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どうも、ジョージ真壁です。
こちらの話題にそぐわないかもしれませんが、『横山三国志』に
ついての思い出などを私も語らせて頂こうと思います。
『横山三国志』は、新聞によると、累計七千万部も売れたそうで、
この作品が「三国志」の普及にどれほど貢献したかということを、
改めて認識させられました。かく言う私も、三国志初体験こそ
この作品ではなかったものの、この作品が私に与えた影響は非常に
大きいです。中学生時代には、「だまらっしゃい!」「それ舞わんかな♪」
などといった、『横山三国志』独特のセリフが、自分の中では密かに
ブームになっていました。友人達と学校で、帚を武器に、一騎打ちを
やらかしたことが懐かしく思い出されます。騎馬で戦いたいなら、
コマありの自転車に乗って戦うのがオススメです。騎馬一騎打ちの
雰囲気が、ちょっとだけ掴めます。
いきなりですが、『横山三国志』には、残念な点が幾つかありました。
まず一つ目ですが、「官渡の戦い周辺の話が、ほとんど描かれていないこと」
です。
これは、横山先生本人が、何かの本で語っていらっしゃいましたが、
「掲載紙の廃刊騒動などのゴタゴタがあって、都合により省略せねば
ならなくなった」そうで、魅力的な横山曹操の、「官渡」周辺での
活躍がほとんど見られなかったことは、まったく残念なことであります。
後にアニメ化された際には、ファンの働きかけもあってか(?)、
「官渡の戦い」がちゃんとやっていたのを見た時は、感動しました。
一話分の三十分間という短さで、しかも諸葛亮もまで、サービスで
登場するという慌ただしさでしたが、あの『横山光輝アニメ三国志』
の話の中では、最高の出来だったように私には思われました。
たった三十分の間に、沮授・田豊が退けられ、郭図・逢紀が可愛がられ、
荀攸が知謀の冴えを見せ、許攸は逃げ、曹操は決断し、夏侯惇は暴れる、
という盛りだくさんな内容で、かなり満足のいく内容でした。
欲を言えば、前後編でしっかりと袁紹一族の滅亡までをやってほしかった
のですが、放映当時の時代を考えれば、「官渡」をしっかりやってくれた
だけでもマシなのかもしれません。
ただ、アニメでは、曹操VSカクの策略合戦や、テンイの死など、
『横山三国志』屈指の名場面がことごとくカットされていたのには、
ガックリきました。
マンガ『横山三国志』で、
もうひとつ残念だったのが、曹操配下の参謀達の書き分けを、ちゃんと
していなかったことです。諸葛亮の登場までは、「話の流れを読者に
掴んでもらう」ことを重視していたせいか、曹操の参謀達はテキトーな
扱いになっています。「二虎競食」「駆虎呑狼」の計略を曹操に説いて
いた、なかなか切れ者風な人が荀イクかと思っていたら、別の変な顔を
した参謀が実は荀イクだったので、思わず「こ、これが荀イクかよ〜!」
と叫んでしまいました。切れ者風の人と同場面で出てきたので、「その時は
たまたま変な顔になっていたのだ」という、ありがちな解釈では説明を
つけられません。では、郭嘉か?とも思いましたが、これまた別の場面で
ガタイのいい郭嘉が登場したので、郭嘉でもありませんでした。この
横山郭嘉は、見た目は頑健そのもので、とても風土病などになりそうもない
のもポイントです。では、荀攸か?となりますが、これも違うし、
程イクは、珍しく、ちゃんと書き分けられていたので、これもまったく
別人です。今、私は、「彼こそが、戯志才だったのだ」と一人で勝手に
納得しています。最初は登場していたのに、後から消えたのも、その
証拠と言えます。
『横山三国志』発表当時は、「三国志」がこれほどブームになって、
登場人物一人一人の個性がクローズアップされるなんてことは予想
されていなかったでしょうから、仕方ないといえば仕方ないですが、
これがしっかりしていれば、もっとファンの評価が高まったのに、
と思うと残念ではあります。
ということで、まだまだ懐かしい思い出は、いっぱいありますが、
今回は、このへんで終わります。
改めて、横山光輝先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。
ジョージ真壁
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