|
こんにちわ、清岡と申します。
▼不居見さん:
>先日、調べものでネット上の後漢書訳を当たっておりました。その中の沖帝紀で、注に「沖」は幼くして帝位に就くこと、また夭逝することとありました。
>「沖」と聞いて真っ先に思い至ったのは、曹操の息子にして聡明ながら13歳で亡くなった曹沖のことです。13歳ですから夭逝の範疇に入ると思います。
>まさに名は体を表すといったところですが、同時に当然の疑問も湧いてきます。
>
>なぜ、こんな不吉な文字を名前に付けたのか?ということです。
『後漢書』沖帝紀の注というと、
謚法曰:「幼少在位曰沖。」司馬彪曰:「沖幼早夭、故謚曰沖。」
というところですね。
そこから少し遡って順帝紀を見て貰うと、漢安二年夏四月のところに護羌校尉の趙沖なる人物の記載が見えると思います。
また、『三国志』をざっと見てみると、鄭沖、王沖、胡沖など「沖」を名とする人物が見られますので、特に珍しい名でもないように思います。。
ちなみに、『字通』に引かれる『説文解字』[#3189]で「沖」は「涌(わ)き揺(うご)くなり」となっていますね。
>字は成人してから付けるものだったと聞きますが、これと同様に、諱も成人してから付けるものだったのではないのか?ということです。(もし、当然の事実であればごめんなさい)
『礼記』内則には、子が生まれたときにどういった行動をとるか書かれており、それに付随してどういった名を付けてはいけないかということが書かれていますね。
|
|