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▼清岡美津夫さん:
>私の知っている限り、碧眼は史書では見られず、三国演義で見られます。
>「第二十九回 小霸王怒斬于吉 碧眼兒坐領江東」といった感じで、タイトルになるぐらいですね。
>史書では三国志呉書呉主伝の注に引く江表伝で、目に「精光」があると書かれてます。キラキラした目?(笑)
>参考:http://cte.main.jp/sunshi/w/w030518.html#kao
>例によって三国演義での碧眼はさらに文献を辿れるかどうか不明です。
おはようございます。
早速のお答え、ありがとうございます。
今ふと思ったのですが、演義が元ネタということは、
碧眼児というのも羅貫中の悪意なんではないでしょうか?
羅貫中の時代は、元末明初で、いわば漢民族や儒者たちが迫害されてた時代ですから。
劉備を儒者に仕立て上げて、曹操は敵役で、孫権は異人という感じで……。
羅貫中がどういう意図で書いたのかはわからんですが、やはり蜀漢が主人公って感じですよね。
でも自分の想像の世界ですから、眉唾物として聞いておくんさい。
>あと、紫髯は三国志呉書呉主伝の注に引く獻帝春秋にでてきます。
>張遼が呉の降った人に問うセリフ中で
>「向有紫髯將軍、長上短下、便馬善射、是誰?」
>と出てきます。「あの紫髯の将軍(中略)、誰?」ってな感じ。
>訳本をみると、「赤い髭」って訳されるんですが、これは何か参考文献みたいなのあるんでしょうかね。
>日本で「緑の黒髪」というような感じで、当時の中国の慣用表現なんでしょうかね。
中国の色の概念にも、興味ありますね。
紫でも、赤色が混じってると、みんな「赤」だとか。
>話がずれるんですが、「美姿顔」(三国志呉書孫破虜討逆伝)と評された孫策と比べたら、他の兄弟は色あせてしまいますね(笑)
>まだ、「容貌不凡」(三国志呉書孫破虜討逆伝の注に引く韋昭撰呉書)の孫堅の方が似てたんでしょうかね。
正史では、それほど悪意は感じられませんが……。
たしか、井波律子著『三国志演義』(岩波新書)でしたか、華雄を討ったのを関羽の手柄にしたり、孫堅が伝国の玉璽を隠して天罰が下ったり、孫策が干吉に呪い殺されたり、関羽を捕まえて孫権が大喜びしたなどなど、孫呉に対する悪意だらけのようです。
演義と吉川三国志が面白くて日本人に定着してしまった感じですけど、曹操も評価高まってますし、孫呉好きの方々にも羅貫中に負けずに、孫呉の魅力と正当な評価を広めていってもらいたいです。
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