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知識レベルは正史に興味があってネットで調べてる程度のニワカです。
残念ながら素人レベルでは細かいところがわからなかったので詳しい方に質問させていただきたく参りました。
※「雑号」「将軍府」「開府」「給料」「俸禄」「俸給」らのキーワードで検索しました
今回の質問は、後漢末の将軍府についてです。
まず第一に、大将軍〜四征将軍までは開府できるとこちらにはあります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kanri01/rounk/shyumi/chu_shougun.html
問題はその下の雑号将軍らです。
朱然伝には偏将軍府の営下督の官に昇進とあるので、三国時代には確実に開府はされてるのですが後漢末がよくわからず困ってます。
Q1, 後漢末の雑号以下の将軍らは開府できたのか?
第二に開府できた場合の幕僚の人数(規模)と俸給です。
上のHPによると大将軍と驍騎将軍〜四征将軍らとは規模が違いますよね。
となると下位になると縮小される気がしますがその場合は誰が残るのでしょうか。
Q2、(雑号将軍らが)開府できた場合の幕僚にいる役職は何か
最後に将軍府の俸給についてです。(わりと基本的すぎる質問かもしれませんが)
後漢書光武帝紀の李賢注や後漢書百官志から見るに、給料は毎月金銭(後漢末から三国はインフレしちゃうので絹と思いますが)と穀物を半分(か割合は変化したか)ずつもらっていたと思うのです。
問題はどこで誰が渡すのかがピンとこないのです。
Q3、将軍幕僚の俸給は誰がどこで出すのか(将軍個人であつめた人事なので自腹なのか、派遣先の辺境へいってるなら最寄の兵站所になっている太守とかが一時的に肩代わり?)
Q4、Q3に続いてそもそも(官吏の)俸給一般はどこで誰がどのタイミングで渡してるのか
以上です。よろしくお願いします。
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