三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【3861】Re:三国志ファンは今どこに?
 白崎ゆきと  - 2020/2/22(土) 8:57 -

引用なし
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   >ツイッターでは一般使用だとまだまだ実名アカウントが珍しいという認識ではあります。

色々考えましたが、実名が必要な場面がある以上、使い分けを考えることはストレスにしかならないな、と。

子供が4月から小学校で、親が勉強する姿を見せたいことも、今復帰を決めた理由で大義名分なのです。
ウェブ制作も、どこかで見せておきたいですし。


>この時のオフ会って三国志シンポジウム合わせだったんですよ。その三国志シンポジウムも意味合い的に大東文化大学の枠を越えて三国志学会へと引き継がれ、その三国志学会の関連講座として、3人のうち2人は出演、1人はスタッフってのは三国志受容史で興味深いです

結局、行動する人が未来を変えて行くし、未来を変えた経験が、更なる行動を促すんですよね。

行動しなかった人間が言う内容ではないので、ツイッターではスルーましたが(笑)
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【3860】Re:三国志ファンは今どこに?
 清岡美津夫 WEB  - 2020/2/18(火) 22:32 -

引用なし
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   とりあえずおかえりなさいませ。
実生活優先で徐々に体を(?)慣らしていきましょう。
あとフォローをありがとうございます。
ツイッターでは一般使用だとまだまだ実名アカウントが珍しいという認識ではあります。

>> ・2005年7月31日 サポ板プチオフ会
>おぉ、懐かしい! あれから14年も経っているのは驚きです。
>さらに、今でも活動を続けられている方が多いのは、ただただ凄いですね。

この時のオフ会って三国志シンポジウム合わせだったんですよ。その三国志シンポジウムも意味合い的に大東文化大学の枠を越えて三国志学会へと引き継がれ、その三国志学会の関連講座として、3人のうち2人は出演、1人はスタッフってのは三国志受容史で興味深いです

・第4回“三国志”の作り方講座(東京都新宿区戸山2020年2月23日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/5204

と以上のことは試しにこれをツイートしときます(笑
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【3859】Re:三国志ファンは今どこに?
感謝♪  白崎ゆきと  - 2020/2/14(金) 0:25 -

引用なし
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   丁寧に教えて頂き、ありがとうございました。
ツイッターのアカウント作成と、プロフィール登録ができました。

ただ、これを最後にハンドル名(白崎ゆきと)は廃止し、本名に切り替えようと思います。

Facebookの誕生以降、本名の使用率が劇的に高まりましたし、
妻と子供たちから「白崎ゆきと、って誰? 何で?」と聞かれるのも恥ずかしいので……。


> ・2005年7月31日 サポ板プチオフ会
おぉ、懐かしい! あれから14年も経っているのは驚きです。
さらに、今でも活動を続けられている方が多いのは、ただただ凄いですね。

子育て中のため、時間は掛かりますが、自分もがんばりたいと思います。
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【3858】Re:三国志ファンは今どこに?
紹介  清岡美津夫 WEB  - 2020/2/5(水) 20:45 -

引用なし
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   とりあえずアカウントを芋づる式に辿っていけば良いかもですね。

・2005年7月31日 サポ板プチオフ会
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html

この時のメンバーでアカウントを思いつくのを並べておきます。

・USHISUKEさん
https://twitter.com/USHISUKE

・青木朋さん
https://twitter.com/aokitomo_zZ

・清岡美津夫
https://twitter.com/okakiyo92
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【3857】Re:三国志ファンは今どこに?
解決  白崎ゆきと  - 2020/2/3(月) 22:51 -

引用なし
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   >ネットだとツイッターですかね?

