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2chでこんなの見つけましたヨ。信憑性はどうかと思いますけど
(゚∀゚)=3なネタだったんでコピペさせてもらいます。
このネタ本「荊南諸雄記」自体嘘だったらゴメンナサイ・・・
(検索しても全くヒットしないのですよ〜)
以上のことを踏まえた上でドゾ
■荊南諸雄記の馬良たちの兄弟についての記述
「荊南諸雄記」は、隋の時代に書かれた楚や荊の地方出身の殷〜隋の人物伝。
私家本であり、地方ナショナリズムで地元びいきの記述を多いため、全部を
鵜呑みにすることはできないが、馬氏の五常が全員出ている貴重な史料。
馬順
字は伯常。
特に際立った事跡は伝わっていないが、
蜀に仕え馬良をよく補佐して過ちがなかったという。
武陵郡五渓の異民族と連絡を取り、
これを常々蜀に味方するように慰撫してきたのは
本来は馬順の功績であったが
劉備の呉への復讐戦を前に死亡したため、馬良に引き継がれた。
馬統
字は仲常。
狩猟や楽曲を好み学問を嫌ったため、
才子の多い馬氏の中では評価は高くなかったが、
軍務を司っては剛毅にして果断。
魏に仕えて江夏太守となり、呉への侵攻の機会を常に狙い
また魏領へ侵入してきた甘寧や徐盛などの軍を追い返して武功を挙げた。
曹仁の家人が略奪を働いたためこれを厳しく罰したが、
その結果、曹仁との中が険悪になったため、
軍務を離れて若くして農耕と詩作の隠遁生活に入り余生を送った。
馬安仁
字は叔常。
陽気で開放的な性格で、周囲の人々に愛された。
詩や議論、剣術を好み、荊州の文化人の間でも馬良に次いで盛名が高かった。
仕官を望まず曹操や劉備の召し出しを断っていたが、
馬順を失った馬良の頼みでその補佐官の地位につき、
馬良が倒れたのちもその亡骸の傍らに立って、呉の兵を
斬りまくったのち、自らの首を切って自決した。
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