|
MM3さん、仁雛さん、素早いレスありがとうございました。
お返事が遅れて申し訳ありません。
▼MM2さん:
>>魏景初中,拜散騎常侍,累遷中護軍.(『晋書』景帝紀)
>ここは散騎侍郎の誤りではないかと思います。
>司馬師は青龍年間(233-237)に妻夏侯氏を亡くし、次に呉質の娘を娶るも離婚し、更に羊氏を娶ったようです。
>このあたりの私生活のトラブルで一旦辞職していたのかもしれません。
記録の誤りということも考慮すべきなのですね。
そして、30歳起家については、そのくらいの年齢から出仕するという慣例もあったのかなあ・・・などとも想像していたのですが(「九品官人法の研究」で南朝の名門は初任官が遅かったというよーな記述もあったような気がしまして・・・うろ覚えです。汗)、家庭のことも関わってくるのですね。
▼仁雛さん:
>大庭脩『秦漢法制史の研究』創文社「第七章 漢代官吏の勤務と休暇」
>尹湾漢墓(前漢末東海郡功曹史の墓)から出土した竹簡
>高村武幸さんの「秦漢代地方官吏の『日記』について」『古代文化』54-9、2002年
沢山の文献の紹介ありがとうございます!
大庭脩『秦漢法制史の研究』七章を読んでからレスをしようかと思ったのですが、近くの公共図書館に所蔵されておらず、時間がかかりそうなので、ひとまずお礼のみのレスです。すみません。
ありがとうございました。
他の方も、小さなことでも一言ありましたら引き続きお教えください。
|
|