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【2568】甘寧 kannnei 2006/10/27(金) 10:22

【2573】Re:甘寧 清岡美津夫 2006/10/27(金) 19:47 多分…
┣ 【2574】どうでもよい補足ですが 青木朋 2006/10/28(土) 4:07
┃┗ 【2575】げぇふん! 清岡美津夫 2006/10/28(土) 9:37
┗ 【2599】Re:甘寧 bunaziua 2006/11/23(木) 21:11 多分…

【2573】Re:甘寧
多分…  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/10/27(金) 19:47 -

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   では私も先人に習ってネタに走って…

独自の情報網を駆使し甘寧について調査した結果、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1047_20130.html
↑なんと甘寧は呉王と尊称され、水路の守護神としてあがめまつられているそうですよ!

【2574】どうでもよい補足ですが
 青木朋 WEB  - 2006/10/28(土) 4:07 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1047_20130.html
>↑なんと甘寧は呉王と尊称され、水路の守護神としてあがめまつられているそうですよ!

太宰治『竹青―新曲聊斎志異―』の元ネタは、清初の志怪小説・蒲松齢『聊斎志異』「竹青」です。
平凡社版『聊斎志異』によると呉王廟は、
甘寧を祀った廟で、漢江の近くにあり、江を往来する舟が酒肴を供えた。廟の森には数百羽の烏がいて、舟人たちは烏を呉王の使者とした。
・・・そうです。
『演義』第八十三回で甘寧は、
夷陵の戦に病気を押して参加し、沙摩柯の放った矢を受け富池口の大樹の元で死にますが、甘寧の屍を守るように数百羽の烏が周りを囲んだ
・・・ということになっていて、呉王廟の伝承と関連付けられています。
甘寧廟が呉王廟に格上げされたのは宋代らしいです。

ところで、この呉王廟は現存するんでしょうかね? ざっとネットで調べたものの分かりませんでした。

【2575】げぇふん!
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/10/28(土) 9:37 -

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   「独自の情報網を駆使し」とか仰々しいことを書いておいて「すべて」どころか端的な情報しかわからなかった(書いていない)という思いつきネタだったんですよー(笑)
でも、ネタつぶされた、って思い以外にも、や〜い、ひっかかったぁ、って思いがなきにしもあらずです(笑)
どうもリアクション、それから詳しい説明(あった方が閲覧者に優しいですし)、ありがとうございます〜

>ところで、この呉王廟は現存するんでしょうかね? ざっとネットで調べたものの分かりませんでした。

私も聞いたことないですね。
というわけで引き続き(?)目撃情報をお待ちしております。

【2599】Re:甘寧
多分…  bunaziua  - 2006/11/23(木) 21:11 -

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   こんばんは、bunaziuaといいます。

宋代の詩人・陸游の「入蜀記」(東洋文庫463)の139ページに昭勇廟(=甘寧廟)の記述があります。それによれば、甘寧は確かに「王」に出世してます。「・・岳飛が宣撫使となり、祠堂を大修復したので、長江のほとりの神祠でこれに及ぶものはない・・」云々。とにかく当時大変賑わっていた廟だったことは間違いなさそうです。

場所は現在の湖北省陽新県富池鎮。今は甘寧公園などの大テーマパークとなっているそうです。詳しくは三劉様のホームページ:
http://kankouha.cool.ne.jp/
ファンの方は実地検分されてみては? ただし甘寧廟は現存していないようです。

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