|
▼班固さん:
>はじめまして。
>突然ですが、何故曹操や孫権は後漢朝廷の味方をしたのでしょう?一国の主を目指して戦う豪族の頭が、黄巾の乱によって弱っている漢朝廷を、流れに乗じて倒してしまおうと考えたりしないものでしょうか?
「後漢朝廷を味方にした」というよりも、そもそも敵味方の区別はしていなかったと思います。彼らはこの世に生を受け、混乱した社会の有様を直視し、理想の社会づくりを目指して、自ら世直し運動を実践していったのだと思います。
為政者に国を治める力が不足していれば、力のあるものが代わりに行うべきだと思います。しかし、そのとき必ずしも新たな王朝を建てる必要はなく、落ちた権威を回復させて為政者を補佐することでも、世直し運動の実践になります。
また、後漢王朝は、政治を補佐する立場の人間がその責任をまっとうしなかったために、社会秩序を維持することができなくなり、政権者として弱ってしまいました。このような状態にあるとき、曹操や孫権らが「後漢を立て直す」のではなく「後漢を倒す」ことを考えていたとしたら、政治を補佐する立場にあってその責任をまっとうしなかったヤカラよりも悪人とみなされてしまいます。
曹操や孫権は皇帝になりたかったのではなく、混乱した世の中を元に戻したい、あるいは、より理想な世の中にしたい、と考えていたのだと思います。曹操が生涯を通じて漢の臣であることにこだわり続けたこと、孫権が魏・蜀に続いてすぐさま皇帝を名乗らなかったこと、それを考えると三国志が単なる国取りゲームではなかったのだと改めて実感できると思います。
|
|