|
こんにちは。
> 「称える」というのは、具体的には何を言うのでしょう? 名前を呼ぶということ? それとも祝辞や弔辞みたいに、褒め称えるのでしょうかね?
具体的にはよく分かりません。原文は「賛」で、この記述の直前には、
>>皇帝が諸侯王・列侯に謁見するため起立するときには侍中が「皇帝が諸侯王・列侯のおん為にお立ちあそばされる!(皇帝為諸侯王・列侯起)」と称え、起立したあと着座する。太常が賛をして「謹んで御礼申し上げます(謹謝行礼)」と言う。皇帝がお出ましのときには丞相が出迎え、謁者が賛をして「皇帝が丞相のおん為に御輿からお降りになる(皇帝為丞相下輿)」と言い、立ち上がって車に乗る。皇帝が丞相に謁見するため起立するときには謁者が賛称して「皇帝が丞相のおん為にお立ちあそばされる(皇帝為丞相起)」と言い、起立してから着座する。太常が賛称して「謹んで御礼申し上げます(敬謝行礼)」と言う。宴席で謁見するときの侍中・常侍の賛は、御史大夫が皇帝に拝謁する場合は「謹謝」と称し、将軍が皇帝に拝謁する場合は「謝」と称し、中二千石が皇帝に拝謁する場合は「謝」と称し、二千石が皇帝に拝謁する場合は「制曰可」と称し、太守が皇帝に拝謁する場合は「謝」と称する。
とあり、続けて御史大夫を丞相に任命する場合の手続きを綴っています。「称」と「賛」の使い分けがないまぜになっているような感じですが、皇帝が何らかの行動をしたのに対し、臣下が感謝の意を表すという一連の手続きのことでしょう。
原文はこちら。
http://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hk6.htm
> また、この儀式はいずれも朝堂で百官の前で繰り広げられるのでしょうか?
そういうことだと思います。
>三公の場合に「六百石以上はすべて」と記されるからには、それ以下の官のときは、もっと少ない参列者(?)で行われたということですか…?
六百石以上が集められたとする記録は、三公について書かれた文の途中にあるものですから、九卿以下については分かりません。が、もっと簡略だったかと思います。
> 太守も県令も、中央で任命され、都で印綬を渡されて赴任する…ですよね? 県丞は、県令が任命するんでしょうか?
はっきりとは明示されてませんが、『後漢書』百官志の書きぶりでは、県丞・県尉までが中央からの赴任、県の属官が現地採用のようです。県の属官については郡に準ずる、郡の属官については公に準ずるとあり、太尉の属官は各自の判断において任命されるとあります。県丞・県尉は「命卿三人」「命卿二人」と呼ばれ、属官とは別格の扱いになっているようですので、中央から直接派遣されたものでしょう(劉備とか、孫堅とか…)。
|
|