さっそくの回答ありがとうございました。
やはりツイッターなのですね。

せっかくなので、始めてみます。
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【3856】Re:三国志ファンは今どこに?
ひと言  清岡美津夫 WEB  - 2020/2/2(日) 20:34 -

引用なし
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   ▼白崎ゆきとさん:
>本当にお久しぶり(十年以上)です。
>
>三国志からすっかり遠ざかってましたが、少しは活動出来そうな状況になってきました。
>そういう意識でネットを眺めてみたのですが、十年ですっかり変わってますね。
>
>その中で抱いた素朴な疑問が、三国志ファンが集まって賑やかな所はどこ?
>
>そういったことに詳しいと言えば、清岡さんだよな、と質問させて頂きました。
>よろしくお願いします。


お久しぶりです!
ネットだとツイッターですかね?
https://twitter.com/search?q=%22%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E7%A0%94%E7%A9%B6%22&src=typd&f=live
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【3855】三国志ファンは今どこに?
教えて  白崎ゆきと  - 2020/2/2(日) 8:36 -

引用なし
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   本当にお久しぶり(十年以上)です。

三国志からすっかり遠ざかってましたが、少しは活動出来そうな状況になってきました。
そういう意識でネットを眺めてみたのですが、十年ですっかり変わってますね。

その中で抱いた素朴な疑問が、三国志ファンが集まって賑やかな所はどこ?

そういったことに詳しいと言えば、清岡さんだよな、と質問させて頂きました。
よろしくお願いします。
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【3854】三国志学会 第十四回大会(2019年9月14日)
紹介  清岡美津夫 WEB  - 2019/9/12(木) 7:07 -

引用なし
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   すっかりこちらで紹介するタイミングを逸しましたが、[#?三国志学会]の大会のお知らせです。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

↑以下、ここからの引用です。二場所二日間のときに比べたらすっかりコンパクトになってしまったというか第一回より短いですね

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○石井仁会長代行挨拶 (13:00〜13:10)

○報告(13:10〜15:00)
 高橋康浩(早稲田大学・講師)
 「孫呉政権における徐州人士の動向」
 渡邉義浩(早稲田大学・教授)
 「『三国志』裴松之注と「史」の範囲」

○第二回三国志学会賞授賞式(15:00〜15:20)

○講演(15:20〜16:50)
 吉川英明(吉川英治記念館・元館長)
 「父・吉川英治と三国志」

※ 講演は早稲田大学東洋哲学コースとの 共催となっており、無料で聴講できます。

○座談会(17:00 〜 18:00)
 「吉川英治の『三国志』をめぐって」
  司会 渡邉義浩(早稲田大学・教授)
  パネラー
   仙石知子(早稲田大学・講師)
   USHISUKE(NPO三国志フォーラム・代表)
   袴田郁一(早稲田大学・文学研究科)

○懇親会(18:20 〜 20:00)
 早稲田大学 戸山キャンパス33号館16階 第十会議室
  一般4,000円、学生2,000円
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・ツリー全体表示

【3853】2018年9月15日(土)三国志学会 第十三回大会
ニュ〜ス  清岡美津夫  - 2018/9/12(水) 7:06 -

引用なし
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   すっかりこちらで紹介するタイミングを逸しましたが、[#?三国志学会]の大会のお知らせです。今回は東京の早稲田大学のみです。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/


━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三国志学会 第十三回大会
日時:2018年9月15日(土)
場所:早稲田大学戸山キャンパス 33号館3階第一会議室
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus
参加費:500円(入会された方は無料です)

三国志学会年会費:2,000円
入会をご希望の方は事務局からのお知らせをご覧ください。
当日、入会することもできます。

プログラム
○石井仁会長代行挨拶 (10:00〜10:10)

○報告(10:10〜10:40)
・三田辰彦(東北大学助教)
「功業か孝道か ――三国両晋楚宋の宗廟における“太祖”の位置づけ――」

○講演(10:40〜12:10)
 講師紹介:伊藤晋太郎(二松学舎大学教授)
・梁満倉(中国社会科学院歴史研究所研究員・四川省諸葛亮研究中心学術委員会主任)
「軍師中郎将諸葛亮の荊州時代」

