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私の分かる範囲で返答させて頂きます。
>雑号将軍というからには、その人の雰囲気によって、それらしい将軍名を与えた
>ってことですかね。
雰囲気もあるかもしれませんが、
その時担当している職務も関係するのではないかと思います。
>微妙な上下関係は、その人の伝を丹念に読んで、推察するしかなさそうですね。
劉備陣営で有名な例としては、
安漢将軍の麋竺の方が、軍師将軍の諸葛亮より席次が上だった、
という麋竺伝の記述でしょうか。
もっとももこれも安漢将軍と軍師将軍の位の差ではなく、
麋竺と諸葛亮個人の席次の差にしか過ぎない可能性もありますが。
>面白いのは、劉備が劉璋を行鎮西大将軍に推挙したとありますが、私は演義の影響
>を受けているせいでしょうか、献帝は曹操の傀儡で自由な裁量はないように感じ
>られますが、劉備のこんな勝手な推挙が通るものなのでしょうか?それとも一方的
>に推挙して通ったことにして、勝手に将軍職を名乗ってたのでしょうか?
これに関しては間違いなく「勝手に名乗ってるだけ」です。
その少し前に劉備が孫権を車騎将軍に推挙していますが、これも同様です。
曹操の影響下にある献帝のところに使者が行けるはずもありませんし、
よしんば行けた所で、曹操と敵対している連中の推挙が通るはずもありませんので。
当時の劉備、孫権陣営の連中の官位は大抵が勝手に任命したものです。
(劉備の左将軍・豫州牧など、正式に任命された官位もあるにはありますが、
それは曹操と良好な関係にあった頃に任命されたものなので、
曹操に反逆した時点で正式には解任されていると思われます)
>>大将軍(三公より上位)
>>驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍(三公と同等)
>>前将軍、後将軍、左将軍、右将軍(中二千石。九卿と同等。)
>→この相撲の三役のような将軍職にある方々は、あいてる雑号将軍名を、勝手に
> 与えることが出来たっぽいですね。
将軍の任命権は基本的に皇帝(例外的に王)にしかないので、
本来は上位の将軍にそういう権限はありません。
上記同様、「勝手に任命してるだけ」です。
もちろん形式的な推挙はしているに違いないですが。
> 劉備は、やはり、いち武将としては高い評価を受けていたというこでしょうか。
劉備の左将軍任命は上述の通り、曹操の推挙による正式なものです。
袁術の死去に伴って左将軍が空位になったからではありますが、
かなりの高位であることは間違いありません。
曹操がここまで高位を与えてでも劉備を懐柔しようとしたことが、
曹操が如何に劉備の能力を高く評価していたかの証拠であると思います。
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