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不居見(いずみ)と申します。
以前から拝読させていただいておりましたが、本日初めて書き込みさせていただきます。
自己紹介は専用のスレッドがあるようなので、改めてそちらに書かせていただくとして、早速質問させていただきます。
先日、調べものでネット上の後漢書訳を当たっておりました。その中の沖帝紀で、注に「沖」は幼くして帝位に就くこと、また夭逝することとありました。
「沖」と聞いて真っ先に思い至ったのは、曹操の息子にして聡明ながら13歳で亡くなった曹沖のことです。13歳ですから夭逝の範疇に入ると思います。
まさに名は体を表すといったところですが、同時に当然の疑問も湧いてきます。
なぜ、こんな不吉な文字を名前に付けたのか?ということです。
沖帝の「沖」は諡ですから、死後に贈られたものだとわかりますが、曹沖の場合は
諱ですよね。
知らずに付けたとも考えられますが、あの読書家曹操(←ただのイメージでしょうか?)のことですから、そんなはずもないでしょうし、仮にそうであっても、側近の誰か一人くらいは気付いても良さそうなものです。
「沖」が諡では?とも考えましたが、「哀」という正式な諡がありますので、これも可能性は低そうです。
もちろん、他に良い意味があるとか、「冲(にすい)」の間違いであるとか、死後に改名させられたという可能性も考えられるとは思いますが、色々と愚考した結果、一つの仮説を立てました。
字は成人してから付けるものだったと聞きますが、これと同様に、諱も成人してから付けるものだったのではないのか?ということです。(もし、当然の事実であればごめんなさい)
どうぞ、皆様のお考えや、その他の事例などありましたらご教授ください。
宜しくお願いします。
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