○お昼休み

○報告(13:00〜15:30)
・伊藤涼(早稲田大学大学院)
「王弼の万物生成論」
・中川諭(立正大学教授)
「イェール大学図書館蔵の『三国志演義』」

〇追悼(15:40〜16:00)
・伊藤晋太郎(二松学舎大学教授)
「沈伯俊先生の経歴と主要業績」
・石井仁(駒澤大学教授)
「狩野直禎先生記念 三国志学会賞の創設」

○講演(16:20 〜 17:50)
 講師紹介:牧角悦子(二松学舎大学教授)
・安藤信廣(東京女子大学名誉教授)
「六世紀から見た『三国志』の時代―歴史の伝説化と文学の継承と―」

※ 講演は早稲田大学東洋哲学コースとの 共催となっており、無料で聴講できます。

○懇親会(18:00〜)
 早稲田大学戸山キャンパス第10会議室 33号館16階
  一般4,000円、学生2,000円
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・ツリー全体表示

【3852】三国志学会 第十二回大会(2017年9月2日講...
ニュ〜ス  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2017/8/31(木) 2:00 -

引用なし
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   すっかりこちらで紹介するタイミングを逸しましたが、[#?三国志学会]の大会のお知らせです。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

http://cte.main.jp/newsch/article.php/3978
↑以下、ここからの引用の引用ですが、今年は京都での講演会と東京での大会の開催です。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三国志学会 第十二回大会(東京)
日時:2017年9月9日(土)
場所:早稲田大学戸山キャンパス 38号館AV教室
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus
参加費:500円(入会された方は無料です)

三国志学会年会費:2,000円
入会をご希望の方は事務局からのお知らせをご覧ください。
当日、入会することもできます。

プログラム
○石井会長代行挨拶 (10:00〜10:10)

○講演(10:10〜11:50)

 司会:清岡美津夫(NPO三国志フォーラム会員)

 ・梁蘊嫻(元智大学助理教授)
 「『三国志演義』と日本の絵入り本」

○報告(13:00〜16:00)

 ・渡邉義浩(早稲田大学教授)
 「『古史考』と『帝王世紀』―儒教に即した古伝説の整理」

 ・上田望(金沢大学教授)
 「地域からみる『三国志演義』」

 ・牧角悦子(二松学舎大学教授)
 「三曹の楽府と詩―六朝文学の起点として」

 ・石井仁(駒澤大学教授)
 「曹操の『兵書接要』」

○講演(16:20 〜 17:50)

  講師紹介:仙石知子(早稲田大学講師)
 ・小川陽一(東北大学名誉教授)
 「関帝霊籤と明清社会」

○懇親会(18:00〜)

 早稲田大学戸山キャンパス第10会議室 33号館16階
  一般4000円、学生2000円

※ なお、講演は早稲田大学東洋哲学コースと 共催となっており、無料で聴講できます。

三国志学会 講演会(京都)
日時:2017年9月2日(土)
会場:龍谷大学響都ホール(アバンティ京都9F)
https://www.ryukoku.ac.jp/ryudaihall/access/
プログラム
○ 13:00〜16:00(開場は12:30〜)

 テーマ「私はなぜ三国志を研究するに至ったか?」
  総合司会 竹内真彦(龍谷大学経済学部教授)
 ・佐藤大朗(三国志学会会員)
 ・井口千雪(九州大学人文科学研究院文学部門講師)
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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<sage>

【3851】周瑜の先祖 周興さん
 ムゼ  - 2017/8/20(日) 21:51 -

引用なし
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   こんにちは。以前にもお世話になりました。
その節はありがとうございます。

