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▼風月さん:
>お久しぶりです。いきなりなんですがレッドクリフや本などで赤壁の戦いのとき魏軍100万(たぶん85)万って本当なのでしょうか?僕は演義だけで育った者ですからよくわかりません。
>まぁ85万もいてたった数万の兵に負けるってのはあり得ませんからたぶんウソだと思います。
>演義の場合は黄巾族を討伐したときなんと30万の兵を手に入れたそうなのでさらに河北のエンしょう、ヨウ棒、長安のリカクなどを討伐して85万までいったのでしょうか?
>誰か教えて下さい。
>(文法や質問が初歩的でスイマセン)
こんにちわ。
百万人となっているのは、おっしゃるとおり『三国演義』でのことですね。
『三国演義』「第四十二回:張翼徳大鬧長板橋、劉豫州敗走漢津」では
一面計點馬歩水軍共八十三萬、詐稱一百萬、水陸並進、船騎雙行、沿江而來。
となっており、総勢八十三万で、百万と詐称しています。
創作上の話とはいえ八十三万の元ネタはあるようで『三国志』呉書呉主伝の注に引く『江表伝』に載る孫権に与えた曹操の書に
近者奉辭伐罪、旄麾南指、劉N束手。今治水軍八十萬衆方與將軍會獵於呉。
と水軍八十万衆を動員できると書かれています。
それに対し、『三国志』呉書周瑜伝の注に引く『江表伝』での周瑜が言ったこととして
諸人徒見操書、言水歩八十萬、而各恐懾、不復料其虚實、便開此議、甚無謂也。今以實校之、彼所將中國人、不過十五六萬、且軍已久疲、所得表衆、亦極七八萬耳、尚懷狐疑。
とあり、曹操の軍で元の兵数が十五、六万を過ぎず、劉表の衆からが七、八万だと周瑜は見ていますね。
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