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はじめまして。巫俊(ふしゅん)です。
自己紹介すると、私は横山光輝のマンガとKOEIの三國志シリーズ(戦略ゲームの方)、宮城谷昌光の正史を称する中国史小説からこの世界に深入りしました。
大の歴史ファン、正史ファンでしたし、そうして白川静という中国古代文化史、文学史の大家の著作に触れ、人類社会の行く末や命運について「環境」「地域」「民族」といった分野別の考察によって考える文化人類学という学問について関心を持つようになります。
ペットボトルのリサイクルとか、自分の住む地域のこと、海外での民族浄化、そういったものはニュースによって私たち市民のもとに届けられているので、momoさんも地球上にそんな問題があることは知っておられるんじゃないかと思います。
でもリサイクルとか地域の住環境、海外での抑圧された悲惨な人たちのニュースが、どうして『三国志』を読むこと、『三国志』を知ることに関わってくるのか、分からないかもしれません。
それはさておいて、三国志ファンという人たちについて一言。
三国志ファンは演義ファン/正史ファンと大別されることがありますが、私は内面ファン/外面(ビジュアル)ファンと大別した方が現在の状態を表現するのに適切ではないかと思っています。
一般に演義ファンと正史ファンの確執や違いが取り上げられることが多いですが、それは文学小説と歴史史実が対峙していた「読書時代」の状態を表現する言葉であったと思います。
昨今の三国志ゲームは創作性がつよく、それは伝統的な演劇、講談の系統にある三国志小説とは立場を異にしていると思います。
ビジュアル系の美少年や美少女にときめく男女の新しいファンにとっては、演義という言葉にも「物語」以上の意味を汲み取らないでしょうし、演義が正史と異なるということにも気を払わないと思います。
さて、今では三国志の主人公たちは美男子であったようにビジュアル演出されている訳ですが、中国史を通観してすぐに気付くことは、中国の古代にあって欧米風(現代風)の顔立ちや身のこなしの人は少数であったし、中国風のどさっとしたスカートを穿いていて、しもぶくれの顔、しかも太っていることが富貴ある男女の美徳でした!
そのことは当時の壁画などから読み取れます。
ある意味、美的感覚は今よりずっと自由であったともいえ、極端な言い方ですが古代中国で私たちの現代社会が規定するイケメンを探すのは動物園でイケメンを探すようなもの。絶望的とはいえないが期待しない方がいい、そんなものであると思います。
という訳で、イケメンや萌え(だけ!)が好きな男女が真面目に正史を考察するのはどうあってもおかしい、何の利益もない。。
三国志の有名武将の多くがイケメンであったと信じられているとすれば、それは犯罪的な詐欺であると思います。
長い一言でした。。。
まだまだ書くことあるんですけど、誤作動で文章消してしまったんで後日にします。
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