今回は、周瑜の先祖、周興さんについて
です。
後漢書の周栄伝の中に登場しています。
文章に巧みで尚書郎になっています。
まではつたない私の解読力で追えたのですが、
中国サイト(初心者レベル解読力、しかも見失い)で見かけた歴史演義ゲーム織り交ぜたらしい
人物エッセイのなかで周興さんは地震計を作った張衡さんの
同僚ではないかと。確かに張衡伝の中には周興という名前のひとはでてくるのですが、この方は周瑜の先祖の周興さんと一致すると考えていいのでしょうか?
周瑜が天文気象知識に詳しい要因の一つにもなるかと思うと胸熱です。
先達の皆様よろしくお願いします。
・ツリー全体表示

【3850】三国志学会 第十一回大会(2016年9月3日講...
ニュ〜ス  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2016/8/27(土) 0:39 -

引用なし
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   すっかりこちらで紹介するタイミングを逸しましたが、[#?三国志学会]の大会のお知らせです。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

http://cte.main.jp/newsch/article.php/3612
↑以下、ここからの引用の引用ですが、今年も東京での講演会と京都大会の2箇所での開催です。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三国志学会 第十一回 京都大会
日時:2016年9月10日(土)
場所:龍谷大学 響都ホール
https://www.ryukoku.ac.jp/ryudaihall/access/

参加費:500円(入会された方は無料です)

三国志学会年会費:2,000円
入会をご希望の方は事務局からのお知らせをご覧ください。
当日、入会することもできます。

プログラム
○ 狩野直禎会長挨拶(10:50〜11:00)

○ 報告(11:00〜15:45)

 長谷川隆一(早稲田大学大学院文学研究科)
 「通婚関係から見る孫呉政権の構造」

 渡邉将智(就実大学講師)
 「范曄『後漢書』の人物評価と後漢時代」

 伊藤晋太郎(二松学舎大学准教授)
 「「関帝文献」における関帝のひげについて」

 狩野雄(相模女子大学教授)
 「死を告げる匂い−三国志孫呉の感覚風土と時を超えて「知」ること」

○ 座談会(16:00〜17:30)

 「狩野直禎会長を囲んで」
  福原啓郎(京都外国語大学教授)
  石井仁(駒澤大学教授)
  渡邉義浩(早稲田大学教授)

※ 懇親会は、今年は用意しておりません。

三国志学会 講演会
日時:2016年9月3日(土)
会場:早稲田大学戸山キャンパス33号館3階第一会議室
(本キャンパスとは別です)
https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus

プログラム
○ 講演(13:00〜17:30)

 佐々木正治(江蘇師範大学外国語学院日本語学科講師)
 「中国三国時代の考古学―魏を中心に」

 潘偉斌(河南省文物考古研究院・研究員)
 「安陽曹操高陵に関する調査の進展と研究の最新成果」
 早稲田大学文学学術院共催(入場無料)

 渡邉義浩(早稲田大学教授)
 「二人の親魏王」

※ 懇親会は、今年は用意しておりません。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
開催通知のはがきでは、福原先生のご所属 と潘先生の報告題目、ならびに東京講演会の講演順に誤りがありました。 お詫びして訂正させていただきます。
事務局長 渡邉義浩
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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【3849】Re:孫権の忌日
追記  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2016/4/29(金) 2:53 -

引用なし
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   結局、当時の私は思い込みで中央研究院兩千年中西暦轉換[#1825]を見ていたのでは?という結論ですが、9年近くの時を超え訂正です。

・呉下の凡愚の住処
http://ameblo.jp/ancyon/

・東呉大帝孫権の命日
http://ameblo.jp/ancyon/entry-12154100528.html


・ア団 (Vitalize3K) on Twitter
http://twitter.com/Vitalize3K

・Twitter / Vitalize3K: 「最後になりますが『建康實録』には「(神鳳元年)夏四月乙未,帝崩於内殿」と記載され、『集解』には「潘眉曰:呉主以四月薨推神鳳元年四月乙未,乃二十六日傳文脱二字也」とあります。ですので16日ではなく26日だと考えてます。
...
http://twitter.com/Vitalize3K/status/725690134247526400

