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▼班固さん:
>はじめまして。
>突然ですが、何故曹操や孫権は後漢朝廷の味方をしたのでしょう?一国の主を目指して戦う豪族の頭が、黄巾の乱によって弱っている漢朝廷を、流れに乗じて倒してしまおうと考えたりしないものでしょうか?
曹操や孫堅はその当時はまだまだ弱小や零細と言って良いくらいの実力しか持っていませんでした。
曹操は袁紹の配下の一武将でしかありませんし孫堅に至ってたは前線投入されるだけの使い捨てのコマ程度の勢力です。
それなりにバックボーンのある身分で袁紹や袁術という名門の大姓で多少の憚りをもっていたのが実情です。
いくら形骸化しているとはいっても皇帝を擁立していて戦うには官軍として旗を持つことが出来、反逆者は賊軍としての汚名を被らないといけないのはもとより配下の豪族とかの離反を招くことを覚悟しないといけないのです。
あの袁紹でさえ献帝を曹操が自軍に引き入れて官軍の名乗った時に自分の勢力に近いところに移すように曹操に持ちかけています(奪うために)
袁術に至っては雷薄・周喩・魯粛・陳珪・孫策などといったメンバーが皇帝を名乗る前後から離反したり招きに応じなかったりしています。
それらのことを考えると非常にハイリスクなことだといえるのではないでしょうか
実際、曹操も魏を建国してからも何回も造反されてますし…
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