|
ひきつづき青木です。
2の質問については、以前の質問にレスを用意していたので、せっかくなので書き込みます。
東洋文庫『中国社会風俗史』の28章「官吏の生活」によると
漢の万石君の長男や鄭当時が「5日ごとの洗沐」に帰省して父に会い、友人を訪問したという記事が「史記」や「漢書」に見える(注・「史記」万石君伝「漢書」鄭当時伝、日者伝)。洗沐は休沐ともいって、髪を洗う名目で役所から出て、一日休息することである。昔の官吏は、いったん役所に入ると、昼夜その中で寝食して、5日目の洗沐に始めて外出したのである。
〜〜 中略 〜〜
漢では、冬至と夏至が休日になっているが、薛宣が、その当日も出勤している一官吏に「今日は昔からの公休日であるから、家族も待ちわびていることであろうし、仕事が残っていても、早く家に帰って妻子と酒肴を楽しみ、近所の人とも遊べ」(注・「漢書」薛宣伝)と諭しておるのをみると、漢の祝日は1日だけである。
とありました。(ただ、私自身が原典すべてを確認してはいません。)
これからすると、官吏は大半の時間を役所に暮らし、その家族は役所の近くに住む場合が多いようです。
このほか情報お待ちいたします。
|
|