多分、当時、『三国志集解』を持ってなかったんで、それに当たるという基本が私になかったと。ちなみに『三国志』巻四十七呉書呉主伝の「時七十一」の集解部分が「權疾困召諸葛恪孫弘滕胤呂據孫峻屬以後事見諸葛恪傳」とあり、特に日付のことがかかれてないのですが、上記四番目のリンク先にあるように、巻六十四呉書諸葛恪伝の「今月十六日乙未」の集解部分が「潘眉曰呉主以四月薨推神鳳元年四月乙未乃二十六日傳文脱二字也」とあり、神鳳元年四月の十干十二支の乙未が二十六日なので、諸葛恪伝で「二」の字が抜けているとのことです。


▼清岡美津夫さん:
>>ただ呉大帝孫権は四月としか記されていませんが、
>
>古い記事なのですが、気になるところがあったのでフォローしておきます。
>
>今日は司馬懿の忌日で、そういえば、サポ板の方にも忌日関連の書き込みがあるな、と読み直していました。
>そこで行き着いたのがここのツリーです。以前、とあるサイトで孫権の忌日の話が紹介されていたことを思い出し(多分、そこの慣習に沿うとリンクしない方が良いのでしませんが)、この書き込みをフォローしておきます。
>
>三国志呉書呉主伝
>
>(太元)二年(西暦252年)春正月、立故太子和為南陽王、居長沙;子奮為齊王、居武昌;子休為瑯邪王、居虎林。二月、大赦、改元為神鳳。皇后潘氏薨。諸將吏數詣王表請福、表亡去。夏四月、權薨、時年七十一、諡曰大皇帝。
>
>
>三国志呉書諸葛恪伝
>
>翌日、權薨。弘素與恪不平、懼為恪所治、祕權死問、欲矯詔除恪。峻以告恪、恪請弘咨事、於坐中誅之、乃發喪制服。與弟公安督融書曰:「今月十六日乙未、大行皇帝委棄萬國、群下大小、莫不傷悼。至吾父子兄弟、並受殊恩、非徒凡庸之隸、是以悲慟、肝心[土己]裂。
>
>
>中央研究院兩千年中西暦轉換[#1825]によると、西暦252年4月16日は確かに「乙未」です(念のため確認)。
>
>というわけで4月16日(旧暦)は孫権の忌日のようですね。
・ツリー全体表示

【3848】Re:明帝曹叡は曹丕の子か?
紹介  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2016/4/1(金) 5:50 -

引用なし
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   近年ますますアーカイブ化している当掲示板なので、
ツリーのリンクをしておきます→[#T2331]


▼如墨委面さん:
>明帝曹叡は文帝曹丕の子ではなく、袁紹の次男、袁煕の子だという説があるそうですね。
>
>明帝崩御の記事(明帝紀魏志第三)
>
>(景初)三年春正月丁亥(一日)…、帝崩于嘉福殿、時年三十六。……
>
>の後で、裴松之は次のように言っています。
>
>臣松之按:魏武以建安九年八月定[業β],文帝始納甄后,明帝應以十年生,計至此年正月,整三十四年耳.時改正朔,以故年十二月為今年正月,可彊名三十五年,不得三十六也.
>
>臣松之が按ずるに
>魏の武帝(曹操)は建安九年八月に[業β]を平定し、文帝(曹丕)は始めて甄后を娶ったから、明帝は(建安)十年に生まれたことになるが、この年の正月までを計算すると三十四年しかならない。この頃、改暦があり、故年の十二月を今年の正月にしているので、これを計算に入れても三十五年にしかならず、三十六歳にはならない。
>
>これを読むと、裴松之は、暗に、明帝は建安十年でなく建安九年に生まれたのではないか、と言っているように見えます。そうすると、明帝の父は文帝ではなく、甄后の夫であった袁煕だったということになりますが、さすがにそこまでは言っていません。
>
>曹叡は袁煕の子であるという説の根元は、多分、この裴松之の注にあるのでしょうが、これだけでは、この説を裴松之が言い出したと言うには無理があるという感じです。
>
>一体、この説は誰が言い出したんでしょう。
>
>この問題は、曹叡は曹丕の子であり、明帝崩御の記事の「時年三十六」は誤りである、とするのが正しいのでしょうが、私は最近、この「曹叡は袁煕の子」説が正しいような気がしています。
>
>                   委面如墨
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<sage>

