが、周瑜の奥さんは小喬一人なんですかね?
周循・周胤・周氏の母も、やはり彼女なのでしょうか?
(とか言って、答えが違っていたらショックだなー;ガクガク;)

【2673】Re:捕虜の扱い方
 孫ぽこ WEB  - 2007/1/6(土) 13:36 -

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   ▼将軍様さん:
>周瑜には妻が一人で孫策には数人いたから←(想像)
>あえて孫策の方では書かなかったとかですかね
>必要ないからなのか、削除されたのか
>はっきりしないからこそ、自由に描かれたわけですが
>時代を飛び出て有名人で人気者の姉妹ですね(笑

ども。
たぶん孫策には妻は数人いたと思われます。孫策には一男三女がいますが、大喬を娶ったのは皖城攻撃のあった199年以降で200年4月には孫策は死んでいる訳ですから、どう考えても大喬一人でこの短い期間に一男三女を産むのは難しいでしょう。

孫策の妻の伝が書かれてないのは、まず第一に孫策は皇帝ではなく王扱いですので伝を書くと整合性が取れないので妻の伝は韋昭の呉書の段階でなかっただろうというのが一つ。もう一つは書くに書けなかったのではないかとw

大喬小喬の話が周瑜伝に書かれているのは、そのエビソードがいかに孫策と周瑜の仲が良かったか信頼し合っていたかを表すエピソードだからではないかと思われます。周瑜の正妻が小喬だったからとは限りますまい。むしろ年齢を考えれば周瑜も孫策もそれ以前に妻は娶っていると考えるのが自然かもしれませんね。

【2677】Re:捕虜の扱い方
 将軍様 WEB  - 2007/1/6(土) 21:18 -

引用なし
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   孫ぽこさん毎度〜
孫羽でしたw

そうか・・・一杯いたから書くに書けない
そかそか
そりゃモテモテのお二人さんなんで、黙っていてもいくらでも嫁はきたでしょう
その息子二人、説明に養子とか 妾の子で とかないなら、妻の子なんでしょう
きっと・・・きっと
周瑜のほうからしたら、孫策と兄弟なんですよ!って、強調したほうが通りが良いからわざわざ記された とか

【2686】Re:捕虜の扱い方
感謝♪  ゲソ E-MAIL  - 2007/1/7(日) 18:41 -

引用なし
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   >大喬小喬の話が周瑜伝に書かれているのは、そのエビソードがいかに孫策と周瑜の仲が良かったか信頼し合っていたかを表すエピソードだからではないかと思われます。周瑜の正妻が小喬だったからとは限りますまい。むしろ年齢を考えれば周瑜も孫策もそれ以前に妻は娶っていると考えるのが自然かもしれませんね。

二橋のエピソードはあくまでも孫策と周瑜の結びつきを強調するものであって、婚姻そのものについては特記すべき事柄ではなかった、というのは考えてみればなるほどもっともですね。毎度の慧眼に驚くばかりです。

【2782】ありがとうございました!
感謝♪  島津 E-MAIL  - 2007/4/9(月) 12:52 -

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   将軍様さん、清岡さん、ゲソさん、孫ぽこさん、
初心者である私の質問に対し、わかりやすく丁寧にお答えくださってありがとうございます!
元は、孫策・周瑜がどのようにして美人妻を得たか知りたくて調べているうち、捕虜の扱い方が気になって、質問させていただいたわけですが、こんなにたくさんのご回答を得られて、とても勉強になりました!
かなーり時間が経ってしまいましたが;
御礼申し上げます。ありがとうございました!

返信がまだでしたので・・・

▼孫ぽこさん:
大喬小喬の話が周瑜伝に書かれているのは、そのエビソードがいかに孫策と周瑜の仲が良かったか信頼し合っていたかを表すエピソードだからではないかと思われます。周瑜の正妻が小喬だったからとは限りますまい。むしろ年齢を考えれば周瑜も孫策もそれ以前に妻は娶っていると考えるのが自然かもしれませんね。

二喬を得たときの二人は20代・・・ですよね。
たしかに他に奥さんがいてもおかしくない年齢ですね。
二次創作でこの夫婦を扱う側としては、ちょっと切ない気もしますが(笑)
でも、確かに孫策・周瑜の間柄がどれほど濃いものだったか、説明するものとして、簡単でわかりやすいエピソードですよね。

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