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どうも、真壁です。
御意見、どうもありがとうございました。
より御存知の方には、笑われてしまうかもしれませんが、私の知っている範囲
で、趙子龍について書いてみました。
趙子龍は、実際のところはどうだったのかは想像するしかありませんが、
個人的な武勇が優れていたと感じさせられるようなエピソードがあまりないので、
そのあたりで、呂布や関羽張飛、テンイ・チョチョに比べて、低く評価せざるを
得ないところです。小説などでは、大活躍し、人気者の彼ですが、史書を読むに、
どうにも地味な武将です。個人的武勇を示すものとしては、せいぜい、あの有名な
「子龍は一身すべてこれ胆なり」のエピソードが、光るぐらいで。
蜀でも、どうも忘れられかけてたような感もありますし、実際、そういう説を
唱える人もいました。
関羽張飛の名は、他の陣営の人からも何度も名前が出て、かなり有名人だったことが
うかがえますが、趙雲の名前が、他陣営で語られたような記録は見当たりません。
小説などでは、「五虎将軍」と言われて、関羽・張飛・馬超・黄忠と同列に扱われる
趙雲ですが、史書ではそのような役職はなく、劉備が漢中王になった際に、前将軍に
関羽・右将軍に張飛・左将軍に馬超・後将軍に黄忠が任命されましたが、趙雲は
格下扱いです。
地味だが、確実に誠実にコツコツと仕事を積み重ねてきた人、というのが、
史書に見える「趙雲」像でしょうか。地味だが、しっかり仕事をしてきたこの
人の業績を過小評価することなく、関羽・張飛・馬超・黄忠ら四将軍と一緒に
まとめて記述編纂したのは、正史『三国志』作者の陳寿の見識と呼べるものかと
思います。
ということで、趙子龍は、私の認識ではこんな感じです。
もちろん、もっと詳しい方なら、違う認識を持たれている可能性もあります。
同じように、小説などでは個人的武勇に優れる猛将なのに、史書では意外と
ショボい奴等が結構います。それについてもサラリと触れておきます。
まずは夏侯惇。小説などでは、劉備陣営の猛者たちと一騎討ちしたりして、
曹操配下を代表する猛将といえますが、史書での印象は、まるで違います。
十四歳の時に、師匠をコケにした奴を叩き殺したまでは良かったが、あとは散々。
武将として、戦に勝った話はほとんど見えず、呂布軍にやられたり、劉備軍に
やられたりと、指揮官としてはボロボロ。さらには、敵にアッサリ捕まり人質に
なったり、流れ矢で、片目を失ったりと、個人的武勇に関しても、良い話は
一つもありません。どうにも、この人は戦上手というより、人格者として、
軍の重鎮だった感があります。内政や、人材登用(人間関係)などのエピソード
の方が光ってます。
次に馬超。小説では、言わずと知れた五虎将軍。
史書でも、強かったのは強かったでしょうが、ナンバー1候補にはなりえません。
馬騰軍武勇第一の座は、ホウトクに譲ってますし、キョチョに対してはビビッて
ます。さらに、韓遂配下の閻行には、一騎討ちで殺されかけており、これでは
とても、「最強の武将」とは言えません。
その他にも、色々といますが、今回はこのへんにしておきます。
また、御意見・御感想・御指摘等ございましたら、お聞かせ頂ければ幸いです。
ジョージ真壁
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