【3847】Re:曹叡の死亡年の西暦表記
紹介  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2016/4/1(金) 5:49 -

引用なし
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   近年ますますアーカイブ化している当掲示板なので、
ツリーのリンクをしておきます→[#T2923]

▼伊比 学さん:
>Wikiをはじめ、どの情報を見ても曹叡の死亡年は「239」と表記してあります。
>
>彼は景初3年春正月に死去しており、景初3年は西暦239年のことなので、曹叡の死亡年は239年。別に問題無し。
>
>…と思っていたのですが、曹叡は景初元年に暦を景初暦に変えたため、曹芳が戻すまでの3年間は1月分繰り上がっていたはずです。
>ということは、景初3年正月は西暦239年1月ではなく、238年12月のことであり、曹叡の死亡年を西暦表記するときは「238」が正確なのではないのでしょうか?
>
>暦に詳しい方のご教示賜りたく存じます。
・ツリー全体表示
<sage>

【3846】Re:遷偏將軍營下督
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2015/10/24(土) 12:19 -

引用なし
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   こんにちわ。

>『三国志』呉書で「督」と出ると以前、[#2588]で書いたようにややこしいのですが、それをとりあえず棚上げして、

というわけで、本筋とはあまり関係なく、棚卸しですが、

・三国時代の都督制(『創文』2007年6月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/659

上記のリンク先で触れましたように、後漢末(というより曹操の下)での初期の都督は「憲兵の職」の意味合いがあるそうで、この呉書の場合の「督」でも軍営での「憲兵の職」の意味合いが強いのかな、と愚考しておりました。

・『三国志』巻十五魏書賈逵伝注所引『魏略』
是時大將軍雖有禁令、而芻牧者多。故孚因此夜到、以鼓一中、自稱都督、歴北圍、循表而東、從東圍表、又循圍而南、歩歩呵責守圍將士、隨輕重行其罰。

・『通典』巻一百四十九 兵二 法制「魏武軍令」
吾將士無張弓弩於軍中。其隨大軍行、其欲試調弓弩者得張之、不得著箭。犯者鞭二百、沒入吏。不得於營中屠殺賣之、犯令沒所賣皮。都督不糾白、杖五十。


▼清岡美津夫さん:
>こんばんわ。
>
>前々回はとりあえずの投稿で失礼いたしましたが(おまけに私は後漢末を呉とミスリードしているっぽいですし)、質問の前提部分に立ち戻らせていただきます。
>
>>まず第一に、大将軍〜四征将軍までは開府できるとこちらにはあります。
>>http://www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/chu_shougun.html
>>問題はその下の雑号将軍らです。
>>朱然伝には偏将軍府の営下督の官に昇進とあるので、三国時代には確実に開府はされてるのですが後漢末がよくわからず困ってます。
>
>ここの部分ですが、『三国志』巻五十六呉書朱績伝の
>
>遷偏將軍營下督、領盜賊事、持法不傾。
>
>の部分でしょうか?
>『三国志』呉書で「督」と出ると以前、[#2588]で書いたようにややこしいのですが、それをとりあえず棚上げして、この文を素直に読むと「偏将軍の営の下の督に遷った」ってことで、「府」とは書かれておらず、明確に「営」、つまり軍営をさしているかと思います。
>
>営について [#3476]
>
>質問の本筋から離れるためアイコンを「雑談」といたしました。
・ツリー全体表示

