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・「自己紹介ツリーが長くなって・・・。」のスレのレスを書くつもりだったんですが、途中で文章の内容が膨らんだので、こちらのスレでのレスに代えさせて頂きます。
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momoさんが女性だから・・・かどうかはまったく分かりませんが、今の状態は(ポジティブな意味で)やや特異なものになっていると思います。
私流の解釈では、「女性」の三国志ファンであるという「マイノリティ」意識がmomoさんの立場に強く顕れているので、それをはねのけようという奮いがmomoさんにはあるのだと思います。
人は逆境にあるときこそ成長出来ると云います。
私も何人か女性の三国志ファンを知っていますが、その人たちに由る三国志の考察や感想に「女性だから、私はこう思う」といった女性特有の他の男性とは異なる性格を感じたことはあんまり無いんです。
しいていえば結婚とか世子誕生とかの類の親縁関係の考察では、女性らしさの感が前面に出てくるかなと思うんですが、他はさっぱり。
文化人類学ではジェンダーとsexという言葉を使います。
ジェンダーは文化的に創出された男女の性格の違いを、sexは生物的に創出された男女の性格の違いを指していて、文化的なものと生物なものを峻別することの大切さを説いているんです。
個人には固有の価値がある、これは民主主義が掲げる思想のひとつです。
しかし私たちの社会では「男性」「女性」ならぬ「男制」「女制」という拘束が加えられています。
主に加えてくるのは「世間」という不透明な存在、はねかえそうとするのは個人という確かな存在です。
個人というのは実に不思議に出来ていて、だから人間関係というものが面白いのだと思いますが、
「男性」や「女性」といった立場の違いを前面に出さないで男女が会話している場合、ほかの共通の価値を用意して会話するということになります。
例えばこの掲示板であれば、三国志の具体的な質問が「共通の話題」ですね。
「共通の話題」が既に成立している場合、実はもう自分が男であるか女であるかということは「ささいなこと」として捨て置かれることが多いです。
そうやって話していると、性差の違いの認識が鈍感になっていきますし、実際あまり区別がつきません。
やはり会話の中で女言葉を使ったりして「男性」「女性」の違いを前面に出さないと分からないのです。
というわけでこの掲示板で話している限り、少数派的な意識は持たなくても大丈夫だと思います。
むしろ私は意図的に「自分は女性」とmomoさんがおっしゃることでの問題提起というか、新しい交流に関心があります。
一方、momoさんの所属する実社会では依然として「女性なのに三国志ファン」であるというねじれた感覚、おかしげな感覚がもたげてくると思います。
それは実社会では世間体というものが存在しているので、「不穏な異分子」である「男でありながら女」「女でありなが男」という両属性に警戒感があるのだと思います。それは男制、女制というものがあるからです。
では何故警戒されるかというと、男制、女制を犯すことで利益を損ねる人が沢山いるからです。
利益を損ねる人というのは三国志ファンとは縁もゆかりもない人たちです。
彼らは三国志という趣味には関心がなく、ただmomoさんの三国志趣味が契機になって男制、女制が崩れることを怖れているのです。
というのが私が男制、女制の社会で苦しみ、そして歴史学を学んで克服しようとしている態度であります。^^
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