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お初にお目にかかります。
たまにお邪魔してはROMっていたのですが、
昔、気になって調べたことのある話題なので、
浅学ながら書き込ませて頂きます。
まず結論から言いますと当時の彼らの序列は以下になります。
1. 劉備
2. 関羽、張飛、馬超(全員同列)
以下、理由を順番に述べていきます。
まず下で清岡さんが仰っているように、この時代に
九品官人法(九品中正法)はまだ出来ていません。
この九品で官職の高低を示す制度は
曹丕が皇帝であった時代に陳羣が作った制度です。
後漢末期のこの時期には、
俸禄(給料のようなもの)で官職の高低を表していました。
次に「将軍」は当時は基本的に非常置(緊急時のみに置かれる)
の役職で、細かい規定は無く、
清岡さんが挙げている
大将軍(三公より上位)
驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍(三公と同等)
前将軍、後将軍、左将軍、右将軍(中二千石。九卿と同等。)
以外は全て「雑号将軍」といって
二千石で同格の将軍になります。
以上二点に従えば、
左将軍である劉備は中二千石で彼らより上位。
関羽、張飛、馬超は二千石で同格になります。
同じ雑号将軍でも由緒があって名誉とされる将軍号があったりして、
雑号将軍内でも微妙な順位の高低はあるようですが、
少なくともこの時点でのこの三人はほぼ同格です。
彼らが同格であることは、
後に劉備が漢中王に即位した時点で、
関羽が前将軍に、張飛が右将軍に、
馬超が左将軍に、そして黄忠が後将軍に
それぞれ同列の将軍位に昇進していることからも伺えます。
(それに馬超の平西将軍が劉備の左将軍より上なら、
馬超の左将軍就任は降格になってしまいますよね?)
以上で納得していただけるでしょうか?
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