【3845】Re:雑号将軍らの開府に及び幕僚等への俸給
雑談  R・F  - 2015/10/14(水) 0:31 -

引用なし
パスワード
   清岡さん
いつも的確な回答ありがとうございます。
私も同様の疑問を持っていたので、勉強になりました。

で。私も俸禄についての素朴な疑問があと一つあります。便乗するようで申し訳ないのですが、ご教示いただけるとありがたいです。

疑問というのは、「閏月」のある年の俸禄はどうなっていたのか、ということです。
年俸を13分割して払っていたのか? それとも1ヶ月分は特別予算として計上して、他の月と同じ額を払っていたのでしょうか?
高級取りの上級官僚はともかく、下級の吏や兵などは少ない給与を13分割されたら暴動を起こしかねないような気もするのですが。かといって、13か月分を払うと、単純計算で予算が約8%増えます。

どうなのでしょう?

▼まりもこさん:
>ありがとうございます!
>袋でもってかえり木曷の内容で分配みたいな形だったんですか・・・なるほど勉強になりました。
>
>▼清岡美津夫さん:
>>こんばんわ。
>>
>>>Q3、将軍幕僚の俸給は誰がどこで出すのか(将軍個人であつめた人事なので自腹なのか、派遣先の辺境へいってるなら最寄の兵站所になっている太守とかが一時的に肩代わり?)
>>>
>>>Q4、Q3に続いてそもそも(官吏の)俸給一般はどこで誰がどのタイミングで渡してるのか
>>>
>>>以上です。よろしくお願いします。
>>
>>Q4についてですがここでもたびたび出てくる(というか私が引いているのですが)籾山明『[#?漢帝国と辺境社会]』(中公新書 1999年)のp.122によると、前漢の辺境の下級官吏についてですが、佐原康夫「居延漢簡月俸考」(『古史春秋』5号、朋友書店1989年)を参考文献に、「まず俸給は食糧と同じく、支給を受ける側の代表が支給する機関(都尉府もしくは候官)まで出向いて受け取った。」とし、その一例として木簡の「第廿候史良、詣官受部吏奉。三月乙酉平旦入。」という文を挙げています。さらにp.123で「こうして受け取った俸銭は、袋に入れて各部へ持ち帰られた。次に引く一枚は、そうした月給袋に付けた[木曷]であろう(図25)。」とあります。
>>
>>※[木曷]について書かれた文字について
>>--引用開始-----------------
>>    候史吏已取
>>呑遠部 呑北燧長為已取 今取三千六百
>>    萬年燧長已取
>>--引用終了-----------------
>>
>>三国は漢代の制度をある程度引き継いでいますので、(特別変更の理由もなければ)今回の場合もおおむねこんなところだろうと思います。
>>
>>※居延漢簡については下記サイトで検索可能
>>・文物圖象研究資料庫 全文檢索
>>http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm
>>※関連記事
>>http://cte.main.jp/newsch/article.php/413
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【3844】Re:遷偏將軍營下督
 まりもこ  - 2015/10/10(土) 22:21 -

引用なし
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   私が勘違いしちゃってたみたいですね。すみません。
となるとやはり将軍と開府は純粋には紐付けされてなく、基本的には個別に開府儀同三司の権限を授けられるというのが正式な形みたいですね。

