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清岡さんが仰るように「衵服=女性の肌着」のようです(漢字源に載ってました)。
ところで、その『春秋左氏伝』宣九年の記述ですが、内容的に(訳じゃないです)、
(陳の霊公とその臣下である孔寧と儀行父は夏姫という一人の女性とそれぞれ浮気をしていて)朝廷で三人は中に着ていた夏姫の衵服を見せ合って戯れた。
という感じなので、男性が着られて・簡単に見せられるような・肌着=現在の(?)着物でいう襦袢のようなものではないか思います。
三国時代よりずっと後の話になりますが、宋の頃にはブラジャーにあたる胸当てが存在していたようです。
また、明代になってショーツ(パンティという方がいいのかな)に当たるものが登場したようです。その少し前はゆったりとしたズボンのようなものをはいていたとか。
三国時代からは千年以上後の話なので「三国時代の下着」ではありませんね。少なくともパンティは存在しなかったようですが。
ただ日本の場合、江戸時代の日本女性の下着は「ブラジャー=さらし、パンティ=腰巻」だったということを考えれば、三国時代の女性に下着はこちらに近かったのではないかという期がします。
下着について書かれている文献は滅多にないそうです。当たり前のことなのでわざわざ記録に残そうとは思わなかったとか。
…などと書いているうちに、
上海に古代女性用下着の博物館が建設されるという記事を見つけました(googleあたりで検索してみて下さい)。下着の博物館とは…ちょっとびっくりです(笑)
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