|
> 何故曹操や孫権は後漢朝廷の味方をしたのでしょう?一国の主を目指して戦う豪族の頭が、黄巾の乱によって弱っている漢朝廷を、流れに乗じて倒してしまおうと考えたりしないものでしょうか?
その最大の理由は当時の世論にあるでしょうね。
後漢時代は儒学を中心とした学問が盛んになった時代なのですが、後漢朝は光武帝のころより学問が自身の正統性を裏付けるものとなるように画策してきました。
後漢時代も半ばになると官僚を輩出する一族が力を持つようになりますし、官僚には学問を修めたことが求められましたから、当時の有力者の大半が後漢を正統とする思想に多かれ少なかれ染まっていたと思われます。
それでなくとも劉氏は400年にわたって帝位を守ってきた特別な一族ですから、人々に愛着をもたれていたでしょうし、帝位にあるのが当たり前と考えられていたのではないでしょうか。
そのため、時勢に聡い人々にとっては漢朝が立ちゆかなくなっているのが自明であっても、世間にはなかなか認められませんでした。
ペテン師さんのおっしゃるように、漢朝に取って代わることを明確にしめした袁術はあっという間に破滅しましたし。
たとえが悪いかもしれませんが、裸の王様のような状態といったところでしょうか。
そのような状況状態であるがゆえに、群雄たちは口々に「漢を輔(たす)ける」と主張したのです。
何しろ、口で言うだけならタダですからね。
もっとも、袁紹はそこで明確な姿勢を打ち出せなかったことが、曹操に足下を掬われる要因の一つとなりましたが……。
#自分のようにねじ曲がった性格をしていると、こんな風に受けとっちゃいますねぇ……。
|
|