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▼ゆららさん:
>清岡さんが仰るように「衵服=女性の肌着」のようです(漢字源に載ってました)。
>ところで、その『春秋左氏伝』宣九年の記述ですが、内容的に(訳じゃないです)、
>(陳の霊公とその臣下である孔寧と儀行父は夏姫という一人の女性とそれぞれ浮気をしていて)朝廷で三人は中に着ていた夏姫の衵服を見せ合って戯れた。
>という感じなので、男性が着られて・簡単に見せられるような・肌着=現在の(?)着物でいう襦袢のようなものではないか思います。
おー、そういう状況だったのですね、衵服が史書ででてくる状況って。
教えてくださりありがとうございます。
この書き込みの話を見たとき、私の頭の中のイメージがなぜか、現在の下着をつけた三人でした(笑)
>下着について書かれている文献は滅多にないそうです。当たり前のことなのでわざわざ記録に残そうとは思わなかったとか。
>…などと書いているうちに、
>上海に古代女性用下着の博物館が建設されるという記事を見つけました(googleあたりで検索してみて下さい)。下着の博物館とは…ちょっとびっくりです(笑)
「上海 古代女性用下着 博物館」で検索かけたら、出てきますね! 驚きです。
一言、古代っていうと素人考えで資料が残ってそうにないのですが、それでも展示できるほどの量があるなんてびっくりです。
それに今年8月に「古代下着研究の専門書」がでるってのも驚きです。
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