▼清岡美津夫さん:
>こんばんわ。
>
>前々回はとりあえずの投稿で失礼いたしましたが(おまけに私は後漢末を呉とミスリードしているっぽいですし)、質問の前提部分に立ち戻らせていただきます。
>
>>まず第一に、大将軍〜四征将軍までは開府できるとこちらにはあります。
>>http://www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/chu_shougun.html
>>問題はその下の雑号将軍らです。
>>朱然伝には偏将軍府の営下督の官に昇進とあるので、三国時代には確実に開府はされてるのですが後漢末がよくわからず困ってます。
>
>ここの部分ですが、『三国志』巻五十六呉書朱績伝の
>
>遷偏將軍營下督、領盜賊事、持法不傾。
>
>の部分でしょうか?
>『三国志』呉書で「督」と出ると以前、[#2588]で書いたようにややこしいのですが、それをとりあえず棚上げして、この文を素直に読むと「偏将軍の営の下の督に遷った」ってことで、「府」とは書かれておらず、明確に「営」、つまり軍営をさしているかと思います。
>
>営について [#3476]
>
>質問の本筋から離れるためアイコンを「雑談」といたしました。
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【3843】Re:雑号将軍らの開府に及び幕僚等への俸給
 まりもこ  - 2015/10/10(土) 22:17 -

引用なし
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   ありがとうございます!
袋でもってかえり木曷の内容で分配みたいな形だったんですか・・・なるほど勉強になりました。

▼清岡美津夫さん:
>こんばんわ。
>
>>Q3、将軍幕僚の俸給は誰がどこで出すのか(将軍個人であつめた人事なので自腹なのか、派遣先の辺境へいってるなら最寄の兵站所になっている太守とかが一時的に肩代わり?)
>>
>>Q4、Q3に続いてそもそも(官吏の)俸給一般はどこで誰がどのタイミングで渡してるのか
>>
>>以上です。よろしくお願いします。
>
>Q4についてですがここでもたびたび出てくる(というか私が引いているのですが)籾山明『[#?漢帝国と辺境社会]』(中公新書 1999年)のp.122によると、前漢の辺境の下級官吏についてですが、佐原康夫「居延漢簡月俸考」(『古史春秋』5号、朋友書店1989年)を参考文献に、「まず俸給は食糧と同じく、支給を受ける側の代表が支給する機関(都尉府もしくは候官)まで出向いて受け取った。」とし、その一例として木簡の「第廿候史良、詣官受部吏奉。三月乙酉平旦入。」という文を挙げています。さらにp.123で「こうして受け取った俸銭は、袋に入れて各部へ持ち帰られた。次に引く一枚は、そうした月給袋に付けた[木曷]であろう(図25)。」とあります。
>
>※[木曷]について書かれた文字について
>--引用開始-----------------
>    候史吏已取
>呑遠部 呑北燧長為已取 今取三千六百
>    萬年燧長已取
>--引用終了-----------------
>
>三国は漢代の制度をある程度引き継いでいますので、(特別変更の理由もなければ)今回の場合もおおむねこんなところだろうと思います。
>
>※居延漢簡については下記サイトで検索可能
>・文物圖象研究資料庫 全文檢索
>http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm
>※関連記事
>http://cte.main.jp/newsch/article.php/413
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【3842】Re:遷偏將軍營下督
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2015/10/10(土) 2:08 -

引用なし
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   こんばんわ。

前々回はとりあえずの投稿で失礼いたしましたが(おまけに私は後漢末を呉とミスリードしているっぽいですし)、質問の前提部分に立ち戻らせていただきます。

>まず第一に、大将軍〜四征将軍までは開府できるとこちらにはあります。
>http://www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/chu_shougun.html
>問題はその下の雑号将軍らです。
>朱然伝には偏将軍府の営下督の官に昇進とあるので、三国時代には確実に開府はされてるのですが後漢末がよくわからず困ってます。

ここの部分ですが、『三国志』巻五十六呉書朱績伝の

遷偏將軍營下督、領盜賊事、持法不傾。

の部分でしょうか?
『三国志』呉書で「督」と出ると以前、[#2588]で書いたようにややこしいのですが、それをとりあえず棚上げして、この文を素直に読むと「偏将軍の営の下の督に遷った」ってことで、「府」とは書かれておらず、明確に「営」、つまり軍営をさしているかと思います。

営について [#3476]

質問の本筋から離れるためアイコンを「雑談」といたしました。
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