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【2288】当時の豪族についての概念について 2006/4/15(土) 13:18 教えて

【2296】Re:ありがとうございました。 2006/4/18(火) 16:31
┣ 【2297】豪族と群雄 巫俊(ふしゅん) 2006/4/21(金) 8:51 お答え
┃┗ 【2298】Re:豪族と群雄 巫俊(ふしゅん) 2006/4/21(金) 9:22 追記
┗ 【2308】Re:ありがとうございました。 SILVA 2006/5/2(火) 9:59

【2296】Re:ありがとうございました。
   - 2006/4/18(火) 16:31 -

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   ▼SILVAさん、ありがとうございました。


 私の表現の仕方が拙かったですね…。誤解を生む表記、本当に申し訳ありませんでした。
 そこで、教科書の内容を要約して、改めて愚問させていただきます。

1.後漢は章帝以降は幼帝が相次ぎ、ために外戚と宦官が台頭した。彼らは勢力争いをした
2.宦官は反対派官僚(恐らくは清流派のことでしょう)を追放した(党錮の禁)

3.一方、地方では勢力のあった豪族が儒学的教養を身に付け、「次の時代の支配階級」となった
4.こうして後漢の情勢は農村から変貌していった
5.豪族の台頭は農民を圧迫し、農民たちは太平道などの宗教結社へ参加、黄巾の乱が起き、「『豪族』の争いの中後漢は力を弱め」、220年滅亡した

 「6.」は蛇足ですが一応付記させて頂きます。

6.後漢末期の「群雄」による争いの中、華北では曹操が有力となり、その子曹丕が皇帝から位を奪った


 要するに、私は群雄割拠の時代を後漢末のイメージとしていた訳です。様々な書籍でも「後漢末の群雄のうちの一人、〜〜は…」という表記がされていて、「後漢末は群雄達があらそっていたんだ」という概念がありました。そこを「豪族」と言われた為、疑問に思い、(3.〜5.のあたりです)「豪族」と「群雄」て何の差があるのかと思った訳です。

ところで要約とは言え、教科書名を表記しなければならないのでしょうか?どなたかお答えいただければ幸いです。


>豪族というのは地元で飯が食える有力者程度の認識で良いのでは。
>教科書レベルでそこまで真剣に豪族を定義するとは思えません。


 史学だと、微妙な表記の違いから大きな誤解を生み出しますよね?(例えば「人民」「市民」「国民」の使い分け)私は教科書を追求する訳ではなく、「豪族」という表記に疑問を抱いた、ただそれだけなんです。別に教科書外でこう表記されてもここにて愚問したでしょう。くどいようですがただ単に私は「豪族」という言葉に疑問を持った、それだけなんです。教科書に突っ込みたいだけではなかったんです。現に私の愚問にお答えくださった方々の意見はもの凄く影響を受けました。私はそこを解きたかったのです。深く。三国志好きとして。しかしSILVAさんの意見も参考にさせて頂いております。

 身勝手を申しましたが、SILVAさんに大きな誤解を生ませてしまった私の不明も問わねばなりません。本当に申し訳ありませんでした。

 余談ですが私も先生に「豪族と群雄の差は?董卓は…曹操は…」なんて言ったら「世界史の中の後漢だから」と、あっさり言われました。よくよく考えればそうなんですよね。

【2297】豪族と群雄
お答え  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/4/21(金) 8:51 -

引用なし
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   教科書の名前を挙げるなら、何年に発行されたバージョンかも書いてくださいな。
最近の世界史の教科書ってオールカラーになっていて、はるかに平易になってるんですよね。
平易過ぎて中国史が分からないということもあるかもしれないですが。

黄巾の乱は農民反乱というだけでなく、知識人=豪族の子弟が参加していますし、
また清流派士大夫は豪族の出身です。
張角も曹操も董卓も、一応は知識人のはしくれらしいということで、等しく豪族の出身であるといえます。

> 史学だと、微妙な表記の違いから大きな誤解を生み出しますよね?(例えば「人民」「市民」「国民」の使い分け)私は教科書を追求する訳ではなく、「豪族」という表記に疑問を抱いた、ただそれだけなんです。別に教科書外でこう表記されてもここにて愚問したでしょう。くどいようですがただ単に私は「豪族」という言葉に疑問を持った、それだけなんです。教科書に突っ込みたいだけではなかったんです。

神聖な歴史学の教科書にツッコミをいれるとはトンでもない...
な〜んてことはまったくないですから、むしろ教科書は歴史を紐解くときの目次くらいに思っておいてください。
「国民」という言葉は近代用語ですし、
例えば「都市」という言葉も誤解をつくりやすい言葉です。

ある古代の遺跡について、
「都市」と呼べば都会っぽいイメージになり、
「ムラ」と呼べばひなびているイメージになってしまいます。
中国の「城」という言葉は、人の住んでいるところを都会か田舎かで区別せずに呼ぶことができるので便利ですね。
もっとも「城」というのは県城以上の規模に使われることが多く、それ以下の集落は「里」とか「村」とか呼ばれるのですが。
「村」という言葉の発生する時期についても、三国時代をはさんでいろいろ議論があるようです。

> 余談ですが私も先生に「豪族と群雄の差は?董卓は…曹操は…」なんて言ったら「世界史の中の後漢だから」と、あっさり言われました。よくよく考えればそうなんですよね。

長い歴史を授業することに忙殺されている先生は、ついそういってしまうんでしょうね。
後漢を豪族が滅ぼしたと説明するだけなら、それはちょっと違うんじゃないかと思いますよ。
アフガニスタンって今、後漢末みたいな乱世の状態になっていますよね?
アフガニスタンの首都カブールの政権は、地域の名望のある人たちによって支えられています。
軍閥出身だったりイスラム法学者だったりするんですが。とにかく有徳の人が地方選挙で議員になって政府に参加しています。
でも、タリバーンを滅ぼしたのは地方の有力者たちでしたっけ?
違いますよね。アメリカ軍に支援された北部の反タリバーン連合がタリバーンを滅ぼしました。

反タリバーン連合=三国志の群雄たち
地域の有力者=三国志の豪族

と考えてみては如何でしょうか?
豪族というのは、群雄の下部構造なんです。

【2298】Re:豪族と群雄
追記  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/4/21(金) 9:22 -

引用なし
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   後漢王朝を支えていたものは豪族

漢末の群雄たちを支えていたものは豪族

三国の王朝を支えていたものは豪族

豪族は土地を所有して富力があり、子弟を塾や大学で勉強させて知識人階層にする余裕がある人たちのことです。
ふつうは県より小さい単位の土地を所有する人たちのことですが、
中には土地をもっと沢山もっている人もいます。
それでも群雄のような規模ではありません。
漢末の群雄というのは、州刺史や郡太守といった官職を帯びて公式に州郡県を支配している人たちのことです。
平和な時代も、豪族は出世のために官職を得て地方官や中央官になっています。

後漢→三国→晋/五胡十六国→南朝/北朝と一貫して豪族が力をもっています。
といっても時代や世相が変化するたびに、豪族たちの仕組みも変容し続けているようです。

【2308】Re:ありがとうございました。
 SILVA WEB  - 2006/5/2(火) 9:59 -

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   いえいえ、私の理解力にも問題があるのでお気になさらず・・・

大雑把に言ってしまうと
豪族はある程度バックボーンを持った人のことかなぁと。実力者ですね。
で、群雄はリーダーシップを取れる人。あるいは求心力のある人かな?
<sage>

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